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くうねるゆれる・四角い床で

2026.10.23 公開 ポスト

SUUMOを見てもピンとこなかったわたしが、部屋より先に見つけた気になる駅と不動産屋さん金井球(文筆家・エッセイスト)

ーー家が変わるたび、そこにいるわたしもすこしずつちがっていた。とおもう。

モデル、俳優、ポッドキャストとマルチに活動する文筆家・金井球さんによる新連載『くうねるゆれる・四角い床で』。
実家で暮らし、ひとりで暮らし、ふたりで暮らし。それぞれ「家」も「わたし」も違っていたけれど、床はみんな四角かった。

第4回は、初めての就職先を4か月で辞めたあとの部屋探しの話。
社員寮を出ることになったものの、SUUMOではピンとくる物件が見つからない。そんななか、なぜか心惹かれたある駅の不動産屋に飛び込みます。

*   *   *
 

眼差し日差し志

 


新卒で入った美容室を3か月で辞めたわたしは、せっかく気に入っていた野方の社員寮を出ることになった。やむなし。ただ、このまま実家に帰るくらいなら死んだほうがましなので、どうにかあたらしく住む家を探さなくてはいけない。壁紙の色が好きじゃないね、床が白すぎるね、スーモやらカナリーの間取り図たちと睨めっこしていても、じりじりタイムリミットは迫っている。退職をしてから、社員寮を出るまでの1か月は、永遠のようにも、短すぎるようにも感じられた。
その日も、買ったばかりのソファに腰掛けながら、間取り図を眺めていた。ドアがね〜、かわいくないよね、新井薬師前駅徒歩12分、ちょっと遠いかもね……ふーん。ふと、「新井薬師前」という駅名のなんだかミントグリーンな感じにときめきをおぼえた。おし!新井薬師に住むしかない!と思い、昼過ぎ電車に乗り、新井薬師前駅前の不動産屋へ飛び込んだ。


自動ドアが開いて、ちいさく入店音が鳴る。黄緑色の壁紙がぱっと明るい店内には、だれもいない。
突然、ニョっと奥から、ふくよかでにこにこ笑顔のおじさんが現れた。
「やあ、そこ、かけて!」

やあ、という挨拶に面食らいつつも、言われるがまま椅子に座ると、おじさんはわたしの正面ではなく、すこし離れた場所に座った。この人が担当してくれるわけではないのかとそわそわしていると、またひとり、ふくよかでにこにこ笑顔のおじさんが、奥からニョニョっと現れ、お菓子がいっぱい入ったかごをわたしのまえに置いてくれた。おじさんツーも少し離れた場所に座った。この人でもないのか。
もうひとりふくよかにこにこおじさんが出てきたら笑っちゃうな〜、なんて思いながらしばらく待っていると、今度はお姉さんが現れた。
お姉さんは、これまたにこにこわたしの前に座った。わたしとあまり歳が変わらなさそうだったのに、ぴしりとしつつも柔らかくスーツを着こなしている。が、もしかしたら、入社して間もないのかもしれない。ふくよかでにこにこのおじさんたちが、遠巻きにすごくやさしい眼差しでわたしたちふたりを見守っていたから。なんだか、いい三人組である。


「ほうほう、なるほどなるほど」
お姉さんは、こほんと咳払いをして、パソコンとわたしがさっき書いた用紙を交互に見ながら困ったような顔をしている。
なんだか気まずくて、用紙に書いてある条件を、口にも出してみる。
「家賃は五万円以内で、うーん、この辺で、あとは、洗濯機が屋内だとありがたいです、古くてもぜんぜん良くて、角部屋だと嬉しいかもです。窓が多いのがいいかも。あ!あと、書いてないことだと、あの、畳が……」
「あー、畳のお部屋だと、いやですよね」
「あ!や!あの、あればあるだけというか、畳があってほしいというか、必須で」
引っ越したら、畳の部屋に住みたいと思っていた。かなり、必ず。畳の部屋ってなんかいい。それだけの理由なのだが、それだけの畳にこだわっていることが恥ずかしく、焦ったわたしは早口で絶妙なうそをついてしまった。
「やー、あのあの実家のへやが畳でして、実家ではずっと、畳が、畳だったものですから、落ち着くんですよね、それでです。ですからね畳があるのは、マストでお願いしたいんです。」
「なるほど、あたたかみあってね、安心しますもんね」
は、はい……。パソコンを真剣にみつめるお姉さんがときどき「畳ね…」と呟くたび、恥ずかしい。耳がじわじわ赤くなるのを感じる。ただかわいいから畳に住みたいだけなこと、全部ばれているかもしれない。


うーんうーんと唸りながら、すべての物件を見尽くしたころ、少し遠くでパソコンをかたかたしていたおじさんワンが、「これ、今日家賃下がったやつだよ!」と一枚の物件情報をわたしてきた。
家賃五万、1K、洗濯機室内、角部屋、6畳の和室!窓がいちに、さんし、よっつある。さらには、風呂トイレ別という奇跡のような物件だ。おじさんツーがすかさず奥から車の鍵をもってきて、お姉さんにパスした。
内見に向かう車は、わたしが住んでいる社員寮のすぐ近くで止まった。もしここに引っ越しても、最寄りのコンビニは変わらない。そんな場所に、ドラマのセットみたいにボロボロのアパートがあった。
運命的な出会いであったと、いまは思う。


錆びた外階段を、ベン、ベンと上り、2階のいちばん端がその部屋であった。お姉さんが鍵をあけて、玄関が見えた。足を踏み入れた瞬間にここに住まなくてはいけないと思った。用意してもらったスリッパをすり抜けて、わたしのからだが床に吸い付くみたいに馴染んでいくのがわかる。今すぐ素足でこの床に触れたいと思った。もうぜんぶ、わかっているけれど、部屋をいちおうは一周した。畳の部屋のいちばん大きな窓から中庭がみえた。中庭は、これから夏になろうとする空気が閉じ込められてるみたいで、きんいろにかがやいていた。胸がぐわんと熱をもつ。奇跡の間取り図より、部屋のがずっと魅力的だった。
部屋を出るのが待ち切れず、畳の中心で、ここに住みます!と叫んだ。
申込用紙に「求職中」と書くとき、ペンが震えて困った。出会ってしまったのに、もうさよならなら苦しすぎる。審査が始まったという連絡を不動産屋から受けてからというもの、気が気でない状態で続報を待った。そんな心配は杞憂におわり、案外かんたんに、この家に住めることになった。


契約書類を書いて、初期費用を払って、今度は晴れ晴れ不動産屋を出た。頭の片隅では、ああ、ここで働くのもいいかもしれない、なんて思っていた。あのお姉さんや、ふくよかでにこにこのおじさんたちに見守られながら、右も左もわからないちんちくりんの女の子にお菓子を出して、話を聞いてあげるスーツ姿のわたし、そして仕事を終えあのアパートに帰宅することを想像してみると、すごくしっくりくる気がした。ホームページで求人情報を確認したら、運転免許必須と書かれていて心が折れた。わたしはなにももっていない。あるのは部屋だけ。なにもないけど夏が始まった。働きづめだったおかげでなんとなく貯まった預金50万円は、初期費用を払ったら半分以下になった。
引っ越しの日、まだ空っぽの部屋の、うそをついて手に入れた畳に寝転ぶと、天井にサザエさんの横顔にみえる木の模様を発見した。

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くうねるゆれる・四角い床で

ーー家が変わるたび、そこにいるわたしもすこしずつちがっていた。とおもう。

 

ミスiD2022グランプリ受賞後、モデル、俳優、ポッドキャストと領域を横断しながら、独特の視点で日常を書きとめてきた文筆家・金井球による新連載。

実家で暮らし、ひとりで暮らし、ふたりで暮らし、いままた、ひとりで暮らすための部屋を探している彼女が、これまで通り過ぎてきた四角い床のことを思い出していきます。

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金井球 文筆家・エッセイスト

2001年9月、新宿に生まれる。寿司屋のバイトを「賄いに寿司が出ない」という理由で辞めたこともあったが、最近は執筆やZINE制作、Podcast番組『知らねえ単語』の制作、その他メディア出演、俳優など、精力的に活動の幅を広げている。

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