5年が経っても、いまだ自分が結婚していることが信じられない。結婚とはなんだろう? その答えはわからないままに、妻との暮らしは続いていく――。爪切男さんが「夢のような」結婚の日々を綴る、新連載スタート。
第1回 音でわかるからな
家に帰ると、妻がいる。
昨日もいた。
今日もいる。
きっと明日もいるだろう。
私はたぶん、結婚している。
四十七歳の私と、ひとつ年下の妻。
結婚して、もう五年になる。
一日のうち、一度は思う。
この人といると、なんだか私は幸せらしい。
一日のうち、一度は思う。
どうして私は、この人と結婚したんだろう。
「あんたたちが結婚するなんて、よっぽどのことなんだろうね」
そう言ったのは、妻の古い友人だった。
私よりずっと前から、妻のことを知っている人だ。
そう。
よっぽどのことなのだ。
今さらながら、とんでもないことをしてしまった気がする。
すごくする。
後悔とは少し違う。
後悔なら、もっと話が早かった。
では何なのか、と聞かれると、うまく答えられない。
説明のつけられない感情を抱えたまま、私は今日も家に帰る。
そして、やっぱり妻がいる。
「ま、いいか」と鼻歌まじりに食器を洗う日もあれば、「これでよかったのか?」と布団の中で悶々とする夜もある。
結婚って、もしかしてあれなのか。
答えが出ないまま、同じ場所に帰り続けることなのか。
性格や趣味が合う。
物事の価値観が似ている。
顔と声と笑い方が好きだ。
一緒に暮らしていると、何かと心強い。
どれも少しは当てはまるが、どれを選んでもしっくりこない。
妻のどこに惹かれたのかと聞かれたら、私はしばらく困って、「たぶん、生命力」と答える。
体が丈夫だとか、体力があるとか、そういう意味ではない。
次の日の段取りを、今日のうちに済ませておく人。
とにかく、生きることに「しつこい」人なんである。
妻は毎日、「修学旅行のしおり」を作っているかのようだ。
そう言いたくなるぐらい、翌日の準備を怠らない。
仕事の日でも休みの日でも、服装と荷物の準備、スケジュール確認を念入りにする。
天気予報を何度も見る。
雨が降ろうが降るまいが、折りたたみ傘を持つ。
モバイルバッテリーは必ず100%まで充電する。
何かあったときのために、目的地までの別ルートも複数調べておく。
家の中でも、妻はやるべきことを先送りしない。
どんなに疲れて帰ってきても、洗濯物があれば洗濯機を回す。
流しに食器があれば片づける。
得意かどうかではない。
目についたものを、その場で片づける。
そして私は、妻にとって「目についたもの」のひとつである。
「朝起きたら、まずトイレに行け」
「ちゃんと手を洗え」
「しっかりうがいをしろ」
「水を飲め。たくさん飲め」
妻が言うには、朝起きてすぐにこれをやらないと、体調を崩しやすいらしい。
自慢じゃないが、これまで私は、丈夫な体を武器に生きてきた。
子供の頃から厳しい父に鍛えられてきた自負もある。
だから、付き合い始めの頃は、そのすべてを拒否していた。
イラッとしたときなんかは、妻の目を真正面から見据えて言い返したものだ。
「嫌だ、絶対にやりません」
「嫌じゃない、絶対にやりなさい」
「ここは家です。道場ではありません」
「ここは道場です。家ではありません」
このような言い合いを何度繰り返したことだろう。
それでも妻は諦めなかった。
毎朝、呪文のように同じことを言い続けた。
私が布団の中で死んだふりをしていると、妻の声が飛んでくる。
「トイレや」
「行けば?」ではなく、「行け!」である。
開きかけたまぶたを静かに閉じて、聞こえなかったことにする。
少し間を置いて、もう一度声が飛んでくる。
「トイレや」
二度目は少し低い。
妻は声を荒げない。
荒げないから余計に怖い。
仕方なく起き上がって、トイレに行く。
「よし、偉いぞ」
いい大人なのに、こんなことでも褒められると嬉しい。
トイレから戻ってきた私に声が飛ぶ。
「手は?」
「洗いましたけど」
「うがいは?」
「しましたけど」
「水は?」
「ちょうど飲もうとしてましたけど」
コップにミネラルウォーターを注ぎ、一気に飲み干す。
こちらを見ずに妻が言う。
「少ない」
「……」
「音でわかるからな」
「……」
妻の耳は、こういうときだけやけに鋭い。
悔しいので、今度はわざと大きな音を立てて注ぐ。
寝室から「静かに注ぎ、静かに飲まんかい」と声が飛んでくる。
何の教えだ。
枕元まで行き、「み〜ず〜を〜た〜く〜さ〜ん〜飲〜み〜ま〜し〜た〜」と師匠に報告する。
妻は少しだけ満足そうな顔で言う。
「褒めてほしいから、こっち来たん? 可愛いねえ」
なんなんだ、この朝は。
おそらく、この人には一生勝てないのだろう。
いや、そもそもなぜ私は妻に勝とうとしているのだ。
勝てないのがわかっているのに、私は毎朝勝負を挑み、ちゃんと負ける。
トイレに行き、手を洗い、うがいをして、水を飲む。
そのたびに少し腹が立つ。
腹が立つのに、ほんの少し安心もする。
誰かにここまでしつこく見張られている朝を、私はこれまで知らなかった。
放っておかれることには慣れていた。
でも、放っておいてもらえないことには、まだ慣れない。
慣れないまま、私は今日も水を飲む。
妻と出会うまでの私は、自分の体をわりと雑に扱ってきた。
眠れなくても笑い、疲れていても笑い、体の小さな不調を、だいたい全部、笑い話に変えてやってきた。
体調だけじゃない、自分の過去も、笑い話に変えてきた。
そうやっていれば、誰かに心配されずに済む。
誰かに心配されなければ、誰かを困らせずに済む。
何より自分が楽だった。
妻は、そういうやり口を許してくれなかった。
私がどれだけ拒んでも諦めない。
見ないふりをしてきた不調や弱さに、平気で手を伸ばしてくる。
乱暴な人だ。
でも、ありがたい人だ。
そうか。
私は、このしつこさに惹かれたんだな。
結婚した当初、こんな会話をした。
「あんたは、自分を大事にすることを知らない人やね」
「俺なんかが愛されるわけないから、先に相手を愛するしかなかったんだよ」
「大丈夫。あんたの母親も妻も親友も、全部私がやる。だから、あんたも人生を生き直して」
父子家庭で育った私は、母の愛をよく知らずに大きくなった。
だから妻の言葉は、正直、嬉しかった。
嬉しかったけれど、少し怖くもあった。
一歩間違えば、洗脳に近いんじゃないか。
私が私ではなくなってしまうんじゃないか。
でも、五年経ってわかった。
私はずっと、誰かに愛してほしかっただけなのだと。
誰かを愛することばかり考えて、自分に水を一杯飲ませることすら忘れていた。
妻はよく寝る。
疲れたら、迷わず寝る。
よく食べ、よく笑い、腹が立てば怒る。すごく怒る。
嫌なことがあれば、ちゃんと嫌な顔をする。
自分に触れてほしいときは、ちゃんと「触って」と言う。
妻は、自分の心と体をごまかさない。
というより、ごまかす必要がないみたいに見える。
そこがうらやましい。
私ときたら、すぐにごまかす。
誰よりも愛されたいくせに、愛する側の顔をしてしまう。
だから妻は、私に水を飲めと言う。
手を洗えと言う。
うがいをしろと言う。
トイレに行けと言う。
それが愛なのか、しつけなのか、はたまた介護なのか、いまだによくわからない。
その全部が混ざっているのだと思う。
ただ、この人と暮らしていると、私はゆっくり、心ごと自分の体に戻されていく。
ある日の夕食時、豚の生姜焼きを食べながら、妻に伝えた。
「君のどこが好きなのか考えてみたんだよ」
「へぇ、珍しいやん、でも今さらかよ」
と言いながらも、妻の表情は少し明るくなる。
「生命力としつこさだと思うんだ」
「生命力と……しつこさ……」
「うん、間違いないわ。これまで会ってきた人たちの中でも群を抜いてる」
「……何かゴキブリみたいで嫌やなぁ」
「ああ、確かにゴキブリっぽさはあるかぁ……」
「……」
「確かになぁ、ほぼゴキブリやなぁ」
「……なんですぐに否定せんのや」
「え?」
「お前はゴキブリと結婚したのか?」
「いや、うまいこと言うなぁって」
「私はゴキブリか?」
「大変申し訳ございませんでした」
嫌なことがあれば、ちゃんと嫌な顔をする。
やっぱり、私はそこがうらやましい。
午前三時。
トイレに行こうと、部屋を出る。
寝室の扉の向こうから、妻の小さな寝息が聞こえる。
今日も、気持ちよさそうだ。
朝になれば、私はまた水を飲むのだろう。
家に帰ると、妻がいる。
そして私は今日も、たぶん、結婚している。











