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くうねるゆれる・四角い床で

2026.08.21 公開 ポスト

念願の初ひとり暮らしは社員寮。鍵を開けた先に待っていた部屋の景色とは…金井球(文筆家・エッセイスト)

ーー家が変わるたび、そこにいるわたしもすこしずつちがっていた。とおもう。

モデル、俳優、ポッドキャストとマルチに活動する文筆家・金井球さんによる新連載『くうねるゆれる・四角い床で』。
実家で暮らし、ひとりで暮らし、ふたりで暮らし。それぞれ「家」も「わたし」も違っていたけれど、床はみんな四角かった。

第2回は、初めてひとりで暮らした部屋との出会い。社員寮の扉を開けた時の、きらきらとした思い出を綴ります。

 

*   *   *

あこがれのひとり暮らし

社員寮、ときいていたので、わたしはそれなりに覚悟をしていた。わたしのなかの社員寮のイメージといえば、なんか、監獄。なんだか寒くて無機質な、白い壁の四角い部屋。そうでなくとも、ものすごーく狭いとかものすごーく汚いとか、はたまたものすごーく綺麗とか、なんであれ、かんぺきな物件ではないはずだ。家賃も安すぎるし。でもそれならそれで、下積み時代って感じでうつくしいかもしれない。まだまだ肌寒い3月、なんども地図を確認しながら新居となる社員寮を目指していた。短期大学を卒業し、高円寺の美容室に就職することがちゃんと決まったのは先月のことである。確実に実家を出たかったわたしは「社員寮完備」の文字に惹かれ、さらにはあこがれの高円寺で働くという夢みたいな展開に心躍らせ、この美容室に入社することを決めたのだ。

それならそれで、それならそれで、と繰り返し唱え、念願も念願のひとり暮らしの舞台に、期待をしすぎないために胸をしぼませつつ、一時間前に不動産屋で受け取った(握り締め続けたせいで少し生あたたかい)ディンプルキーを鍵穴に差し込む、ひねる、がちゃり。心臓のばくばくがからだを包みこんでどんどん大きくなっていくのを感じる。すう。はあ。深く深く深呼吸をしてから、ドアを開けた。

ぴかっ!フローリングが朝の眩しい光を反射する。思わず瞼を閉じると瞼の赤。ふたたび目を開けると壁の白!まっさら、こんなになにもない部屋をみたのは、中学2年生のころ、いまの実家に家族で越したぶりである。

玄関を入ると、左にはまず洗濯機置き場があって、そのならびに一口コンロ、向かいにはユニットバス。コンロとユニットバスの間にある、たてよこ50センチくらいの通路圏キッチンを抜けると、ロフトへの長いはしごがのびている。はしごをよけつつ進むと、なんか、意外と広いな、6畳。歌詞とかドラマとかで耳にしていた、1K6畳。それに自分が住むなんて、まだふわふわして夢のようだ。思い描いていた通り四角い床は、思っていたより広々していて、なんだか開放感まである。由来はおそらく、この窓たち。眩しいほどに光を取り込む、二面ある大きな、まだカーテンのついていない裸の窓たち、を、おもいきり開けてみる、と、気持ちのいい風がぶあーーーっと部屋を駆け抜ける、ので、逃さず深呼吸する。そこではじめて、実感がからだをダダダダッと駆け巡った。

ひとり暮らし。ひとり暮らし!ひとり暮らし!!小さな部屋でひとり踊る。わたしはここでひとり暮らしをする。なんだか妙にきれいなユニットバスも、少し古めかしい内装も、狭いキッチンもあこがれた、一人暮らしそのもののような部屋だった。南向きの窓を跨ぐとベランダ。見上げればロフト。わたしはきっとこの上で眠るんだろう。夏になったら暑くて下に降りてくるんだろう。インターネットや映画で仕入れた一人暮らしあるあるに自分のこれからを照らし合わせて、頬が緩む。

 

5曲ほど、大変にでたらめなダンスを踊り終えると、後ろ髪をひかれながらも一旦今住んでいる実家へ帰ることにした。この部屋に越すためには、一刻も早く荷造りを終わらせなければいけない!この家に帰るこれからの生活を思えば、帰宅するたびみじめな気持ちになる、実家の汚い玄関(わたしが幼少期からずっと過ごしてきた実家は、何度か場所を変えながら、どの時期も異臭のする汚部屋だった。ごみ屋敷と聞いて想像する部屋からごみ袋を何個かなくした状態を思い浮かべて欲しい。それがわたしの実家。それに加えて、両親の仲はこの頃がいちばん最悪で、この3ヶ月後に離婚します。)を通るのもへっちゃらだった。なんなら、この憂鬱も、これからの生活の振りのような気すらしてくる。汚いこの家であこがれ続けていた生活らしい生活を、わたしは絶対に叶えるのだ。わたしは、ほかの家族とはちがう。ふつうに暮らせる側なのだ、という確信と、みんながもっているそれをやっと手にできることはわたしをたまらなく幸せにした。引っ越しまでの数日間はわくわくしてなかなか眠れなかった。

なるべく早くあたらしい暮らしをはじめるために(と理由をつけて)、最後までうまく馴染めなかった短大の卒業式には出ず、その日に引っ越しをすることにした。「卒業式に出ない」と聞いた母がすごく寂しい顔をしていることにうすうす気がついてはいたのだけど、わたしは目の前に広がるきらきらしたこれからに夢中で気がつかないふりをした。いや、夢中というより、リセットする、みたいな感覚に取り憑かれていたようにも思う。このときまで、物事をきれいに終わらせられたことがわたしにはなかった。いつも「終わりよければすべてよし」という心持ちでなにかをゆるりとはじめては、「次に期待!」と思いながらかっこわるく撤退するのがわたしだった。

(短大でわたしは、いじめられていたわけでも、友だちをつくれなかったわけでもなかったのである。そこそこさまざま理由をつけて入学したが、詰まるところ惰性で選んだのが短大生の日々だった。なににも納得がいかなかった。納得がいっていない自分自身にも納得がいかなかった。ただ、孤独を選べるほどわたしはつよくなく、納得のいかないクラスメイトたちといちおうは笑い合いながら毎日を送っていた。こんなのは本当に失礼な話であり、クラスメイトがなにか劣っているとかいう話でもなく、自分が高校入学時に抱いていた理想の進路とは全然ちがう場所に、いっときの惰性によって自分が立っていることが耐えられなかった。そんな気持ちの悪い自分に笑顔でピリオドを打てる自信がなかったのだ。卑屈に周りを見下しては、短大生活を抜け出すもので、その先にきっときらきらした理想の世界があると思い込んで。なるべくはやく、これから始まる「生活編」で挽回がしたかったのだと思う。)

きらきらん。実家のこれまた片付いていない自分の部屋から、なるべくこれからの生活に映えそうなものだけを見繕って父の車に詰め込み、野を越え山を越え新居へ運び込んだ。

結局、実家から持ってきたものといえば、マットレスと、コロナ禍に暇すぎて買ったものの弾けないギター、いつの間にかわたしのものになっていた小さなテレビ、そして段ボール三個分の服や本。6畳の床にそれらを並べると、やけにぽつんとしていてにやけてしまう。暮らし、まだまだ未完成。ここからは、わたしがこの部屋のためにすべてを揃えていくのだと思うとまたわくわくに押しつぶされそうにもなったが、ロフトに敷いたマットレスでひさびさにゆっくり眠れた。いままでの自分と家族とはさよならをして、まったくあたらしい自分ひとりの生活が始まるのである。

人が一回使ったというだけなのに、家電は中古で買うとすごく安い。ロフトのはしごにぴたりとはまる小ぶりな冷蔵庫、その上に電子レンジ、その上に炊飯器、ブレーメンの音楽隊みたいに積まれて、各々しゃんとしていてかわいいね。下から、1万、2万、5000円。ヨッやりくり上手。やりくりというのはいちばん生活っぽい。わたしは生活のプロになった気持ちで、リサイクルショップをめぐりにめぐり、お皿やグラス、さまざまな生活必需品を通常よりだいぶ安い値段で揃えた。新居を使用感のあるものたちで満たしていくなか、鏡にまつわる怪談をすごく信じているので、全身鏡だけはニトリで新品を買った。掃除機は当時の恋人が使っていたモデルを真似してAmazonで買った。いちばんのお気に入りは独り立ち祝いにと叔母が買ってくれた絶妙なラグ5万円。こいつが、この家にあるものの中でいちばん高い。まだ椅子も机もテレビ台だってないのに、このラグを敷いているだけで、丁寧に暮らしているような気がして、魔法みたいだ。この3年後、正月の集まりで叔母と口論になり決別することとなるのだが。

まだ机もない部屋で、床に直接ラップをひく。5000円の炊飯器で炊き上げたほかほかのご飯を置き生活。包み生活。冷まし生活。冷凍庫に投げ入れ生活。ひとり暮らしあるあるに溢れた生活。到底自分ひとりでは運べない重さになったレジ袋を被害者面で家に運ぶのはたのしい。居酒屋で、ハイボールと共に夕飯を済ませるのはたのしい。すこし高い柔軟剤を、無理してるな、と思いながらカゴに入れるのはたのしい!ランドリンボタニカルのオレンジのやつ。

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くうねるゆれる・四角い床で

ーー家が変わるたび、そこにいるわたしもすこしずつちがっていた。とおもう。

 

ミスiD2022グランプリ受賞後、モデル、俳優、ポッドキャストと領域を横断しながら、独特の視点で日常を書きとめてきた文筆家・金井球による新連載。

実家で暮らし、ひとりで暮らし、ふたりで暮らし、いままた、ひとりで暮らすための部屋を探している彼女が、これまで通り過ぎてきた四角い床のことを思い出していきます。

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金井球 文筆家・エッセイスト

2001年9月、新宿に生まれる。寿司屋のバイトを「賄いに寿司が出ない」という理由で辞めたこともあったが、最近は執筆やZINE制作、Podcast番組『知らねえ単語』の制作、その他メディア出演、俳優など、精力的に活動の幅を広げている。

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