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いつか終わる恋愛の、人生への影響について

2026.07.21 公開 ポスト

異性愛の後ろめたさを乗り越えるためにわたしは恋に溺れる―30代独身女性の往復書簡鈴木綾/ひらりさ(文筆家)

30代後半、ともに独身。ロンドンと東京の会社員兼文筆家の鈴木綾さんとひらりささんによる往復書簡『いつか終わる恋愛の、人生への影響について』が7月8日発売になりました。他者と自分を愛する可能性を探った1年間の記録です。発売を記念して、一部を抜粋してお届けします。4通目、ひらりささんからの手紙です。

わたしの恋愛には「人からどう見えるか」がいつもつきまとう(ひらりさ)

Dear 綾

ロンドン行きの航空券を予約したよ。

お値段、24万7000円。直行便は25万円を超えており、目を疑った。2021年、留学時にとったときは17万円弱だったのだ。トランジットありの航空券と睨めっこしているうち、ロンドンだけに滞在するのが惜しくなり、イスタンブール→パリ→ロンドンと転々とする旅程に決めた。

3年ぶりのロンドン。綾に会えるのもとても楽しみにしているけれど、一番の目的は、ロイヤル(全世界のバレエファンにとって、あなたの住む国のThe Royal Balletのこと!)の『オネーギン』を観ること。ロシアの文豪プーシキンの小説をもとに制作された演目です。

2024年から2025年にかけては、世界中で空前の『オネーギン』上演ラッシュなのだそう。わたしは昨年、シュトゥットガルト・バレエ団の来日公演を観て心奪われた。この3月にはパリ・オペラ座バレエ団に20年以上エトワールとして君臨していた伝説的存在マチュー・ガニオが、オネーギンを演じて引退した。そしてロイヤルも、1月から6月にかけて、断続的に『オネーギン』を上演する。

『オネーギン』はその名の通り、青年・オネーギンの半生を描くバレエ。一体どんな物語が人々の心を摑つかんでいるのだと思う? 実は彼、バレエ界きってのクズ男として知られている(笑)。

帝都サンクト・ペテルブルグ育ちで、友人に連れられて地方に滞在するオネーギン。彼は自分に一目惚れして恋文を渡してきた地主の娘タチアナをコケにし、手紙を破り捨てる。都会で酸いも甘いも嚙み分け厭世家となったオネーギンからすると、あまりに素朴で分別なく思えたのだ。そのうえオネーギン、田舎が退屈で仕方ないと、タチアナの妹・オリガにちょっかいを出していちゃつく。オネーギンの親友でありオリガの許嫁でもあるレンスキーは激怒し、二人は決闘に。斃れたのは、レンスキーのほう。シティボーイの憂鬱は、親友の死という取り返しのつかない事態を招く。

綾の手紙で、ド・ボーヴォワールの言う「本来的な恋愛」(l'amour authentique)について読んだら、『オネーギン』の話をしたくなった。あらすじはオネーギンを中心に紹介したけれど、この作品、恋に恋をしていたタチアナの成長物語としても鑑賞できるのだ。オネーギンは公爵夫人になったタチアナと再会し、自分の激しい恋情を自覚する。遅すぎる! でも、公爵の不在時、夫婦の居室に入り込んだオネーギンが求愛すると、タチアナもまだオネーギンへの恋情を残していることが判明する。あんなことがあったのに!? まあ、初恋の魔力って強いからね。それでも、タチアナは、オネーギンから渡された恋文を渾身の力で破り捨てる。フィナーレ、観客の目に焼き付けられるのは、「出てけ!」と扉を指差す、公爵夫人の揺るがない立ち姿だ。

時代背景からすると、タチアナは道徳的に婚姻契約を重んじたように見える。『オネーギン』がいま新たにバレエに翻案されたなら、オネーギンとともに屋敷を出ていくタチアナが描かれるだろう。あるいはアニー・エルノーが翻案していたら、そうなったかも(笑)。でも、わたしが見た限り、オネーギンを追い払うタチアナは、むしろ、自立したフェミニストだ。オネーギンへの変わらぬ情をさらけ出しながらも、恋は風化したことを自覚し、現在の己の生を選び取り続ける。自分に正直であると同時に、成熟した女性なのだ。

綾にとってのフラットな恋愛の話、興味深く読みました。いつも思うけど、綾は過去の恋愛相手たちにも、そのときの自分にも、まったく執着していなくてすがすがしいね! 徹底的にパーソナルな人だなあと思った。綾は政治を語るのをいとわない人だけれど、自身の恋愛はいつも、世間とのパワーポリティクスから切り離された、独立した島として守っている。

「セカイ系」って聞いたことある? 日本のサブカルチャー・タームなんだけど。主人公とヒロインを中心とした「きみとぼく」の関係性の行く末や心的葛藤が、中間社会やネットワークを介さず、作中の「世界の危機」の動向にそのまま影響する、という展開のジュブナイルを揶揄するものとして普及した言葉だ。『新世紀エヴァンゲリオン』なんかがこれにあたる。綾には、そういうところがみじんもない。恋愛を通じて主人公になる感覚がほとんどなさそう。逆セカイ系だ。

わたしはセカイ系の女だから、自己の恋愛のポリティカルな側面を、意識しないということができない。つまり、わたしの恋愛が世界に与える影響をいつでも感じている。身も蓋もない言い方をすれば「人からどう思われるか」ということだけど(笑)。だから、構造をいつでも気にしている。男性ジェンダーと女性ジェンダーで恋愛していること自体に、後ろめたさを感じる。できるだけ、構造的弱者や典型的な日本人女性にならなくて済む異性愛を求める。

たとえば、自分より歳上の男性にsparkを感じられない。2歳上までがやっとかな。マウントされたくないという気持ちが強すぎて、心にシールドを張ってしまう。あとイギリスで恋愛をしなかったことも、これと関連しているかも。日本人女性として好意を持たれるのが嫌だった。綾は、日本で白人女性彼女として自慢されることに抵抗はなかっただろうか?

そんな性分なもので、先日別れた彼氏は、実は、一回り近く歳下だった。Tinderでマッチングして話が合ったという成り行きであって、望んでそれだけの歳下と付き合ったわけではない。ただ、いざ付き合うとなったあとは、わたしも、彼となら「フラット」でいられるのではないかと期待するようになった。ジェンダー以外はわたしが強者であるという関係であれば、異性愛規範が二人の対等さを毀損することなく、関係を継続できるのではないかと思ったのだ。

彼にsparkを感じたのは、3回目の食事のとき。わたしが急に焼肉を食べたくなり全額奢るつもりで彼を焼肉屋に誘ったのだけれど、トイレに行っている間に、彼が全部支払いを済ませていたという一件があった。しかも、そのせいで、彼は一時的に無一文になり、こちらが交通費を貸してあげた。男性に奢られても大して感謝したことがなかったけれど、この向こうみずさには、ハートを射貫かれてしまった。どっちもアホでしょ(笑)。

彼がわたしに奢ったのはその一回だけ。あとはわたしがお金を出した。全額奢るときもあれば、傾斜をつけるときもあった。その分、向こうの経済状況にとらわれずに、わたしが選んだお店に行けたし、わたしが行きたい旅行先の、わたしが過ごしたいグレードの宿に泊まった。win-win、とは思わなかったけれど、何も苦じゃなかった。自分のほうに余裕があった。体力的にも経済的にも精神的にも。

(写真:Unsplash/Vojtech Bruzek)

そんな、異性愛規範の関節を外すような恋愛(英語で言うと、less heteronormative relationship?)がハッピーエンドに至ったかというと……、前回書いた通りです。

どうして、わたしと彼の関係は続かなかったのか? 理由の一つは、わたしがsparkに全体重を預けてしまった点があるだろう。物理的に束縛しなくても、気持ちの重さのずれというものは、相手を居心地悪くさせるものだ。『シンプルな情熱』の「私」のような状態だったのだ。さっき、男性と恋愛しているとき「後ろめたさ」を感じると書いたけれど……後ろめたさを乗り越える方法が一つある。それは火花に身を任せ、酩酊しきってしまうということだ。だからアホな理由で人を好きになるし、恋愛しているとアホになる。そして、ピークが過ぎても、その酩酊に執着してしまう。わたしはタチアナにはなれない。わたしにはアニー・エルノーの書いていることがよくわかる。『シンプルな情熱』は人にすすめられて読んで、あまりにもわたしのことだと思った。前の失恋でどん底だったときには、ノートに書き写して日々をやり過ごしていた。

時々、私は、彼はたぶん束の間も私のことを考えないでまる一日を過ごすのだろうなと思った。私には彼が起床するのが、コーヒーを飲むのが、話すのが、笑うのが、まるで私など存在しないかのように起居するのが見えた。四六時中彼のことに囚われている自分の状態とのこの大きなずれが、私にはまったく信じられないことに思えた。どうしてあの人には、そんなことができるのか……。しかし、彼のほうでも、自分のイメージが朝から晩まで私の脳裡をさらないと知ったら仰天したことだろう。

──アニー・エルノー/堀茂樹訳『シンプルな情熱』早川書房

また、『シンプルな情熱』を書き写すべき時期が来たかもしれない。

「何度傷つけられても、何歳になっても恋ができる、恋愛ができる自分の心の超能力を、私は誇りに思っている。」

恋愛を「できる」と表現するところに、綾とわたしの違いがある。わたしにとって恋愛は「してしまう」ものだ。災害だ。『シンプルな情熱』を写経していた時期、同じくらい写経したのは、哲学者シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』だった。とにかく、平穏な心が欲しかった。俗世にいながら出家したい気分だった。

それは急にやってくる。タイミングも、火加減も調整できない。エネルギーを根こそぎ持っていく。わたしの中の街をめちゃくちゃにしていく。恋愛に哲学的価値があるとすれば、それは、恋愛そのもののワンダーというより、めちゃくちゃになったものを立て直す過程で、副産物として、既存の道徳や異性愛規範を飛び越えられる瞬間があるからなのではないだろうか。混沌だ。

でも、災害だろうが混沌だろうが、結局、個人的なのが恋愛だ。どんなにセカイ系を気取っても、わたしの恋愛は、世界に影響を与えていないように見える。

一方で、わたしの恋愛は、すでに構築された規範に、表象に、周囲の雰囲気に、左右されている。女友達のほうが親密に感じる瞬間が多々あるというのに男性としか交際していないこと自体、そうだと思う。既存のレンズを壊していくには、意図して、政治的に、活動をしていかねばならない。でも、そんなことを意識していたら、恋の火花は消える。サルトルとド・ボーヴォワールの関係にロマンスの置きどころがないように思えるのは、必然だ。

恋愛を政治的実践として考えるなら、外部から見たフラットさは大事だ、とわたしは思う。でも、形式的にフラットさを保とうとしても、個人的実践として見たときに、別の不均衡や歪さを温存していることは多い。わたしと彼氏のようにね。それを正すには、綾の言う通り、自由や信頼を相互に確認する努力が必要だ。それがきっと健全さと呼べるものだろう。さらに前提として必要だと思うのが、冷静さだ。もっとわかりやすく言うと、自他の境界線を引くこと。

綾が持っているのは、恋愛をする能力もそうだし、恋愛相手や恋愛感情に対して溺れない能力ではないかと思った。

「私たちはなぜ『恋愛』を語るべきなのか?」

「恋愛」を語るなんて不真面目じゃない? という指摘を受けたという話、面白いね! まあ、恋愛は娯楽で、余暇だからね。あるいは、プライベートを開示すること自体に、居心地の悪さを感じる、というのもありそう。ビジネスパーソンは、公的な顔だけを見せるものだ。わたしも、「仕事のアカウントであんなに恋愛の話書いているのすごいですね」と感心(呆然と?)されることは多い。そういうときは「政治的実践です」とうそぶいている。これは半分本心だ。アニー・エルノーがノーベル賞をとったのだって、個人的感情を突き詰めて書くこと自体のポリティクスが評価されたからだろう。

人類、いい加減恋愛やセックスに飽きてもいい頃ではないかと思うし、Z世代の性的スキンシップ経験率は下がっているという話も先日書いたね。職場恋愛はハラスメントの温床として徐々に駆逐されていっている。それでも、恋愛は人々の娯楽ジャンルの大手だし、マッチングアプリ産業はすさまじい勢いで成長を続けている。

エスター・ペレルの『不倫と結婚(The State of Affairs)』って読んだ? カップルセラピストとして、多くのカップルを診察してきた著者が、アンソニー・ギデンズの親密論やエヴァ・イルーズの現代恋愛論をひきながら、現代のセックスと不倫をひもとくものだ。

今日、私たちは膨大な実験をおこなっている。(中略)そう、私たちはただセックスをしたいから、セックスをするのだ。私たちのするセックスは、性欲と、まぎれもない自由選択と、そして事実、自己表現のためのセックスである。

──エスター・ペレル/高月園子訳『不倫と結婚』晶文社

恋愛を不要とする人々が増えたり、spark=惹かれを経験しないアロマンティック・アセクシュアルが注目されたりする一方で、恋愛を続けている人たちのアイデンティティに恋愛が及ぼす影響は年々強まっていると感じる。他者との親密性を媒介にしてこそ世界とつながれる感覚も、全世界的に増しているだろう。二者間で起きたことをソーシャルメディアに放流する人の多さよ!(自分もです)

マッチングアプリは人々のセクシュアリティを商品化し、ソーシャルメディアは親密性を通貨にした。人間はすっかり、後期資本主義社会の商品だ。そんな社会でもたらされる恋愛の、惹かれの質は、『シンプルな情熱』や『オネーギン』が書かれた頃とも、だいぶ変わってしまったのではないだろうか。『シンプルな情熱』で描かれているのが恋か愛か、という質問を綾が投げかけてくれたけれど、わたしとしては、その区別よりも、変化の質のほうが気になる。ソーシャルメディアと親密な人間関係の関わらせ方に関して、綾がふだんどういうポリシーをとっているのか、とか。そうしたポリシーを身につけるまでに経験した「失敗」の話とか。

そう、失敗。恋愛や親密性にまつわる事柄を通じて語るべきことの一つはこれだと思う。relationshipを持つこと/持たないことは、個人が日々細かく経験できる選択であり、プロジェクトだ。他者との関わりでどのような失敗と直面し、どのように対処することにしたか。その対処を経てどのようにアイデンティティが築かれたか。それは、巡り巡って世界のあり方にもつながる、はず。

綾には先に、フラットな恋愛=うまくいったと思うプロジェクトを聞いてしまったけれど、まず聞くべきことは、「失敗」の話だったかもしれない。どう?

さて、ダウンコートやセーターをクリーニングに出してきます。

【刊行記念イベントのお知らせ】

7月15日(水)19時半~ 
鈴木綾×ひらりさ「他者も自分も愛する方法」『いつか終わる恋愛の、人生への影響について』刊行記念

詳細は、本屋B&Bのチケットページをご覧ください。

7月18日(土)16時~20時
蟹ブックスにておふたりが半日店長を務めます

申し込みは不要です。詳細は、蟹ブックスのXをご覧ください。

7月29日(水)19時半~
稲田豊史×エリー・ウォーノック「本が読まれないのは日本だけ?~読書と文章をめぐる欧米との比較~」

鈴木綾さんは、英語名でのご登壇です。詳細は、幻冬舎カルチャーのページをご覧ください。

8月21日(金)18時半~
ひらりさ×武田砂鉄「なぜ恋をすると有害になってしまうのか?」 トーク&サイン会

詳細は、Peatixをご覧ください。

関連書籍

鈴木綾/ひらりさ『いつか終わる恋愛の、人生への影響について』

マッチングアプリのずっと前から わたしたちは『商品』だったよね? 30代後半、ともに独身。 ロンドンと東京の会社員兼文筆家が 恋愛を考えるために往復書簡を始めた 「新年早々、失恋で寝込んだわたしが往復書簡を始める意味」(ひらりさ) 「恋愛に失敗なんてあるのかな?」(綾) 「わたしの恋愛には『人からどう見えるか』がいつもつきまとう」(ひらりさ) 「わかりやすい『性的魅力』にいいことはない」(綾) 「わたしの恋愛は、傷つけるほどの距離にならない」(ひらりさ) 「誰も教えてくれなかった愛するときに必要な『地味な仕事』」(綾) 恋愛で受ける傷、対等さへのこだわり、出産への迷い―― 他者と自分を愛する可能性を探った1年間の記録。

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いつか終わる恋愛の、人生への影響について

2026年7月8日発売『いつか終わる恋愛の、人生への影響について』をご紹介します。

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鈴木綾

1988年生まれ。6年間東京で外資企業に勤務し、MBAを取得。ロンドンの投資会社勤務を経て、ロンドンのスタートアップ企業に転職。現在は退職し、英語での小説を執筆中。2017〜2018年までハフポスト・ジャパンに「これでいいの20代」を連載。日常生活の中で感じている幸せ、悩みや違和感について日々エッセイを執筆。日本語で書いているけど、日本人ではない。著書に『ロンドンならすぐに恋人ができると思っていた』(幻冬舎)がある。

ひらりさ 文筆家

1989年、東京生まれの文筆家。「劇団雌猫」メンバーとして、『浪費図鑑―悪友たちのないしょ話―』(小学館)でデビュー。女オタク文化からフェミニズムまで、女性と現代社会にまつわる文章を執筆。個人名義の著書に『沼で溺れてみたけれど』(講談社)、『それでも女をやっていく』(ワニブックス)、『友達じゃないかもしれない』(上坂あゆ美との共著/中央公論新社)、『まだまだ大人になれません』(大和書房)がある。

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