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いつか終わる恋愛の、人生への影響について

2026.07.18 公開 ポスト

「最もフラットだった恋愛は?」と質問されて考えたこと―30代独身女性の往復書簡鈴木綾/ひらりさ(文筆家)

30代後半、ともに独身。ロンドンと東京の会社員兼文筆家の鈴木綾さんとひらりささんによる往復書簡『いつか終わる恋愛の、人生への影響について』が7月8日発売になりました。他者と自分を愛する可能性を探った1年間の記録です。発売を記念して、一部を抜粋してお届けします。3通目、鈴木綾さんからの手紙です。

「何度傷ついても恋愛できる能力」が私にはある(鈴木綾)

Dear Risa

素敵な手紙、ありがとう! じっくり読んで、一つ一つの言葉を味わったよ。お正月は大変だったね……どれだけ失恋からのリバウンドが「マシになった」と思っても、失恋は苦しい。相手の名前、写真に反応しなくなるまではどうしようもできないし。必要なのは時間。6月にひらりさがロンドンに来たら、気晴らしに絶対楽しいことしよう。

私がいつも「マクロ」的視点から物事を捉えようとするのに対して、ひらりさは「ミクロ」な個人の体験から語り始める。高度1万メートルから世界を俯瞰しようとしてしまうのは私の癖。どちらのアプローチが優れているというわけではなく、この二つの視点が交わることでより立体的で等身大の対話が生まれると思う。

マシンピラティスにハマっていると知って、とても親近感を覚えた。以前、香港の友人とZoomでヨガをしていたのだけど、彼女が再就職してからスケジュールが合わなくなり、バーチャルからリアルな場所へと切り替えたのが、私がマシンピラティスにハマるきっかけだった。

マシンピラティス愛好者の特徴は、日本だとどうかわからないけど、ロンドンでの参加者は95%が女性(残りの5%は不本意ながら連れてこられた彼氏たち)で、そのほとんどがボトックス経験者か将来の利用者。最新のアスレジャーウエアに身を包む優雅に見える女性たちは、驚くほどの筋力の持ち主で、プランクを何分も平然と維持できる。

(写真:Unsplash/Jaspinder Singh)

子供の頃から運動神経が悪いと思い込み、外見がよくてスポーツも得意で完成度の高い女性たちを縁遠く感じていた私が、いまでは週3回、彼女たちと骨盤を揃そろえて汗を流しているのは不思議で面白い。ちなみに私の装いは10年以上前に購入したルルレモンのレギンスとIT企業のTシャツという質素なもの。先日、「そのレギンス、どこで買ったの?」とキラキラ輝いているピラティスガールに尋ねられ、「淘宝(タオバオ)」と答えたら、アジアの高級ブランドだと勘違いされて思わず笑ってしまった。

さてさて、本題に入りましょう。ひらりさから「最もフラットだった恋愛」について問われたが、やはりマクロ的に答えたくなっちゃう(笑)。今回はシモーヌ・ド・ボーヴォワールの話から始めよう。私たちの往復書簡なら、登場を予想できる人物だね。

私はこれまで男性を好きになってきたので、異性愛の話をするね。

ひらりさが問いかけているのは、おそらく異性間の恋愛関係に構造的に内包されている不平等な期待や偏見によって、女性が家父長制に隷属させられる仕組みになっている、ということについてだと思う。この点に関して、ド・ボーヴォワールは「本来的な恋愛」(l'amour authentique)という概念をその著書『第二の性』の中で提案している。

彼女は恋愛や性関係そのものを否定せず、そのうえで異性愛関係が女性にとって罠となり得ることを警告している。シンデレラや白雪姫のように、社会は恋愛神話を通じて、女の子の脳に魔法をかける。ガラスの靴は実は透明な足枷だった。

一方、「本来的な恋愛」とは「二人の自由を相互に承認したうえで築かれる」関係であり、男女がお互いの弱さも強さも受け入れ、相手を独立した個人として尊重するあり方。このような「本来的」な関係性は、お互いの人生をより豊かにする。

ド・ボーヴォワールと長年のパートナーだったジャン゠ポール・サルトルに、二人がこれほど長く続いた秘訣についてインタビューした記事を読んだことがある。それによれば、まさにその関係が「徹底的に平等だった」というのが結論だった。

この「お互いを承認する」(la reconnaissance rciproque)という概念こそ、私がイメージする「フラットな恋愛関係」に最も近いのではないかと思う。しかし、ド・ボーヴォワールの定義通りの「本来的な恋愛」は、現実には非常に結びにくい。もしかしたら、不可能かもしれない。この概念はどちらかというと理想に近いものだろう。

ド・ボーヴォワールの「本来的な恋愛」という考え方は、私にとって強く響く。なぜなら、彼女は伝統的な恋愛関係に内在する不平等を批判するだけでなく、お互いを対等な存在として尊重できる新しい関係の可能性を示しているからだ。その考え方は根本的に前向きで、私たちに勇気を与えてくれる。自分自身の恋愛経験を振り返り、周りの女性たちが独立と親密さのバランスを取ることに苦労している姿を見るとき、私たちが必要としているのは、まさにド・ボーヴォワールの言葉が提供するような、現実的な道しるべなのだ。

実存主義者でもあるド・ボーヴォワールは、「本来的な恋愛」の基盤を「自由」に置いているが、私は経験上「お互いを承認する」「健全な関係」のベースになるのは自由ではなく、「信頼」だと思う。天下の哲学者ド・ボーヴォワールの向こうを張るのはいささか無謀かもしれないし、とてもベタに聞こえちゃうかもしれないけど、信頼がなければ自由は生まれない。お互いを信頼できないなら、お互いの自由を受け入れることは不可能だ。なぜかというと、信頼がないと、相手が自分の自由を悪用するかもしれない、と懸念・心配してしまうから。

私の意見では、ド・ボーヴォワールは「恋愛」いわゆる「romance」に十分な場所を与えない。彼女が描く理想的で平等な男女関係は親しい友人の関係にも見える。じゃ、友情と恋愛の間のラインはどこにある?

私自身、知的なケミストリーがすごく合っているけど「好意」を感じなかった男性にたくさん出会ってきた。つまり、そこに「romance」はなかった。早く服を脱いでセックスしよううううううううよ~~~っていう気持ちに全くならなかった。

「信頼」の話に戻ると、信頼関係を築くためには、まずどちらかが自分の脆弱な部分を相手に見せないといけない。信頼の前には必ず脆弱の露出があり、それを理解し受け入れることで信頼が生まれる。そして恋愛関係の場合、自分の脆弱な部分を見せるきっかけとなるのは、romance、つまり恋。英語で恋の始まりはよく「spark」(火花)に喩えられるけど、まさにそう。そしてsparkには必ず、そこに私の気持ちを導く導火線がある。

最近知り合った男性──年上の中年男性──の話をしよう。インテリで、ハイスペックで、紳士で、上品。向こうはこっちに明らかに好意を持っていて、もちろん男女関係という意味での下心(もっといい表現ないかな笑)もあるけど、上手にオブラートに包んでいる。私のほうはどうかというと、いまのところ悪い感じはなくて、結構一緒にいて楽しい。

で、さて、これから私の理性と感情は、この相手にどういう反応を示すことになるのだろうか。ド・ボーヴォワールが言うところの「本来的な恋愛」の条件を満たすかもしれないが、sparkは来るのか? 今後の展開に私自身も興味がある。

少し脱線するけど、英語圏では付き合っている男女の関係をことさらに「『恋愛』関係」とは言わず、単に「a relationship」(関係)と言うのが普通。その関係は恋の炎から始まるかもしれないが、恋愛には本質的に不安定で危険な側面がある。だから長続きする「関係」になるには、この不安定さを乗り越え、恋の炎を進化させて安定元素に変える必要がある。

ド・ボーヴォワールは「本来的な恋愛」を通じて、恋愛を理解するための道徳的枠組みを作ろうとしていたと思う。しかし、恋愛は本当に「道徳」で論じられる? 平等な男女関係と恋愛を結びつけて議論すると、どうしても「道徳」も議論しなければいけなくなる。

しかし私は、ド・ボーヴォワールは自分の作品で書いていたより現実主義者だったと思う。多くの恋愛には「不道徳」な側面がある。もちろん、小児性愛などは許されないし、同意(consent)も絶対に必要。でも、ド・ボーヴォワール自身は「本来的な恋愛」を提唱していたけど、その相手だったサルトルは浮気をしていたね。

言いたいのは、いままで「フラット」だと感じていた関係は、外から見たら必ずしも「フラット」に見えないってこと。例えば、日本に住んでいたとき、私より10歳以上年上の男性と数ヶ月付き合った。彼はバツイチで、容姿は普通だった(彼がこの文章を読まないことを祈る!)。デートの際は彼がいつも奢ってくれた。確かにこの関係には「reciprocal」(互恵的)な部分があったし、フラットでwin-winな関係だった。彼は若い白人女性と付き合っていることを自慢でき、私とのセックスも得ていた。一方で私は面白い会話と無料の食事を得ていた。でもこれってa relationshipと言えるのかな? 恋愛関係なんだろうか? 一種のソフト売春って言われないか?

ド・ボーヴォワールはこういう関係をどう見るだろう? 同じように、ピラティスを一生懸命やって自分のお尻をプリンプリンの桃尻にし、パートナーがそのお尻を見て触れて快楽を得るのを喜ぶ──。これは私が毎月200ポンド以上を払って週3回、拷問装置のような機械の上で横になる理由の少なくとも15%を占めている。ド・ボーヴォワールはこれをどう思うだろう?

そう考えると、家父長制という女性を束縛する社会の仕組みがなくなるまで「本来的な恋愛」を諦めてはいけないと思う。そして同時に、「フラットな関係」や「本来的な恋愛」をとことん目指す必要があるのか、とも思う。だって、関係性の形よりもお互いの信頼こそが大事だ、と私は考えるから。さらに言えば、ド・ボーヴォワールであろうが、誰であろうが、外の人がどう考えていても、その関係を形成する二人が同意のうえで付き合っているなら、その関係はその二人の間のことになる。外の人間が自分の価値観を押し付けて介入するのは、ある意味で「家父長制」的ではないかと思う。

ここで、この往復書簡の本来のテーマに戻りたい。私たちはなぜ「恋愛」を語るべきなのか?

私はいままで自慢できるキャリアを築いてきた。「真面目」に成果を出してきた。それに比べたら、「恋愛」を語るって不真面目に思われない? というのが、この往復書簡のことを友人たちに話したときの反応だった。キャリアや業界の知識のことをなぜ語らないのか? 要するに、お金の価値が決まっているものについてなぜ語らないのか。LinkedInに「恋愛について書きました」と投稿したら、世間はどう思うだろう(笑)。

哲学者によって、恋愛の定義は異なる。恋愛はバラバラになっていた私たちを結びつけ完成させるという見方もあれば、生まれつき心にある穴を埋めるという考え方もある。恋愛は人間に子供を産ませるための自然が仕組んだ罠だという意見もある。恋愛は娯楽であり、恋愛は孤独を紛らわせるものでもある。恋愛という概念が存在しない文化はなく、恋愛なくして芸術は生まれない。恋愛は最も人間らしい感情であり、強力な薬でもある。私たちが恋に落ちるとき、爬虫類脳が活動することが研究で示されている。つまり、恋愛というのは、脳の認知機能や理性をコントロールする部分よりもっと原始的で深いところから生まれている。

恋愛に年齢制限はない。50年も結婚していた奥さんが亡くなったあと、老人ホームに住むようになった私のおじいちゃんに彼女ができた。彼は80歳ぐらいだったけど、二人は10代の若者のようにラブラブだった。家族が集まっていたとき、その二人はいつも昼食後に「昼寝をするから」と抜け出していたが、あの部屋で楽しんでいたのは昼寝ではなかったに違いない(笑)。

大好きなおじいちゃんから、私は恋愛のDNAを受け継いでいる。何度傷つけられても、何歳になっても恋ができる、恋愛ができる自分の心の超能力を、私は誇りに思っている。

「恋愛」と「a relationship」はつながっているけど、一緒ではないね。誰でも恋愛できるけど、健全な関係、ド・ボーヴォワール風の「本来的な恋愛」ができる人は多くはない。

私は20代の恋愛でたくさん失敗した──モラハラで私を潰そうとした男性や私をモノ扱いした男性とも付き合ってきた──からこそ、完璧ではないけど、よりフラットというか健全な恋愛関係を持てるようになったと思う。周りの女性たちの多くが、似たようなことを言う。

ひらりさは、フェミニスト側の男性嫌悪について触れたけど、これはインターネット上の議論以外にも、「健全な関係を作る能力の身につけ方」を女性が議論するときに顕著だ。女性は男性が「健全に愛してくれる」可能性を信じない。相手を懐疑的に、否定的にしか見ない。この状況が続くと未来はよくならないし、女性を迫害するような恋愛関係はなくならない。

恋愛というのは不合理だよね。ときどき、恋愛相手と一緒にいるときより、相手のことを考えているときの期待感のほうが嬉しかったりする。フランス人作家でノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーの『シンプルな情熱』はまさにそういうストーリー。主人公はある時期恋愛関係を持っていた既婚者の話を語るけど、「彼」が話の中心ではない。彼が来るのを待っているときの彼女の喜びがメインなのだ。

日本語では「愛」と「恋」というのがあるね。彼に愛されていると言うけど、彼に恋されているとは言わない。恋焦がれると言うけど、愛焦がれるとは言わない。要するに、日本人はこの二つの言葉を使い分けているけど、英語にはこの違いがない。どちらでも「love」と言う。『シンプルな情熱』は愛の話なのか? それとも恋の話なのか?

ひらりさの考えもぜひ聞きたい。

【刊行記念イベントのお知らせ】

7月15日(水)19時半~ 
鈴木綾×ひらりさ「他者も自分も愛する方法」『いつか終わる恋愛の、人生への影響について』刊行記念

詳細は、本屋B&Bのチケットページをご覧ください。

7月18日(土)16時~20時
蟹ブックスにておふたりが半日店長を務めます

申し込みは不要です。詳細は、蟹ブックスのXをご覧ください。

7月29日(水)19時半~
稲田豊史×エリー・ウォーノック「本が読まれないのは日本だけ?~読書と文章をめぐる欧米との比較~」

鈴木綾さんは、英語名でのご登壇です。詳細は、幻冬舎カルチャーのページをご覧ください。

8月21日(金)18時半~
ひらりさ×武田砂鉄「なぜ恋をすると有害になってしまうのか?」 トーク&サイン会

詳細は、Peatixをご覧ください。

関連書籍

鈴木綾/ひらりさ『いつか終わる恋愛の、人生への影響について』

マッチングアプリのずっと前から わたしたちは『商品』だったよね? 30代後半、ともに独身。 ロンドンと東京の会社員兼文筆家が 恋愛を考えるために往復書簡を始めた 「新年早々、失恋で寝込んだわたしが往復書簡を始める意味」(ひらりさ) 「恋愛に失敗なんてあるのかな?」(綾) 「わたしの恋愛には『人からどう見えるか』がいつもつきまとう」(ひらりさ) 「わかりやすい『性的魅力』にいいことはない」(綾) 「わたしの恋愛は、傷つけるほどの距離にならない」(ひらりさ) 「誰も教えてくれなかった愛するときに必要な『地味な仕事』」(綾) 恋愛で受ける傷、対等さへのこだわり、出産への迷い―― 他者と自分を愛する可能性を探った1年間の記録。

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いつか終わる恋愛の、人生への影響について

2026年7月8日発売『いつか終わる恋愛の、人生への影響について』をご紹介します。

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鈴木綾

1988年生まれ。6年間東京で外資企業に勤務し、MBAを取得。ロンドンの投資会社勤務を経て、ロンドンのスタートアップ企業に転職。現在は退職し、英語での小説を執筆中。2017〜2018年までハフポスト・ジャパンに「これでいいの20代」を連載。日常生活の中で感じている幸せ、悩みや違和感について日々エッセイを執筆。日本語で書いているけど、日本人ではない。著書に『ロンドンならすぐに恋人ができると思っていた』(幻冬舎)がある。

ひらりさ 文筆家

1989年、東京生まれの文筆家。「劇団雌猫」メンバーとして、『浪費図鑑―悪友たちのないしょ話―』(小学館)でデビュー。女オタク文化からフェミニズムまで、女性と現代社会にまつわる文章を執筆。個人名義の著書に『沼で溺れてみたけれど』(講談社)、『それでも女をやっていく』(ワニブックス)、『友達じゃないかもしれない』(上坂あゆ美との共著/中央公論新社)、『まだまだ大人になれません』(大和書房)がある。

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