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アドラーの教育論

2026.06.09 公開 ポスト

受験に成功しても人生は安泰ではない アドラーが説く「困難に負けない子」の育て方岸見一郎

「宿題をしない」「受験が近いのに焦っていない」「親として何をすべきなのか」――そんな子育ての悩みを抱えてはいないでしょうか?

子どもが自立へ向かうために必要なのは、子どもを一人の人間として尊重し、「叱らない」「ほめない」「比べない」こと。アドラー心理学の教育思想をもとに、親や教師が子どもとどう関わればよいのかをやさしく解説した、岸見一郎氏の最新作『アドラーの教育論 対等と自立』。本書の一部を再編集してご紹介します。

*   *   *

受験の成功は人生の保証ではない

アドラーは次のようにいっています。

「能力は勇気と訓練によって偉大な能力となるほどに補償されることさえある」(『人はなぜ神経症になるのか』)

ところが、困難な課題──勉強や仕事、また対人関係──を前にした時、そこから逃げ出したくなることがあります。

アドラーは、困難に直面した時、それに立ち向かい、切り抜ける力を身につけることこそが「根本的な教育」であると考えました。

ところが、

「われわれの現代の文明では、根本的な教育よりは、目に見える結果、成功の方により関心がある」(『子どもの教育』)

とアドラーは指摘しています。

多くの子どもは、何の疑問も持たず、成功するために勉強します。しかし、

「ほとんど努力することなしに手に入れた成功は滅びやすい」(前掲書)

長年受験勉強し、試験に合格するために、相当な努力をしたといいたくなるかもしれません。しかし、人生では受験よりもはるかに大きな困難が待ち受けています。受験で成功したとしても、その後の人生が順風満帆であるという保証はどこにもありません。

目下、困難な課題に直面している人が、努力しても成功しなかったという経験をすると、以後、結果が出ることを恐れ、取り組むべき課題から「安易な逃げ道を探す」(Adler Speaks)ようになるかもしれません。しかし、逃げ道を探さないで困難を切り抜ける力を身につけなければなりませんし、大人は子どもがそのような力を身につける援助をしなければなりません。

勉強さえしていればという甘やかされた子ども

困難を避けることではこの力を身につけることはできません。アドラーは次のようにいっています。

「困難に直面することを教えられなかった子どもたちは、あらゆる困難を避けようとするだろう」(『子どもの教育』)

困難に直面しないように親から守られて育つ子どもがいます。実際には困難があるのに、それに直面するのはもちろん、困難が存在することすら教えられず、親に守られて育った子どもが一歩外に出れば、そこはアドラーの言葉を使うならば「敵国」です。親が子どもを過保護に、いわば、人為的に温かい環境の中で育てたので、外の世界の風が冷たく感じられるということです。

受験は十分困難で、温かい環境に育ったわけではないという人はいるでしょうが、勉強さえしていれば、他のあらゆることを免除されるようであれば、甘やかされた子どもなのです。

子どもの頃から、何かを成し遂げることは困難であり、いつも自分が望む通りの結果を得られるとは限らないことを知っていれば、風は冷たくても耐えられるようになります。しかし、幸か不幸か、人生が思うようにならないものであることを知らずにきた子どもは、その後の人生で遭う少しの困難が大きなつまずきの石になってしまいます。

どうすることもできない、と考えてしまう

どんなことも努力しなければ、達成することはできません。困難が立ちはだかり行く手を遮った時に、最初から諦めてしまう人はいます。そのような人は、周りに楽々と成果を上げているように見える人がいると、自分も頑張ってみようとは思わないで、できることは何もない、どんなに努力をしてもどうにもならないと考え、努力をしないのです。もちろん、努力しない人はいるはずはないのですが、努力して何かを成し遂げた人は努力したことを吹聴しないので、結果だけを見るとやすやすと成し遂げたように見えるだけなのです。

アドラーが、学生にしばしばこんな話をするといっています。

「われわれの遠い祖先がある時、木の枝にすわっていると想像しなさい。その祖先にはまだ巻き尾があり、人生があまりに惨めなので、何をするべきか考えている。別の人がその人にいった。『そんなことを思い悩んでどうなるというのだ。事態はわれわれの力を超えている。どうすることもできない。木の上にいるのが一番いい』。

もしもこのように説得した人の考えが受け入れられていたらどうなっていたであろう。われわれは今もずっと木の上にすわり、巻き尾を持っていただろう。実際はどうなったか。木の上にいた人は今どこにいるだろう。絶滅してしまったのだ」(『個人心理学の技術Ⅱ』)

このように、できることは何もないと考えて何もしない人のことをアドラーは「悲観主義者」と呼んでいます。アドラーは、「人生の要求に対する答えが誤っていた」といいます。「どうすることもできない」という答えは誤りだということです。

困難を深刻にではなく真剣に受け止める

反対に、「楽観主義者」は次のような人だとアドラーはいいます。

「楽観主義者は、性格の発達が全体として真っ直ぐな方向を取る人のことである。彼〔女〕らはあらゆる困難に勇敢に立ち向かい、深刻に受け止めない。自信を持ち、人生に対する有利な立場を容易に見出してきた。過度に要求することもない。自己評価が高く、自分が取るに足らないとは感じていないからである。そこで、彼〔女〕らは、人生の困難に、自分を弱く、不完全であると見なすきっかけを見出すような人よりも、容易に耐えることができ、困難な状況にあっても、誤りは再び償うことができると確信して、冷静でいられる」(『性格の心理学』)

楽観的な人は、悲観的な人とは違って、困難で危機的な状況を前にしても、できることは何もないと諦めたりしないで、「何をするべきか」を考え、どんな困難にも勇敢に立ち向かいます。

その際、困難を深刻に受け止めません。深刻であるということと真剣であるということは違います。真剣に取り組み、努力しなければどんな困難も解決することはできません。

もっとも、どれほど努力をしても結果を出せないことはあります。しかし、そのような時でも、楽観的な人は、決して深刻になって悩むのではなく、次の機会に目標を達成するために努力をさらに重ねることができます。「誤りは償うことができる」と確信しているからです。

ここでアドラーがいう「自分を弱く、不完全であると見なすきっかけを見出すような人」とはどんな人かは説明がいります。初めから困難を前にどうすることもできないと考えている人は、何もしない理由が必要なので、人生の困難に耐えられない理由を探します。

それが「弱いこと」や「不完全であること」であり、自分がそのようであると見なす「きっかけ」というのは、望む結果を出せないというような失敗をすることです。だから、再起を図ろうとはしません。

直面する課題が困難なので自分を不完全で弱いと見なすのではなく、困難に向き合わないために自分を弱く不完全だと見なすのです。不完全であることを認めることは「過度に要求」しない、つまり、とても達成できないような目標を掲げるというようなことをしないために必要ですし、失敗することを恐れて課題に取り組もうとしない人にとっては自分が不完全であることを受け入れる勇気が必要ですが、困難に向き合おうとしない人にとっては、不完全であること、弱いことは、本当は対処できることでも何もしない口実になります。自分を課題に直面するには弱く不完全だと見なすことも、「安直な逃げ道を探す」(Adler Speaks)ことです。

かくて、このような人は、最初から、困難を克服する努力をしないで、何か適当な理由を見出した上で、困難に屈し、どうにもならないと嘆いて何もしないのです。

この世界は薔薇色ではない

この「楽観主義」は「楽天主義」ではありません。アドラーは、

「親は、世界は薔薇色のものであるといったり、世界を悲観的な言葉で描写することを避けるべきである」(『子どもの教育』)

といっています。

親がこの世界は危険なところで生きることは苦しいとあまりに悲観的な言葉で語ると、子どもは人生の困難に直面する勇気をくじかれることになりますが、この世界は「薔薇色」だといい、子どもに成功者としての人生を歩ませる親がいます。そこで、人生の早い段階で難関の学校に行かせようとします。入学試験に合格することは困難だが、この難関を突破しさえすれば、その後の人生を楽に生きていけると子どもにいって聞かせます。

そのようにいう親でも、首尾よく合格しても、その後の人生が楽にはならないことを本当は知っているはずです。生きることは困難である。だからこそ、子どもには苦労させたくないと思うのです。親自身が成功した人生を送ってきたので、本当にこの世界は薔薇色だと思っていることもあるかもしれませんが。

ともあれ、親がどう思おうと、入学試験はその後の人生で待ち受ける困難と比べると何ということもありません。この人生は薔薇色と思うにはあまりに苦しく、楽天的には到底なれないと、子どもが早い時期に、親のいっていることが本当でないことを知ればいいと私は考えているのですが、首尾よく入学試験に合格し、その後も大きな挫折を経験しなければ、人生は自分の思う通りになる、自分の力が及ばないことなど何一つないと考えてしまいます。

何が問題かといえば、困難な目に遭っても、何とかなると思って何もしないことです。先に見た悲観主義者も、どうにもならない思って何もしません。しかし、何かしなければいよいよ事態は悪くなります。

楽観主義者は、どうにもならないと諦めて何もしないのでも、楽天主義者のように何とかなると思って何もしないのでもなく、できることをします。それで苦境から脱することができるかわからなくても、手をこまねいていることはありません。

*   *   *

アドラーの教えを実生活に生かしたい方は、『アドラーの教育論 対等と自立』をお読みください。

関連書籍

岸見一郎『アドラーの教育論 対等と自立』

「叱らない」「褒めない」「比べない」 ――真に子どもの能力を引き出す、アドラーの教育思想とは 子どもとの関係を見つめ直し、対人関係の悩みを解きほぐす一冊

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アドラーの教育論

「叱らない」「ほめない」「比べない」――それは、子どもを放っておくことではない。子どもを一人の人間として尊重し、自立へ向かう力を信じるための、アドラー心理学にもとづく教育のあり方だ。親がよかれと思ってやっている、「叱る」「ほめる」「先回りして手を出す」、こういった「教育」は、時に子どもの決断力や責任感を奪ってしまう。大切なのは、子どもを支配するのではなく、対等な関係の中で見守り、勇気づけること。本書では、アドラーの教育思想をもとに、子どもの自立を支える親や教師の関わり方をわかりやすく解説。競争、承認欲求、劣等感、受験、失敗、課題の分離、見守る勇気――。子育てや教育の現場で直面する問題を通して、子どもとの関係を見つめ直し、親自身の肩の荷も軽くなる一冊。子育て中の親はもちろん、教育関係者、親子関係や対人関係に悩むすべての人に向けた、実用性と教養性を兼ね備えたアドラーの教育論。

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岸見一郎

1956年、京都府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋古代哲学史専攻)。著書に『アドラー心理学入門』(KKベストセラーズ)、『幸福の哲学』(講談社)、『人生を変える勇気 踏み出せない時のアドラー心理学』(中央公論新社)、『老いた親を愛せますか?それでも介護はやってくる』『子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気』『成功ではなく、幸福について語ろう』(幻冬舎)訳書にプラトン『ティマイオス/クリティアス』(白澤社)などがある。共著『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)はベストセラーに。

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