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アドラーの教育論

2026.06.06 公開 ポスト

「うちの子は勉強が苦手」と思い込まないで 子どもの“どうせできない…”を変える親の接し方岸見一郎

「宿題をしない」「受験が近いのに焦っていない」「親として何をすべきなのか」――そんな子育ての悩みを抱えてはいないでしょうか?

子どもが自立へ向かうために必要なのは、子どもを一人の人間として尊重し、「叱らない」「ほめない」「比べない」こと。アドラー心理学の教育思想をもとに、親や教師が子どもとどう関わればよいのかをやさしく解説した、岸見一郎氏の最新作『アドラーの教育論 対等と自立』。本書の一部を再編集してご紹介します。

*   *   *

勉強しない子どもはできないと思い込んでいる

劣等感についても正しく理解しなければ、「前」(「上」ではない)に進むことの妨げになってしまいます。子どもが一生懸命勉強に取り組んでいれば親は安心ですが、時に勉強しなくなることがあります。

後に見るように、原則的には子どもの勉強に親が介入することはできないのですが、子どもが勉強をしなくなった時に、親や教師が子どもに一体何が起きているかを知っていなければ、対応を誤ることになります。

勉強という課題から逃げ出そうとする子どもは、「Aであるから(あるいは、Aでないから)Bできない」という論理を使って、自分でも勉強しないことを納得し、周りの大人も諦めさせようとします。このAとして、自他共にそういう理由があるのなら仕方がないと思える理由を持ち出します。

何かを課題に取り組まないことの理由として持ち出すことを、アドラーは「劣等コンプレックス」といいます。

「劣等コンプレックスを告白したまさにその瞬間に、生活における困難や状況の原因となっている他の事情をほのめかす。親か家族のこと、十分教育を受けていないこと、あるいは、何らかの事故、妨害、抑圧などについて語るかもしれない」(『個人心理学講義』)

さらに、次のようにもいっています。

「劣等コンプレックスは、しばしば、自分には特別な能力は何一つないという考えと結びついている。才能のある人もいるが、それ以外の人には才能がないと考えられているのである。そのような見解は、それ自身が劣等感の表明である。アドラーによれば、 『誰でも成し遂げることができる』のであり、少年や少女がこの格率にはついていけないと絶望し、人生の有用な面で目標を達成できないと感じるのは、劣等コンプレックスの表れなのである」(前掲書)

ここでアドラーが「劣等コンプレックスは、しばしば、自分には特別な能力は何一つないという考えと結びついている」といっているのは、特別な能力がないことを自分に与えられた課題に取り組まないことの理由にするという意味です。

子どもはただ勉強しないというわけにはいかないので、勉強しない理由を持ち出し、「Aでないから(特別な能力がないから)Bできない(勉強できない、試験に受からない)」というでしょうが、アドラーは能力がないことを課題に取り組まない理由とは認めません。先にも見たように、「誰でも何でも成し遂げることができる」と考えるからです。

アドラーがこのように主張した時、遺伝的な素質などを無視しているのではないかと批判されましたが、先にも見たように、本当は能力があるのに、親や教師から叱責され、そのため自分には能力がないと思い込んでしまうことに対して警鐘を鳴らしたのです。

アドラーは、「誰でも何でも成し遂げることができる」という格率を採用すれば「非常に聡明な子どもを持つことができる」といっています(前掲書)。当然のことながら、勉強しなければ成績は伸びませんが、適切な教育を受け、かつ努力すれば「他の人ができることは何でも成し遂げる」(前掲書)ことができるのに、一度自分ができないと思ってしまうと、もう追いつくことはできないと思い、その思いが「一生を通じての固定観念」(『子どもの教育』)になってしまいます。そうなると、そこから脱却しようとしなくなります。

アドラーは学生の頃、数学ができず、数学の才能が完全に欠如していると確信していました。

「幸い、私はある日、驚いたことに、私の教師を悩ませていた問題を解けることがわかった。予期していなかった成功が、数学への私自身の態度全体を変えた。以前はこの教科にまったく関心を向けていなかったのに、私は今やそれを楽しみ、あらゆる機会を私の能力を伸ばすために利用し始めた。その結果、私は学校でもっとも数学ができるようになった。この経験が、特別な才能や、生まれつきの能力についての理論が誤っていると私が見ることを助けた」(『人生の意味の心理学』)

勉強しないと決めている

アドラーは、勉強しない子どもは能力がないからではなく、課題に取り組まないでおこうという決心をしていることを指摘したかったのです。最初から勉強ができないと思う子どもはいないでしょう。成績の振るわない子どもは、親や教師から無能という烙印を押されると、そのことを勉強しないことの理由にするのです。

アドラーは遺伝的な素質に違いがあることを否定しているのではなく、それをどう使うかが重要であると考えています。素質や能力で学力が決まるのではないからこそ、教育が重要なのです。アドラーは次のようにいっています。

「もしも『君は数学の才能を持っていない』ということができれば教師の人生はもっと楽なものになるかもしれない。しかし、そうすることは子どもの勇気をくじくだけである」(『人生の意味の心理学』)

勇気をくじかれ、自分の能力には限界があると信じてしまっている子どもがいます。そのような子どもの実際にはない「限界」を取り除くことは、容易なことではありませんが、子どもの力を伸ばすためには、まず教師が能力には限界があるという考えを放棄しなければなりません。

クラスの中で最上位、最下位、平均並みかは、頭脳の発達というより、「心理的な惰性」を反映しているとアドラーはいいます。

「相対的な位置が時々変わることがあるという事実が重要である」(『子どもの教育』)

たとえ、ある時、悪い成績しか取れなくても、努力すれば位置を変えることはできます。それなのに、追いつけないと思って何もしないことが「心理的な惰性」ということの意味です。

能力がないのではなくただ知らないだけ

それでは、できないという思い込み、「心理的な惰性」からどうしたら抜け出せるでしょうか。まず、無能力であるという自覚を適切な方向へ導くことです。

「無能力であるという自覚に適切に対処すれば、高度な業績を達成するよう人を刺激する。最初は、自分には能力がないという強い劣等感を持っていた人が、人生で目覚ましい成功を収めることがあっても驚くことはない」(前掲書)

「無能力であるという自覚に適切に対処する」というのは、「能力がない」のではなく、ただ「知らない」だけであることを教えることです。

自分には能力がないと思うというのが「劣等感」ですが、実際に「劣っていること(劣等性)」ではありません。知らないことは劣っていることではありません。知らなければ学べばいいのであって、知らないからといって、劣っていると感じる、つまり劣等感を持つ必要はありません。

算数が不得意な子どもは最初から諦めている

次に、努力する必要があると教えることです。課題に取り組まないでおこうと決心しているのは、もっと頑張っていたらよい成績を取れたのにといえるからです。ところが、勉強という課題に取り組まないか、取り組むとしても努力をしようとしない子どもがいます。アドラーは次のようにいっています。

「よい意図を持っているだけでは十分ではない。われわれは、社会において大切なことは、実際に成し遂げていること、実際に与えていることであるということを教えなければならない」(『個人心理学講義』)

「よい意図を持っている」とは、何かをするという決意を表明するというようなことです。「今年は頑張って勉強する」とは誰でもいえますが、そのことと実際に勉強をし結果を出すことは別問題です。

多くの場合、決意表明で終わってしまいます。なぜそうなるかといえば、「やればできる」という可能性の中に生きたいからです。そして、可能性の中に生きるのは、結果が出るのを恐れるからです。

勉強をしない子どもに「なぜ勉強しないのか」とたずねてみても、おそらく自分でもわけはわかっていないでしょう。そのわけの一つが、結果が出るのを恐れることです。

頑張って勉強しない子どもに「もっと頑張ればよい成績が取れるのに」といっても頑張らないでしょう。よい成績を取りたくないわけではありません。頑張って勉強しなかったからよい成績を取れなかったというのであれば、受け入れることができます。次の機会に「もしも」頑張ればよい成績を取れると思えるからです。これが可能性の中に生きるということです。

しかし、頑張ったのによい成績を取れなかったことは受け入れたくはありません。自分の無能があらわになると考えるからです。さらに、結果を出すことを恐れる子どもは、結果を出さないために試験を受けないかもしれません。試験を受けなければ結果は出ないからです。

しかし、そのような可能性の中に生きなくてもいい、勉強が足りなければ低い評価がされるが、次はよい結果を出すためにただ努力すればいいと教えなければなりません。

アドラーは次のように子どもに語りかけています。

「最初は泳ぐのが大変だったことを覚えているだろうか。今のように泳げるようになるまでには時間がかかったと思う。何でも最初は大変だ。でも、しばらくするとうまくできるようになる。泳げるようになったのなら、本を読んだり、算数もできるようになる。でも、集中し、忍耐し、何でもいつもお母さんがしてくれると期待してはいけない。他の人が君より上手だからといって心配してはいけない」(『子どものライフスタイル』)

何事も一朝一夕に成し遂げることはできません。とにかく、最初の一歩を踏み出すしかありません。

他の人が上手であるかどうかも関係がありません。他の人がどうであれ、上達したいのであれば、努力も時間も必要です。勉強も同じです。

ここで算数が言及されていますが、算数が不得意な子どもは勇気がくじかれているとアドラーは考えています。

「どんな学科でも〔他の人が援助することで〕楽にできるようになるということがある。しかし、算数にはそういうことはなく、自力で取り組み考えなければならない。甘やかされた子どもたちは、大抵算数に十分準備されていないのである」(『教育困難な子どもたち』)

水泳も算数も、他の誰かが代わることはできません。それにもかかわらず、甘やかされて育った子どもは誰かに依存しようとします。算数でなくてもどんな教科も自分が努力しなければ身につきません。

依存的な子どもが課題に取り組めるようになるには、勉強に限らず生活の中で、自分がしなければならないことを周りの大人が取り上げないようにしなければなりません。たとえ最初は失敗し思うような成績を取れなくても、自力で取り組み達成感を持てる援助をすれば、勉強やスポーツでも最初から諦めることはなくなるでしょう。

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アドラーの教えを実生活に生かしたい方は、『アドラーの教育論 対等と自立』をお読みください。

関連書籍

岸見一郎『アドラーの教育論 対等と自立』

「叱らない」「褒めない」「比べない」 ――真に子どもの能力を引き出す、アドラーの教育思想とは 子どもとの関係を見つめ直し、対人関係の悩みを解きほぐす一冊

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アドラーの教育論

「叱らない」「ほめない」「比べない」――それは、子どもを放っておくことではない。子どもを一人の人間として尊重し、自立へ向かう力を信じるための、アドラー心理学にもとづく教育のあり方だ。親がよかれと思ってやっている、「叱る」「ほめる」「先回りして手を出す」、こういった「教育」は、時に子どもの決断力や責任感を奪ってしまう。大切なのは、子どもを支配するのではなく、対等な関係の中で見守り、勇気づけること。本書では、アドラーの教育思想をもとに、子どもの自立を支える親や教師の関わり方をわかりやすく解説。競争、承認欲求、劣等感、受験、失敗、課題の分離、見守る勇気――。子育てや教育の現場で直面する問題を通して、子どもとの関係を見つめ直し、親自身の肩の荷も軽くなる一冊。子育て中の親はもちろん、教育関係者、親子関係や対人関係に悩むすべての人に向けた、実用性と教養性を兼ね備えたアドラーの教育論。

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岸見一郎

1956年、京都府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋古代哲学史専攻)。著書に『アドラー心理学入門』(KKベストセラーズ)、『幸福の哲学』(講談社)、『人生を変える勇気 踏み出せない時のアドラー心理学』(中央公論新社)、『老いた親を愛せますか?それでも介護はやってくる』『子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気』『成功ではなく、幸福について語ろう』(幻冬舎)訳書にプラトン『ティマイオス/クリティアス』(白澤社)などがある。共著『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)はベストセラーに。

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