最近、だししゃぶにハマっている。この数ヶ月どれだけ作っただろう。週の半分は食べてる気がする。
ふとSNSで見かけたレシピを元に、家にあるもので簡単に作ってみたところ、白だしをベースにしたお鍋が今の自分にフィットし、思っていた以上にしっくり。それから何度も作るようになった。毎日でも食べられる。食に関してはあまり冒険をしないタイプのようだ。
スーパーで買う野菜も、なんとなくだいたい一緒だ。
たとえば、しめじよりえのきを選ぶ。ほうれん草より小松菜を選ぶ。値段を見ているようで、実はそれだけじゃない。気づけば、いつも似たようなものをカゴに入れている。私的安心ラインナップがある。
これが、無意識の好みなのかもしれない。
だししゃぶの具材も、自然と定番が決まってきた。
小松菜、えのき、もずく、そして豚肉。どれも特別じゃないけれど、これが一番落ち着く。もずくを入れると、とても美味しい。つるっとした食感と、だしのやさしい味が合わさって、すっと身体に入ってくる感じがする。今までは個包装されているもずく酢しか買ったことはなかったけれど、最近の定番、生もずくの購入頻度ときたら、歴代一位のスピードで大出世かもしれない。
その日の気分で、少しだけ変わることもある。小松菜がレタスになったり、お豆腐を入れてみたり。でも、大きく外れることはない。どこかで、自分が安心できるラインをちゃんと知っている。
そういえば、白だしにちゃんと触れるようになったのは、大人になってからだった。
白味噌も同じかもしれない。子どもの頃、家で食べていた記憶はない。地域性なのか、家庭の味なのかはわからないけれど、少なくとも私にとっては、あとから出会った味だ。
初めて白味噌のお味噌汁を飲んだとき、あれは何となくスーパーで買ってみただけだった。でも、「あ、おいしい」と思った。それは少しの驚きというか、すっと馴染むような感覚だった。こういう味が好きなんだな、と、あとから気づくような。
それまで、「好き」というものを、ちゃんと自分で選んできただろうか。
与えられたものをそのまま受け取って、それで十分だと思っていた気もする。
でも、大人になって、自分で買い物をして、自分で作るようになって、少しずつわかってきた。ああ、私はこういうものを選ぶんだ、と。
外で食事をして、締めに赤だしのお味噌汁を飲むと、それはそれで美味しいと感じる。けれど、家で使うお味噌を赤だしにしようとは思わない。その違いが、少し不思議だった。
美味しい、という感覚と、好き、という感覚は、似ているようで少し違うのかもしれない。
白だしや白味噌のやさしい味は、私の生活にすっと入り込んできた。気づけば何度も同じものを選んでいるし、それに安心している自分がいる。
そうか、これが好みというものか。
誰かに教えてもらうものでもなく、はっきりと言葉にできるものでもない。
こうして、スーパーの棚の前や、キッチンに立つ時間の中で、少しずつ積み重なっていくものなのかもしれない。
だししゃぶを作りながら、そんなことを考えた。











