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50代を迎え討つ!

2026.04.08 公開 ポスト

リッツカールトンと入れ歯 佐藤友美(ヘアライター・エディター)

KU-KU。それは全人生否定ワード

反抗期まっさかりの息子に言われて一番傷つく言葉を、紳士淑女諸君はご存知だろうか。

「うるせえババア」でも、「死ね」でも「キモイ」でもなく
「口、くさい」である。

 

KU・CHI・KU・SA・I

たった5文字で人を打ちのめす言葉として、こんなにも破壊力がある言葉があるだろうか。

たとえば、である。

「あの人、いい人だよね」
「うん、でも口くさいよね」

「あの人、仕事できるよね」
「うん、でも口くさいよね」

もう、これだけでもう、人生が全否定。

神様仏様すみません。生まれてきてすみません……。私は無価値です。いえ、無価値ならまだいいんです。口くさくないならむしろ存在感が無でもいいです。これから一生口くさに悩まなくていいのなら、それが何の神様であっても帰依します。
そんな気持ちで土下座したくなる。それくらい破壊力のあるワードが「口くさい」である。
さて、ここまで私は「口くさい」と書いてきているが、プロのライターとして視認性を重視するなら表記は絶対に「口臭い」である。
だけど、「口臭い」の文字は見るだけでえぐられるし、正直、「口くさい」でも辛い。書く度にHPが減っていく。だからここからは、略してKU-KUとさせてほしい。

KU-KUの何が問題かって、清潔感にかかわるからである。
そして、清潔感は、本人の努力でなんとかなると思われている。そこが問題だ。
つまり、KU-KUな人は、一般的に不潔だと思われている。歯を磨いていないとか、虫歯を放置しているとか、当然やるべき身だしなみを怠っていると思われる。

でも、ちょっと待って。こっから本気で聞いて欲しい! 息子にも知ってほしい!
私だってもちろん、してる! 歯磨きしてる!

どんなに朝昼晩歯を磨いても、フロスして舌磨きして、定期的にクリーニングに行っても、キシリトールを噛みまくっても、すぐに虫歯や歯肉炎ができる人っているんだよ。私だよ。
過去に歯医者に課金してきた値段で、車が1、2台は買える。それだけ投資してもダメなんだ。すぐに歯茎が赤くなる。油断すると虫歯ができる。
親も歯が弱かったから、これはもう、遺伝なのだと思う。この歯の弱さはある種の病気だと思って憐れんで欲しい。
どんなに気をつけてもKU-KUになりやすい私は、歯に障害を持っていると思って欲しい。

<閑話休題>

樹木希林さんが生前、カンヌ映画祭でグランプリをとった映画『万引き家族』のワンシーンについて、「あれは、女優にとってヌードになるよりも恥ずかしいことよ」と言われた話を披露していた。
何かというと、入れ歯を外して洗うシーンである。
老いがなんたるかを感じさせるそのシーンは、樹木希林さんが自ら是枝裕和監督に提案したそうだ。インタビュー記事には、いつかやってみたかったと書かれていた。

そんな「ヌードになるよりも恥ずかしいこと」を、私は天下のゴージャスホテル、リッツ・カールトンのお手洗いで、いたしたことがある。

まあ、聞いてくれ。

「クリリンのことか!」

リッツ・カールトン東京のお手洗いは広い。
ここ、家賃払って住めるなというくらいに広い。

そんなゴージャスなお手洗いで私は歯を磨いていた。このあと、同世代の男性美容師さん2人と、取材を兼ねた会食が入っていたからだ。

あれはコロナ禍のことだった。美容院ではどんな感染対策をしている? 資金繰りはどんな感じ? そんな取材をさせてほしいと仲の良い美容師さんにメッセをしたら、「久しぶりにご飯でも食べながら話しましょう」となった。謹慎状態にみんなほとほと参っていたころだ。

緊急事態宣言は解除されていたけれど、相手は有名美容師の2人だ。人目につく場所は避けたい。それならリッツ・カールトンのレストランはどうでしょうと提案された。
普段はそんな高級な場所でご飯を食べたりしないけれど、今回ばかりは「衛生状態がしっかりしたところがいいですよね」と言われ、納得した。
それに私だってもう、人と会うのは久しぶりすぎて、鬱々としていたのだ。いいじゃないか。ここ1ヶ月外食していないんだし、リッツ・カールトン!

久しぶりにわくわくした気持ちで服にワンピースに袖を通し、リッツに向かった。
途中お手洗いでメイクをチェックしたとき、「あ、歯も磨いておこうかな」と思った。そこまではいい。まあ、よくあることだと思う。
だけど、コロナ禍じゃないですか。1階の隅っこにあるそのお手洗い、人の気配が全くないのね。
だからちょっと気が緩んだ。ついでだから、入れ歯も洗っておこうと思ったのだ。

え、入れ歯? と思った人はいたかしら。
そう、私、40歳からずっと入れ歯が入っているのである!

子どもを産んだあと、もともと弱い歯がさらに弱くなり、頻繁に歯医者に行く余裕もなくなり、気づいたら奥歯が左右3本、イカれていた。神経を抜くだけでは無理で、仕方なく抜歯してインプラントを入れようと思っていた矢先だ。
信頼している整体の先生に、「あなたの場合、インプラントは偏頭痛をさらに進行させる可能性がある。いい歯医者があるからそこに行きたまえ」と言われた。

そこの歯科医に薦められたのが「義歯」だった。

「左右にブリッジさせる義歯を作りましょう」
と言われ、私は、はい、わかりましたと答えた。

義歯。
ぎし。
GI・SHI。

この発音から、それが「入れ歯」であるって気づかなかったんだ!!

びっくりするほど高い見積もりをもらい、でも食に関わることだし、ひいては命に関わることだし、仕方ないなと中古車が一台買えるほどの値段を支払い、歯の型をとって「2週間後にきてください」と言われ再訪したときに目にしたものが
……
……
……
「入れ歯」だったときの衝撃!!!

義歯って、義歯って……
入れ歯のことかーーー!!!

ってなったよね。

クリリンのことか! と叫んだ悟空の気持ち、わかった気がした。
絶望と怒り。そして、哀しみ。

でもまあ、こちとら中古車一台分払ってますからね。あと、これ入れないと、奥歯ないからですね。泣く泣く入れ歯を使う人生が始まりましたよ。
みなさん、もうわかりましたか。
これがですね。
「嗚呼哀しみのKU-KU」の元凶となるわけです。

「多分、母の、だと、思います」

さて、人の気配がまったくしないリッツカールトンのお手洗いで。ちょっと気がゆるんだ私は、歯を磨くだけではなく、入れ歯を外して磨いていた。久しぶりに人に会うのだ。身だしなみはちゃんとせねば。万が一にもKU-KUはゆるされない。
でね、そのまま向かった会食会場は美しく、料理は美味しく、ジェントルな美容師さんたちとの会話は楽しく、取材もしっかりできたうえに、久しぶりのお酒にほろ酔いになり、気持ちよく帰宅した私は、そのままメイクも落とさず爆睡し……。

次の日の朝に気づいた。

入れ歯が、
ない!!!!!!!

慌ててバッグの中を引っかき回すが、ない。

どこか道に落としてきたか? と思うが、道を歩いていて突然入れ歯が外れることがあるだろうか。いや、いかに私が注意散漫野郎でも、さすがに入れ歯が落ちたら気づくだろう。
私が身につけているものの中で間違いなくもっとも高価な代物だが、残念ながら「iPhoneを探す」のような追跡機能はない。
必死に脳内検索をする。昨日の行動を巻き戻す。どの時点まではあった? あれ? 食事のときはどうだった? ん? その前……。

ああ……。リッツ・カールトンのお手洗いだ……。歯を磨いたときだ……。
どうしよう。どうしよう。リッツに電話をして「忘れ物はありませんでしたか?」と聞くしかないか。私は脳内でシミュレーションをする。

先方「リッツ・カールトンでございます」
ゆみ「あの、おたくのホテルに忘れ物をしてきてしまったようなのですが」
先「はい、いつでしょうか?」
ゆ「昨日です」
先「どちらに」
ゆ「ええと、1階の、ミッドタウンにつながる場所にあるところのお手洗いに」
先「はい、お品物はなにでしょうか?」
……
ここで、「入れ歯です」と、言うわけだよな。

天下のリッツ・カールトン様だ。『超一流サービスの教科書』という本まで出ているリッツ様だ。よもや、ぷっと吹き出されることはないだろう。ないだろうけれど……。はずい。猛烈に恥ずかしい。

かくて私は、言ってしまいました。

「はい、お品物はなにでしょうか?」
に対して
「い、入れ歯です。あの、母が昨日、おたくのお手洗いに忘れてきてしまったと言うもので……」

北海道のおかーちゃん、ごめん。おかーちゃんのせいにしてごめん。冤罪ごめん。
先方は、笑ったりも吹き出したりもせずに「少々お待ちください」と、電話を保留にした。そして3分も経ったころだったろうか。「はい、間違いなくお預かりしております」と、受け取り方法を丁寧に教えてくれた。

昨日わくわくしながら向かった道を、私はドナドナの気持ちで再訪する。管理室的なところで「あのう……、お電話した佐藤です。あの……い、入れ歯の……」と言うと、「こちらで間違いないでしょうか?」とジップロックに入れられた我が子を手渡された。
紛れもなく我が子なのではあるが、これは母のもの、なのである。

私はその入れ歯をじっと見つめ、「多分……母の……だと、思います」と、初めて見るような顔をして我が子を受け取った。

神様、仏様、お母様。
嘘ついて、ごめんなさい。
リッツのお掃除の人、拾わせちゃってごめんなさい。

この罪は来世で償います。
来世は歯が強い子で生まれますように。

さて。この話にも続きがある。実はリッツ・カールトンから戻ってきた我が子(入れ歯)、こんな思いまでして取り戻したのに、現在使用不可状態になっている。それはなぜか。
そして、VIO脱毛よりももっと切実で、命に関わる話として、いま「入れ歯orインプラント闘争」が勃発していることをあなたはご存知か。
「介護を見越したら、インプラント or 入れ歯?」は、現在身体をはって取材中です。
近く、続編を書きますのでお待ちくださいね。

次回は、「マリー・アントワネットか、私か」 です。お楽しみにー!

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50代を迎え討つ!

美容ライター&コラムニストの佐藤友美(さとゆみ)が、きたるべき50代を、なるべく明るく楽しく最小限の痛手で迎え入れるために、尊敬する先輩や頼もしい識者の方々に話を伺いながら右往左往するコラム。

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佐藤友美 ヘアライター・エディター

ライター・コラムニスト。1976年北海道知床半島生まれ。テレビ制作会社のADを経てファッション誌でヘアスタイル専門の美容ライターとして活動したのち、インタビューライターに転向。現在は、様々な媒体にエッセイやコラムを執筆する。著書に『女の運命は髪で変わる』、『書く仕事がしたい』、『ママはキミと一緒にオトナになる』など。理想の男性は冴羽獠。理想の母親はムーミンのママ。中学生の息子を持つシングルマザー。

 

 

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