最近、生き急いでいる。本業のクランクインと、いくつもの締切。
プロデュースしている子ども映画ワークショップの撮影も近づき、準備も佳境に入っている。そこに確定申告まで重なっているのだから(これは早くやらなかった私が悪い)なかなかの混み具合である。
昔からテトリススケジュールには慣れているし、むしろ暇な方が苦手なため、苦ではなく、きたきたこの時期ーーーー!っという気持ちなのだが、忙しないモードが発令されると、気付くと戦闘体制になっている。そう。私が嫌いな私になりやすい。
頭の中では常に「次はこれ」「その次はあれ」と、やることのリストが更新され続けている。ひとつ終わると、ほっとする間もなく次のことを考えている。立ち止まる余白が、いつの間にかなくなっている。
そんな日々の中でも、どうしても譲れない予定があった。
大好きな映画『ウィキッド』の続編を初日に観ること。公開日がわかった瞬間にスケジュールに書き込み、忙しくても、この日だけは守ろうと決めていた。
劇場の暗闇の中で、物語に没頭する時間。
映画を観ているあいだだけは、頭の中のTO DOも、返信しなければいけない連絡も、すべてが遠くなる。
映画『ウィキッド』は、誰かに「悪い魔女」と呼ばれた人の物語だ。でも物語を追っていくと、その人の見え方は少しずつ変わっていく。
誰かの視点に立った瞬間、それまで当たり前だと思っていた世界が、違う顔を見せる。
人は、どこから世界を見るかで、物語が変わる。
エンドロールが流れ、劇場の明かりがついた。
余韻を抱えたまま外に出て、スマホを開く。
LINEが83件。
楽しみにしていた映画だったのに、少し後悔した。
返信が必要そうなメッセージを確認していくうちに、頭はすぐに仕事モードに戻ってしまう。さっきまで胸の中にあった映画の余韻は、どこかへ消えてしまった。やっぱり、すぐにスマホを開かなければよかった。
そう思ったのは、その日の夜だった。
預けていた荷物を取りに、姪っ子たちの家へ。ドアを開けた瞬間ぴょんぴょんして、嬉しそうに走って駆け寄ってくる。
「愛ー!」
くっついてきて、チューしてくれて、腕を引っ張られる。そのまま積み木をして、パズルをして、なかなか食べないごはんを私の膝に座ってきた瞬間に口に導く。でんぐり返し大会になったり何故かサッカーまで始まる。
子どもたちといる時間は不思議だ。
さっきまで頭の中を占めていたTO DOや連絡が、いつの間にか遠くなる。スマホを触ろうとすると
「愛ー!みてー!」攻撃に負ける。
姪っ子がソファからジャンプしてポーズを決める。
またジャンプしてポーズ。
またジャンプしてポーズ。
何回も何回も、同じことを見せてくれる。
「見てるよー!」
そう言いながら、ちゃんと見る。
ちゃんと見ると、どんどん嬉しそう加減は増えていく。
子どもたちは、褒められたことを繰り返すのか、同じことをする面白さを見てほしいのか、小さな変化を見てほしいのか。その瞬間、ふと思う。
私は今日、どれだけ「今」を見ていただろう。
壁に貼られたポストイットは減ったかと思えば増え、スマホの画面を見て、次の予定を組んで、こなして。
でも、今この瞬間を見ていた時間は、どれくらいあっただろう。
『ウィキッド』は「悪い魔女」と呼ばれた人の視点に立ったとき、世界の見え方が変わる話だった。
見る場所が変わるだけで、世界はまったく違う顔になる。
忙しい日々の中で、私はいつも「次」を見ている。
でも子どもたちは、「今」を差し出してくる。
「愛ー!みてー!」
その声は、まっすぐすぎるぐらいまっすぐだ。
未来でも過去でもなく、今この瞬間を見てほしいという声。何回も何回も言われるたびに、私は答える。
「見てるよー!」
今を見る。ちゃんと見る。世界の見え方は、どこを見るかで変わる。先を見ても、後ろをみても、何も変わらない。今、何を選択するかだ。
基本的に、いつ何が起こるかわからないから、「毎日を後悔せずに生きる」が私のモットーだけれど。それがゆらぐことも普通にある。
だから私は、ときどき立ち止まって考えなければいけない。
今日、私はどこから世界を見ていたのだろう。
明日、私はどこから世界を見るのだろう。
人は心臓がふるふるするんだ











