落ちた葉がコンクリートを乾いた音でなでる。かっこつけていても仕方がないので、正直に今の現状を言う。2025年の終わりに立ち、今、コンパスの針は不安定に揺れ、どの方角を向いているのか、風のこともよく見えない。
バンドの2025年は日比谷野音からはじまった。久しぶりに見た映像の中でわたしがMCで話した野心はライトアップせずとも爛々と輝いている。その輝きのガソリンは期待だ。何か、変われるはずだという自分や世界への期待。「今生きている日本を好きだと言いたい。」そのために47都道府県を回ると話した。
実際今年たくさんの場所に行って、炎を集めた。数えると年間66本ライブをしたみたいだ。色んな会場の外で話してくれた言葉や握手は短くとも一瞬で電撃のように体の中を走り抜けて、それぞれの暮らしやイメージをくれた。それらは記録には残らないし、全てを記憶に残しておくことはできないが確実に体の中を貫通した思い出たちだ。
47都道府県の区切りがついた11月、前借りしていたアドレナリンのツケを払いながら過ごした。ボーカルの録音をしようとスタジオのブースにたっても声が出ずにドクターストップさながら、エンジニアのウッチーストップで録音を諦めてトンボ帰りする日もあった。自分でも疲れていることに気づかなかったけど、寝ても休んでも、回復する箇所とは別のところがフリーズしていたのだと思う。
そんな中で故郷難波ベアーズが来年終わるというニュースが届く。転校の多かったわたしには特別この地元をレペゼンするみたいなルーツはなかったけど、唯一、バンドが始まったこの難波ベアーズは故郷と素直に呼ぶことができた。DOMMUNEでビル建て壊しの発表を聞いて、わたしはその晩、街に出た。帰る場所がなくなるのはこんな気持ちなのか。高架下にホームレスのおっちゃんが空き缶の袋を引きずりながら歩いていた。ネオンの色がわからなくなるくらいその晩は酔った。
そして燃えた。
予想していたのとは違う方角から届いた炎で全ての記憶が煙に押し流されてしまった気分だ。ツアーで手にした炎とインターネットから届く誹謗中傷の炎、二つは混ざり合うことなく、独立していて存在し、わたしは困惑した。何を日本と呼べばいいのか、鍵を飲み込んでしまった。取り巻く情勢の悪化や分断の加速には底が見えず、そして虚無感は厚い壁になりにじりより、崖においやる。影響は自分の想像を超えてたくさんの物と絡みつき、ここには書けないようなトラブルもいまだに生々しく存在している。わたしたちの挑戦の旅はここまでなのだろうか? 日本武道館を越えられずにわたしたちは散るのだろうか? この感覚はどこか懐かしく、記憶をたどれば初めてフジロックのホワイトステージに出演する前にもこの感触があった。
そこに立つ資格を試されるように直前でトラブルが続き、アンプは燃え、開始10分で音が出なくなり、イーグルは苗場にギターを忘れた。DIYでやっていると事務所もレーベルも盾にはならず、生身の身体に全てのトラブルが直線に刺さる。呪いのような連鎖を乗り越え、掴みとったステージだった。あの時、悪魔を振り切ったと思った。終わった後の乾杯を忘れない。タブを開け、缶をぶつけ合わせ泡が飛び散る瞬間、したり顔の悪魔が頭上に抜けていったのを覚えている。
わたしの炎上を通して、この時代のえぐさが生々しく見えて腰が引けたという声を街で会ったお客さんにいくつも聞いた。実際、その燃えている期間、わざわざそのトピックに突っ込んでいく人は数えるほどしかいなかった。仕方がない。火は隣の畑に移り、景色や平穏を焼いてしまう。こうやって人は黙っていくのか。するすると流れていく新たな不穏なニュースを横目に目の前のやるべきことに追われた。
「日本が好きか?」「この時代は好きか?」歯切れ良く答えたかった。わたしは一年かけてこの実感を手に入れようとバンで日本中を回っていた。生きている時間を肯定したかった。寄った眉間と噛み潰した苦虫の奥に拳をあげるフロアの顔が見える。ライブハウスで手を振り見送るスタッフの顔が見える。大雨の中、打ち上げ会場へ向けて歩く対バンの友達の顔が見える。安ホテルの部屋のカーテンからさした朝焼けの光沢が見える。知らない街の校庭でサッカーをする小学生、あくびして新聞配達をする学生のシャツはズボンからはみ出ている。俺の店で飯食ってくれと言われ出てきたまんぷく必至のどんぶりに笑う。写真撮影、ハイチーズ。「店の一番いいとこに飾っておくね」と受け取ってくれたポスター。商店街を掃除するおばあちゃんのかかとを履き潰したシューズ、物販でする握手は汗ばんでいて、人間の温度があった。
みんな元気にしてるか? わたしの方はそこそこかな。悔しいよ。でも全てが日本で、全てが2025年だった。突き抜けない気持ちの理由は全てここにあった。わたしは複雑な種類の炎に煽られて未だ答えを出せずにいる。ここはどんな国で、今はどんな時代なのだろう。そしてこれからどんな風になっていくのだろう? 武道館に辿り着いた時、この時代を生きていくあなたとこれからを笑えるだろうか? 嘘や虚勢ではなく本当に肯定できるだろうか。
アルバムはそんな渦中で作った。今年は大晦日まで、そして年を越した1/4まで最終のミックスは続く。起きてる現象とは真逆の歌詞を歌い、困惑する気持ちを横目にわたしたちを引き上げてくれた。全てはアルバムが語ってくれる。そんな祈りを込めて、どれだけ落ちても迷っても音楽と向き合う時間には祈りで関わり続けた。祟り神になりたくないんだ。ここに込めた時間たちが最後の追い風を起こす。信じてる。きっと霧で埋まった視界の中にも風は吹く。少し待っていてほしい。風が見える時が来たら、どうか応援してほしい。
2025年、本当にありがとう。色々あった。シンプルに疲れたよ。全てがうまくいったと思える未来は、少し先になるかもしれない。今はこの時間を一分一秒踏み締めて、今年に置いていくもの、来年に連れていくものと対峙したいと思う。ため息なのか深呼吸なのか、今はどちらでもいい。どうか、良いお年を。
年をまたげばきっと、風が吹くから。

(photography Shiori Ikeno)
*マヒトゥ・ザ・ピーポー連載『眩しがりやが見た光』バックナンバー(2018年~2019年)












