気がつけば師走。
毎年のことながら時の早さに驚きつつ、日々仕事をしている毎日。
寒かったり暖かかったりで体調の管理も大変。
皆さまは元気でお過ごしでしょうか?
さて、私はと言えば
一月本番の舞台の稽古真っ最中。
そしてありがたい事に、一月期の連ドラのレギュラーも決まって
舞台の稽古と撮影でドタバタしていて、まさに幸せな師走を体感している。
先日、舞台稽古の休憩時間に、演出部の同世代の男性と雑談していた。
その男性に「年末年始はどうするんですか?」と尋ねると
「義母が今年亡くなったので、諸々を整理しに妻の実家に行きます」と答えた。
「50代60代はそういうお年頃なんですよね」と私が答えて休憩が終わった。
その日の稽古場からの帰り道、私は思い出していた。
身内が三年立て続けに亡くなった時のことを。
5年前に母が。4年前に伯母が。そして3年前に夫が。
時薬というのは本当の事で、今ではだいぶ立ち直っているが、そりゃあ人が亡くなるというのは、なんとも切なくて辛いもので、当時はずいぶん落ち込んで、親しい友人たちにとても救われた。
それでふと思い出したことがある。
今も当時も、何があっても仕事は休めないし、大人なんだから気丈に振る舞うのは当たり前のこと。
仕事場では変わらず明るく元気なよく笑うおばさんとして、立ち回っていた。
休みの日は休みの日で、親しき友人たちが私を一人にしないように、食事に連れ出してくれていた。
それでも、たまに一人になりたくなる時があった。
そんな時は犬猫と遊びながら、映画や昔のドラマを見ていた。
頭の中に違う情報を入れないと、亡くなった人たちのことで後悔が押し寄せてくるから。
ただ映画やドラマは人が亡くなるシーンが多い。
いや、私だってそういうシーンを演じた事が数えきれないほどあるし、物語の重要なシーンであることも分かっている。だからそういうシーンを否定しているわけではない。
とにかく当時の私は、たとえ物語でもそれを見るのが辛かった。
でも、何か見たい。
そんな時、その状況の私が唯一見られた作品が
「男はつらいよ」と「勇者ヨシヒコ」である。
「男はつらいよ」に関してはもう40年も前から見続けている映画で
なんならセリフを覚えてしまっているシーンがいくつもある。
それでも、登場人物たちの底抜けに明るく、元気な姿を見て私も少し元気になった。
寅さんの一挙手一投足に笑って泣いた。
でも、寅さんが恋をしてフラれるシーンは早送りにしていた。
物語とはいえ、人が辛い気持ちでいるのを、当時の私は見ていられなかったから。
だから面白いシーンだけをかき集めて見続けた。
そして「勇者ヨシヒコ」
実は私もその昔、ワンシーンだけ出演したことのあるドラマ。
このドラマ、とにかくバカバカし過ぎて、割とキツい状況にあった私でも、何度も大笑いをした。
前に見ているから全部知ってる話なのに、その都度新鮮に笑った。
気がつくと私の心は、不思議と少しだけ軽くなっていた。
いや、当時はそれさえも自覚する余裕がなかったが、今思い返せば
「男はつらいよ」と「勇者ヨシヒコ」を一人で見ていた時間は、確かに私の心に活力と元気と笑いをくれたのだ。
私は強く思う。
笑いは人の心も救うし、世界平和に繋がるのだ! と。
その「勇者ヨシヒコ」の監督でもある福田雄一さん脚本・監督の映画
「新解釈幕末伝」が只今絶賛公開中です。私も旅館の女将役で出演してます。
私も試写を見せていただきましたが、涙流すほど笑いました。
色んなものを笑いで吹き飛ばしたい方にぜひおすすめです!
さて、結局今年も笑いの話で締めくくる事になりました。
今年も読んでくださった皆さま、ありがとうございました。
来年が皆さんにとって笑ってばっかりの一年でありますように。
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山野海の渡世日記

4歳(1969年)から子役としてデビュー後、バイプレーヤーとして生き延びてきた山野海。70年代からの熱き舞台カルチャーを幼心にも全身で受けてきた軌跡と、現在とを綴る。










