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 ごくたまに新刊イベントや対談、テレビなど人前に出ることがある。おしゃべりで声が大きいので、そういう場が得意だと思われることが多いのだが、歳を重ねるごとに苦手になった。
 出るのが嫌なのではない。出た晩、己の言動を省みて必ず眠れなくなるから嫌なのだ。

 出しゃばり過ぎだった。
 あの話は自慢に聞こえなかったか。
 人さまが聞きたい話だったろうか、本当はもっと別のエピソードが良かったのでは。……etc。

 考えれば考えるほど後悔して眠れなくなる。周りに漏らすと「大丈夫だよ、気にしすぎだよ」と言われる。
 きっと世辞だ、また無駄な気を遣わせてしまったとまた悔いる。

 とくにライブや生放送がいけない。テレビなど、私はまばたきする間にいなくなるくらいの出番で、それも何カ月かに一度なのに、出演した日は眠れない。「おりん」という仏具の音を収めた音叉を延々聴いたり、できるだけ眠くなりそうな小説の朗読を流したり。
 
 いったい生放送を生業(なりわい)にしている人たちはどうやってこのようなストレスをなだめているのか。それともプロは、もはや緊張や後悔などしないのか。
 つねづね不思議に思っていたいところ、縁あってDJといえばこの人という、第一線で長く活躍している女性と卓を囲む機会を得た。
 共通の知人の編集者がつなげてくださり、三人で杯を傾けた。

 会話が深まった頃、そうだ今こそと問いかけた。
「生放送後に、ああ言わなければよかったこう言わなければと思って後悔することはないのですか」
 笑いながら彼女は即答した。
「ありますよ~。毎日そんなことばかりです」
「そんなとき、どうやって自分の気持ちを落ち着かせるのでしょう」
「言ってしまったものを元に戻すことはできないので、これも私だと受け止めます。後ろより前を向くしかないんですよね。そうだ、そういうときひょいって、よくひとりで出かけちゃいます。日帰りの小さな旅」
 わあそれいい! と、編集者が身を乗り出した。

 我が家の子どもたちは巣立ったが、編集者もDJの方も、母親が泊まりで留守をするには、まだ心もとない年齢の子がいらっしゃる。
 だから日帰りという言葉に目を輝かせたんだろう。

 ここなんかいいですよと教えてくれたのは、団体客禁止・ひとり客歓迎の不思議な温泉だった。
 ホームページを見る限り、なんだったらおしゃべりも控えてほしいトーンである。予約も不可。

「ここで一日お風呂に浸かるってるんですか?」
「お風呂に入ったり、休憩用個室を借りて本を読んだり。最後は結局、台本なんかも開いちゃうんですけどね」

 手持ち無沙汰で、仕事を少ししてしまう気持ちは私にもよくわかる。気になる仕事のメールを我慢するより、簡単に返事できるものは処理したほうが落ち着く。今日は完全に仕事禁止とガチガチに決めるより、きっとひとり旅にはそれくらいのゆるさ、自由さが必要だ。

 彼女にはそんな、ふらりとひとりで行けて、その日のうちに帰ることのできる秘密の癒やしスポットがいくつかあるらしい。
「自分養生」という言葉がふと浮かんだ。
 耳にすると心鎮まる、独特のしっとり落ち着いた穏やかな声。ああいう声を持つ大人は、よれよれになったとき自分をどうしたら繕うことができるか、養生の術(すべ)をいくつも持っているのだ。

 食事をして何日か経った頃、編集者から写真が届いた。
 くだんの温泉にひとりで行く途中。車内の風景だった。
 わくわく、ほっこり、嬉しい気持ちが伝わり、こちらまで心がほころぶ。
 暮れが押し迫った年末で、出版の世界では進行がすべて前倒しになる。超がつくほど忙しい時期のはずだった。
 忙中閑あり。ぽこっとエアポケットのように空いた時間を見つけて、電車に飛びのったのだという。
 彼女もあの席で、私以上に疲れていたのかもしれない。
 そういうときこそ、つかの間のひとり旅は沁みる。

 半年後、私は友達とふたりでようやく行けた。
 突然前日に決めたのだが、想像の何十倍も素晴らしかった。なにしろスマホ禁止なので、行った人の口コミや情報がない。だから想像する余地がたくさん残されている。それが良かった。

 山の麓。敷地のすべてが静寂に包まれている。川床いっぱいに窓が開いていて、風呂上がりはせせらぎだけが聴こえる休憩室のリクライニングチェアに体を預け、じーっと耳を澄ます。こんなにも近場で、自然の懐に抱かれるような感覚を味わえるところがあったとは。

 それからまたしばらくした頃。
「いま、ここ」
 同行した友達から写真が届いた。思いついて、ひとりでその温泉に行くところとのこと。
 うんうん、ふたりも楽しかったけれど、あそこはひとりが合いそうだ。
 人知れず、近場のひとり旅は伝染していた。

 庭園。少し遠くの神社や寺。水族館。プラネタリウム。電車やバスを乗り継いでいく場所にある美術館。ここなら心を洗濯できる、必ず元気になれるという、秘密の自分養生の場所をいくつか持っておくと、お守りになる。
 その際の約束ごとはただひとつ。ちょっと遠くて、しかし遠すぎない絶妙の距離であること。泊まりでなければ、気軽に身ひとつでぽつんと赴くことができる。気まぐれな自由行動は、非日常つまり旅の特権である。

旅先で見る夕焼けはなぜあんなに感慨深いのだろう

 

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ある日、逗子へアジフライを食べに ~おとなのこたび~

早朝の喫茶店や、思い立って日帰りで出かけた海のまち、器を求めて少し遠くまで足を延ばした日曜日。「いつも」のちょっと外に出かけることは、人生を豊かにしてくれる。そんな記憶を綴った珠玉の旅エッセイ。

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大平一枝

文筆家。長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に「東京の台所」シリーズや『人生フルーツサンド』『こんなふうに、暮らしと人を書いてきた』『そこに定食屋があるかぎり』など。「東京の台所2」(朝日新聞デジタル&w)、「自分の味の見つけかた」(ウェブ平凡)、「遠回りの読書」(サンデー毎日)など各種媒体での連載多数。

HP:https://kurashi-no-gara.com/

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