
暑い夏もようやく鳴りをひそめ、秋がそこまでやってきていますね。
みなさまいかがお過ごしでしょうか?
さて、山野海
9月で還暦になりました。
ぼんやりしてたら、この世に生を受けて60年も経っていました。
いやはや、60年という月日が長いのか短いのか
なんの実感もないまま今に至っている。
しかし還暦というのはなんだか節目の年のような気がして
今年の6月くらいから急にその事を意識しだし
赤いパンツを12枚も購入し、還暦を迎えるにあたりの士気を高めておりましたが
とうとう9月16日にその日を迎えました。
私は毎年、自分の誕生日は一人で過ごす事に決めていて
その日はいつもなんとなく、自分の両親や先祖、そして亡くなった夫のことなど思いながら淡々と過ごしていた。
もちろん誕生日前後に会った優しき友人達には、いつもお祝いしてもらっていたが。
今年もそのつもりでいたが
ふくふくやの演出助手の山口直子が6月のある日に突然言い出した。
「海ちゃん。今年は還暦だよ。絶対みんなもお祝いしたいはず。だから誕生日の日は絶対一人でどっかに行かないでね!」と。
普段は穏やかで物腰の柔らかい直子だが、この日だけいつもと違いむちゃくちゃ怖い顔。
気づくと私は「うん」と頷いていた。
そして誕生日当日。直子が強い口調で「18時ぴったりに来てね。その前でも後でもダメだからね!」と、ここでもまたもや怖い顔で言われ、私は18時ピッタリに店の前に着いた旨を直子のスマホに告げると、直子が迎えに来る。
店の中へ入ると、なんと21人もの人がクラッカーを鳴らし、ハッピーバースデイを歌いながら迎えてくれた。
そして気がつくと赤いTシャツに着替えさせられ
みんなの真ん中に立っていた。
その瞬間から嬉しさマックスになり、とにかく来てくださった方みんなとお喋りしたくて、各テーブルを回って幸せな気持ちになっていた。
が、幸せな気持ちと言うのはお酒を美味しく感じさせ、ごぶごぶ飲めちゃう。
気がつけば開始1時間で酔っ払う私。
そうして、お誕生日プレゼントをいただき、ケーキまで私の大好きなフルーツケーキを用意してもらい、当日仕事でどうしても来られない方々からは動画でお祝いをしてもらった。
そして酔って喋って笑って大爆笑の連続で馬鹿騒ぎして、あっという間にお開きになった。
このパーティーの間中、私はずっと仲間達の愛をたくさん感じていて、誰にも見つからなかったけど少し泣いた。もちろん嬉し泣き。
お調子者で口が悪く、せっかちの上に割とバカ。
そんな私の為に忙しい中、お祝いに駆けつけてくれた仲間達。
動画を送ってくれた方々。
こんなに幸せな時間があるのなら、60代もきっと楽しい事だらけ!
そう思わせてくれたのは、いつも私の周りにいてくれる仲間達だった。
出会に感謝。生きてて感謝。感謝と感謝と愛と愛しかない一日であった。


私は最近お題目のように唱えている言葉がある。
「愛と夢と勇気と希望と笑いと感謝」
これさえ心の真ん中にしっかりとあれば、すべてのことが大丈夫だと信じている。
私の60年の生涯から出てきた言葉だと思っていたが、それは間違いだった。
私が生まれてきてから、今まで出会ってくれたすべての人々に教えてもらった言葉だったのだ。
本当に幸せな60代のスタートでした。
読者の皆様にもお伝えしたい。
いつもこのエッセイを読んでくれてありがとうございます。
愛と夢と勇気と希望と笑いと感謝です!
還暦になりたての山野海より。
山野海の渡世日記の記事をもっと読む
山野海の渡世日記

4歳(1969年)から子役としてデビュー後、バイプレーヤーとして生き延びてきた山野海。70年代からの熱き舞台カルチャーを幼心にも全身で受けてきた軌跡と、現在とを綴る。