
4継(4×100mリレー)でインターハイ出場を目指す高校女子陸上部の物語『そして少女は加速する』より、第1章を特別公開。
陸上にすべてを賭ける情熱は、世界陸上だけじゃない!ここにもある!
大切な試合で、バトンミスをしてしまったイブリンの、悪夢の瞬間とは――。
* * *
横澤イブリン(2年)
6位に入ればインターハイに行ける南関東大会女子4×100mリレー決勝。
幡高男女のリレーは、ここ6年の間、全国に出場できていないこともあり、大きな期待がかかっていた。とくに女子の4×100mリレーは、予選タイムが全チーム中で5番目という好成績で決勝に残っており、自分たちの力を出せれば、全国出場も難しくない位置につけている。
今年の幡高の女子リレーが強いのは、柚月先輩の存在によるところが大きい。柚月先輩は100mのベストタイムが11秒91という、全国でも入賞を狙えるほどの実力の持ち主だ。
にもかかわらず、先輩はいまだ一度もインターハイに出たことがない。1年次はそれほど目立った実績はなく、2年になって急激に記録がのびたが、その年、つまり去年は、突然流行がはじまった新型コロナウイルスのせいで、インターハイが行なわれなかった。なので、柚月先輩にとっては、今年が最初で最後のチャンスになる。
だが、この日の正午過ぎに行なわれた女子100m準決勝で、柚月先輩はあろうことかフライングにより失格になったのだった。男勝りの柚月先輩が泣くのを初めて見た。
イブリンは自分のことのように胸が痛んだ。
泣きじゃくる先輩をみんなで励ました。先輩自身もやがて気持ちを切り替え、4継では必ず全国への切符をと、ふたたび集中して、この4×100mリレー決勝に臨んでいる。
幡高は2レーン。
1走 手平あかね
2走 上村柚月
3走 横澤イブリン
4走 水無瀬咲
先輩が100mで果たせなかったインターハイ出場を、この4継で果たしたい。誰もがそう考えていたし、それはほぼ手中にあると信じていた。
号砲が鳴り、1走のあかねが期待通りにいいスタートを切るのが見えた。
1年生ながらトップ争いから脱落することもなく、力強い走りでエースの柚月先輩に繋ぐ。先輩はそこからぐんぐん加速してインコースの房総北を引き離し、そのまま優勝候補である千葉育青、桐山と並ぶ勢いで突っ込んできた。
バトンゾーンで待っていたイブリンは、いつにない重圧を感じた。
絶対6位に入らなければ、そう意識すればするほど、6位に入れなかったらどうしよう、という不安にすりかわっていく。
早くスタートしてしまったのは、焦りからだった。
横並びでなだれ込んでくる全チームの気迫に押されるように、柚月先輩がマーカーを越える前に出てしまった。
一瞬早すぎたと自覚したが、出た以上は全力で加速するしかない。ここでためらうと逆に詰まってバトンパスは失敗に終わる。
そう判断して加速を続けたが、柚月先輩が追いついてこない。
「はい!」
という各チームの選手たちの合図の声が聞こえるなか、柚月先輩の「はい!」が聞こえない。思わずスピードを落とした。
柚月先輩が追いつき、右手にバトンをねじ込んできたが、もたついている間に他のチームは次々と先へ行ってしまった。
バトンパスは、小さなミスが命取りになる。とりわけ実力が伯仲した接戦では。
イブリンがふたたび走り出したときには、幡高は全チームから遅れていた。
力の限り走っても、ひとつ前のチームにすら追いつけない。アンカーの咲にバトンを渡したのは、全チーム中8番目、つまり一番最後だった。
やってしまった――。
仮に追いついていたとしても、そもそもがオーバーゾーンで失格になっていたことを、イブリンは後で知った。
インターハイ出場の夢は潰(つい)えた。
レース終了後、トラックを退出したら、その場でしばらく動けなかった。現実がうまく飲み込めない。なんでこんなことになったんだろう。
呆然としたまま荷物を引き取り、コンコースへ戻る。幡高のリレーメンバーが集まっているのが見えた。メンバーと顔を合わせるのが怖い。
イブリンはそれでものろのろと近づいていく。この場から逃げてしまいたいがそれはできない。
柚月先輩が床に両手をついて泣いている。咲もその横に座り込んで泣いている。あかねは虚ろな表情で、どうしていいかわからないというように、ふたりのそばに立ち尽くしている。
そのとき、不意に鋭い声がした。
「なんで!」
柚月先輩が叫んだのだ。
イブリンは冷水を浴びせられたかのように、その場に凍り付いた。
その怒気を含んだ棘(とげ)のある叫びが、イブリンの胸に突き刺さる。
先輩がイブリンに向かって叫んだのかはわからない。イブリンが戻ったことに気づいていたのかどうかもわからない。
それでも、それは自分に対する先輩の怒りにちがいなかった。
自分のせいで全国を逃した。その事実が胸にのしかかる。声が出ない。
自分だけがこの場から沈み込んでいくような孤独。
すぐに、あかねが、
「イブリン先輩、お疲れさまです」
と言うのが聞こえ、咲がこっちを見て、涙をぬぐった。柚月先輩はふり返ることもなく、それ以上何も言わなかった。
号泣する柚月先輩を、咲とあかねが支えるようにしてスタンドに戻る。
その途中、イブリンはようやく謝った。それまで声を出すこともできなかったのだ。
「すみません……私のせいです……」
一度声に出すと、堰(せき)を切ったように嗚咽がこみあげてきた。泣きながら何度も何度も謝った。
柚月先輩だけでなく、咲にも、あかねにも。スタンドに戻ると、棚橋先生やみんなにも謝った。
誰もが「気にするな」「そういうこともある」「次がんばれ」と言うのを上の空で聞いた。
柚月先輩もさんざん泣いたあとで、イブリンは悪くないと言ってくれた。
だがイブリンの耳には、先輩の「なんで!」という叫び声が鋭く刺さって離れない。
自分は大変なことをしてしまった。
翌日、200mの予選が行なわれ、柚月先輩はもともと100mのほうが得意だったこともあって、精彩を欠き、決勝に残ることはなかった。
試合後のミーティングで、柚月先輩はさばさばした態度で、自分はこれで引退するが来年は絶対インターハイに行くんだよ、と後輩を優しく激励した。
イブリンはそんな先輩の姿をまともに見ることができなかった。
最悪だ……消えてしまいたい。
結局今年、高幡高校で全国に出場できたのは、男子の400mひとりだけで、女子はゼロだった。
(第2章~は、本書でお楽しみください)
そして少女は加速する

コンマ1秒で悪夢に陥る、バトンミス。
それは、あまりに儚く、あまりに永い、「一瞬」――。
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高幡高校陸上部の4継(4×100mリレー)の女子リレーチームは、痛恨のバトンミスによりインターハイ出場を逃していた。
傷の癒えぬまま、それでも次の年に向け新メンバーで再始動する。
部長としての力不足に悩む水無瀬咲(2年)、
チーム最速だが、気持ちの弱さに苦しむ横澤イブリン(2年)、
自分を変えるために、高校から陸上を始めた春谷風香(1年)、
なんとしてもリレーメンバーになって全国に行きたい樺山百々羽(1年)、
部のルールに従わず、孤独に11秒台を目指す手平あかね(1年)。
そして、ライバルや仲間たち。
わずか40秒あまりの闘いのために、少女たちは苦悩し、駆ける――!
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100分の1秒が勝敗を分ける短距離競技は、天国も地獄も紙一重だ。
個人競技でありチーム競技でもあるリレーの魅力を、とことんまで描いた!
悔しさも、涙も、喜びも、ときめきも全部乗せ!のド直球な青春陸上物語。