
「陸上青春小説の新たな名作が誕生した!」と、声が上がっている小説『そして少女は加速する』。高校女子陸上部の5人は、4継(4×100mリレー)でインターハイ出場を目指す――。
胸が熱くなる世界陸上の選手たちの姿。あの晴れ舞台に憧れる女子高生たちがここいにいる!
小池祐樹選手を、マイ神棚に祀っているほどの小池選手を崇めている、百々羽は!?本書の第1章より公開。
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樺山百々羽(1年)
昨日、学年別大会の1日目に、風香が12秒93を出したのには驚いた。
風香は高校に入って陸上を始めた初心者で、しかもあんなリスみたいな幼い顔で、ぜんぜん速そうに見えないのに、いきなり12秒台。スポ科(スポーツクラス)の自分が進学科の風香にコンマ2秒近くも負けるなんて、ありえない。
まあ、風香が走ったときは追い風1. 2mで、自分のときは0mだったっていうのはある。でも油断していた。もっと本気で走ればよかった。自分だって中学のときは12秒台、それも 12秒76というタイムで走っている。だからこそ幡高(ハタコー)の陸部に優待で入れたのだ。
インターハイで走りたい。
その思いがあるから、陸上強豪校に来た。
自分ひとりでは行けなくても、強いメンバーといっしょのリレーなら、全国に行けるかもしれない。そう考えたのだ。他人任せの甘い考えだってことは否定しないけど、出たいものは出たい。そして将来「インターハイ? ああ出たよ」ってさらっと言えたらかっこいい。
リレーメンバーは4人だから、部で4番手以内に入ることを考えると、初心者の風香に負けるわけにはいかなかった。
昨日調子が出なかったのは、1週間前に突然、橋棚(たなはし)先生から今日のマイル(4×400mリレー)に出るように言われて気が重かったからだ。そのせいで、メンタルが絶不調だった。
幡高の陸部は毎年男女のリレーに力を入れているが、4継(4×100mリレー)と違い、もうひとつのリレーであるマイルは、なかなかメンバーが揃わない。
400mはきついからだ。そのため、中学女子には400mという種目がなかったぐらいだ。
なので高校入学時点で400mを専門にやってる女子はいないし、マイルのメンバーが揃わない高校も少なくない。
それでも今年は、黒川ナオが400mをやりたがっており、2年で200mの横澤イブリン先輩と、800mが専門の千葉真優先輩、そして手平あかねの4人で組めば、戦えるチームができそうだと先輩たちが話してた。
ところが、あかねが出たくないとゴネたせいで、急遽自分が代わりに出るよう言われたのである。あかねは200m以上の距離は得意ではなく、練習でも、距離が長くなると100mのときのような爆発力はあまり見られない。でも、だからといってあたしより遅いかというと、そんなことはなく、競走したことはないけど、本気で走れば400もきっと速いだろう。
つまり彼女は、単に長い距離はきついから走りたくないだけなのだ。
あかねは逃げた。4継とマイル両方出るのがきついというなら、イブリン先輩はどうなのか。
先輩は両方出る。イブリン先輩とあかねが出れば、マイルだって優勝できるかもしれないのに。
あたしだって、断れるならマイルは断りたかった。あたしも専門は100、200だ。きついマイルなんて出たくない。
でも、自分はあかねみたいに速くないから、先生に言われたら逆らえない。
棚橋先生は、あかねにだけ甘い。4継メンバーにあかねがいれば、全国に行ける可能性が高まるからだ。そのために中学まで出向いて行って必死で口説いて、うちの陸部に呼び込んだのだ。
髪のこともそうだ。幡高陸部には女子の髪はショートでなければならないというルールがある。自分は入学前に、女子部長の上村柚月先輩から髪を切れと言われて切ってきたのに、あかねは切りたくないとこれもゴネて、いまだ長いまま見逃されている。
部のルールなのに、なんでそんなわがままが許されるん? これ、どう見ても、依怙贔屓(えこひいき)じゃん。
わかってる。スポーツの世界は、実力のある者が贔屓され、実力がない者の気持ちは無視される。
だから自分もせめて全国に出て、一目置かれるような存在にならないといけない。絶対にだ。大会2日目の200mは、根性で風香に勝った。
あかねにはもちろん負けたが、昨日の100mほどのふがいないレースはしないで済んだ。
「200、いい走りだった」
そう言って柚月先輩が褒めてくれたときは、気分がよかった。柚月先輩はボディビルダーかってぐらい筋肉質の、あたしが一番憧れている先輩でもある。
「ありがとうございます」
「後半、ピッチが落ちないのがよかったよ」
「はい」
「練習がんばったからだよ」
実は200は、高校に入ったら力を入れようと思っていた種目なのだった。
中学時代、ジュニアオリンピックに出た友だちの応援で、横浜の日産スタジアムに行ったことがある。そのとき、表彰のプレゼンターが小池祐貴(こいけゆうき)選手だった。いきなり日本代表選手本人が現れてびっくりし、思わず「小池だあ!」と叫んでいた。まさかそんな大物が来てるなんて!
彼はちょうど、その年のアジア大会の200mで優勝したばかりだった。決勝で台湾の選手と最後まで競り合って、粘って粘って同時にゴールになだれ込み、スローで見てもわからないわずかの差で勝利したのである。
テレビの前で燃えた。
あんなアツいレースは見たことがない。めちゃめちゃ感動してたら、そのわずか1カ月半後に本人を生で見たんだから、これはきっと自分に運が向いてきたってことだ。そうとしか思えなかった。
あれ以来、小池選手のファンになった。今では親愛の気持ちをこめて、ユウキって呼んでる。
ネットからユウキの画像をダウンロードして、待ち受けにしてるだけでなく、プリントをラミネートし、机のマイ神棚にも祀(まつ)ってある。なぜならユウキは神だから。ユウキは自分のお守り、守護神になった。
そして、あたしも200なら自分の粘りを活かせるかもしれない。そう思ったのだ。
ただ柚月先輩が、褒めてくれたそのあとに、
「今度400も走ってみたら? 向いてるかもよ」
と勧められたのは、ちょっと複雑。400に転向させられるとヤバい。うまいことそそのかされて、マイルのメンバーに固定されたら最悪だ。自分は本来は100の選手なわけだし、4継もいつか出たいし。
それに、気にしすぎかもだけど、200はよかったけど100はよくなかった、と言われてるようで面白くない。
「400はいいです」
答えたときには、柚月先輩はもうイブリン先輩に何か話しかけていて、聞いてなかった。
中学のとき、100、200で勝てない選手たちが、顧問の先生や先輩に中距離の800や1500に誘われるのを何度か見てきた。先生は「君、800の才能あるかもよ」みたいな言い方をしたりする。中には実際その通りのこともあるが、ほとんどの場合は、暗に、100だと君の出番はないけど、800なら選手少ないから試合に出られるよ、と情けをかけているだけなのだ。
まさか自分が同じことを言われる日がくるとは。
もしかして、あんたには100の才能がないと宣告されたのだろうか。
あたしは100をあきらめたくないし、そんな情けをかけられて試合に出るのも嫌だ。
「百々羽、200速かったね。すごーい」
そう風香が声をかけてきて、ちょっとイラっとする。
風香はあたしに100で勝ったことで、気を遣っているのが見え見えだ。陸上初心者の風香が、中学からやっているあたしに勝ってしまったから、憐れんでいるのか。
速かったね、すごーい、じゃねーよ。一度試合で勝ったぐらいで、自分のほうが上だと思ってるとしたら、勘違いもいいところだ。
まあ、そんな本心は口には出さない。
「風香も昨日、よかったじゃん」
祝福する気持ちはまったくないが、それだけ言っておいた。
問題はこのあとだ。
女子4×400mリレー。
マイルなんて、ほんと、ほんと、どうだっていい。どうだっていいけど、いい加減に走ったら怒られるし、本気で走っている先輩たちやナオに悪い。
救いなのは、予選のタイムだけで順位が決まるタイム決勝方式だったおかげで、1本走れば済むことだ。これで予選、決勝と2本も走らされたら死ぬ。それとマイルに出てよかったことがひとつだけある。
マイルに出る男女が、いっしょにアップできたことだ。リレーメンバーには、一体感が生まれる。このなかのひとりでも欠けるとレースが成り立たないという仲間意識、自分が必要とされている感じ。陸部のなかでも特別な8人なんだと思うと、いい気分だった。
そしてそのなかに栗田翔輝(くりた・しようき)先輩もいた。
2年の栗田先輩は、200、400が専門で、めちゃめちゃ速い。都大会でも、200で4位、400は2位に入って南関東大会に進んでいる。
いつもバカやってて脳筋とかって言われてるけど、走っているときのフォームがすごくかっこいい。横ぶれがなく、体もちゃんと起きて、指先がぎんぎんに尖っている。顔はワニみたいなワイルド系で、イケメンとは言えないけど、あたしにとっては、陸部男子のなかでダントツにイチ推しだ。
入部時に柚月先輩から陸部は部内恋愛禁止と言われたし、自分が栗田先輩とつきあえるなんて思い上がったことは考えていないけれど、そばにいるだけで尊い気持ちになれた。
男女いっしょにアップしたので、最後に8人で円陣組んで、
「はたこー、ファイッ!」
ってやったんだけど、それをやりそうな雰囲気になったとき、さりげなく栗田先輩の横に移動して、先輩と肩を組んだ。
先輩は円陣のあと、あたしの背中を右手でバンと叩いて活を入れてくれた。
「思い切っていけよ」
だからマイル、思い切っていった。3走のナオが、聖美学園の選手と並んでトップで帰ってきたとき、あたしはやる気だった。絶対栗田先輩が見てくれてると思ったし、それまで嫌がっていても、トラックに立てば闘争本能が自然と湧いてくるものだ。もしかしたらマイルで大活躍して、いつか全国に行けたりするんじゃないか、と一瞬、思ったりした。走り出すまでは。
それがバックストレートで聖美学園に離され、最後のコーナーを回ってからはまったく力が入らなくなって、脚をあげてるつもりなのにぜんぜんあがらなくて、完全にジョギング状態。
ラストでひとりに抜かれて、最後は3番目でゴール。
全体では5位という結果に終わった。
4走でまだよかったと思った。
前の3人が他チームをリードしてくれていたおかげで、4走の自分にバトンが回ってきたときにはたっぷり差がついていて、聖美学園以外に競る相手がいなかったからだ。
これが1走とか2走とかの前のほうの走順だったら、ひとりだけ遅れてるのがはっきりわかってヤバかったにちがいない。
レース後、栗田先輩の男子マイルを見た。2走の栗田先輩は、他のチームをみるみる引き離し、幡高はそのまま最後まで独走。最終的に五支部1位だった。
かっこよすぎ。
いっしょにダウンしながら、先輩は、
「樺山も、よく粘ったな」
と、完全にその場しのぎの慰めみたいな感じだったけど、言ってくれた。
情けなくて、でも、うれしかった。
(つづく)
そして少女は加速する

コンマ1秒で悪夢に陥る、バトンミス。
それは、あまりに儚く、あまりに永い、「一瞬」――。
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高幡高校陸上部の4継(4×100mリレー)の女子リレーチームは、痛恨のバトンミスによりインターハイ出場を逃していた。
傷の癒えぬまま、それでも次の年に向け新メンバーで再始動する。
部長としての力不足に悩む水無瀬咲(2年)、
チーム最速だが、気持ちの弱さに苦しむ横澤イブリン(2年)、
自分を変えるために、高校から陸上を始めた春谷風香(1年)、
なんとしてもリレーメンバーになって全国に行きたい樺山百々羽(1年)、
部のルールに従わず、孤独に11秒台を目指す手平あかね(1年)。
そして、ライバルや仲間たち。
わずか40秒あまりの闘いのために、少女たちは苦悩し、駆ける――!
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100分の1秒が勝敗を分ける短距離競技は、天国も地獄も紙一重だ。
個人競技でありチーム競技でもあるリレーの魅力を、とことんまで描いた!
悔しさも、涙も、喜びも、ときめきも全部乗せ!のド直球な青春陸上物語。