
違法薬物関連のニュースが続いています。違法薬物の使用は、犯罪であると同時に、依存という病気でもあります。つまり、適切な処置をとれば回復可能だということです。
2021年に発売された『薬物売人』は、かつて違法薬物の売人であった倉垣弘志氏が、薬物売買の内幕と、逮捕から更生までを綴った貴重な書です。違法薬物は社会にいかに浸透するのか? 本書より抜粋してお届けします。
また、2025年9月18日(木)20時半より、本書にも登場する『解放区』の映画監督の太田信吾氏と倉垣氏による「演劇とケア」をめぐる勉強会が開催されます。詳細は、記事最後をご覧ください。
行儀の良いマリファナの客
俺は、六本木でバーを経営しながら違法薬物を売り捌いていた。商品は、シャブ、コカイン、マリファナ、MDMA。

「おつかれさんです。いけますか?」仕入れ先のプッシャーに発注の電話をかけた。関西では売人のことをプッシャーという。
「大丈夫ですよ」
「Mサイズ揃ってます?」マリファナのことだ。
「何枚ですか?」
「三百枚」つまり、300グラム。
「二、三日待ってもらえたら良いの届けますよ」
「おっ! 新作ですか」
「新作入荷予定なんです」
「ほう。いくらですか」
「にいにいで」グラム2200円。
「良いですね~、後は仕上がり具合ですね」
「文句なしだと思いますよ。新鋭デザイナーの力作です」
「なんと! 楽しみに待ってます」発注が済んで、電話を切った。
電話では、露骨に商品名を口にしない。どこで誰が聞いているか分からないからだ。警察や厚生労働省の麻薬取締官による内偵捜査で、盗聴されていることも考えられる。電話の相手は信頼できるが、その相手が俺の他にも商品を卸しているのは確実で、どこかで俺の知らない誰かが、今の電話の相手のことをチンコロ(密告を意味する隠語)しているかもしれない。俺の知らないところで、電話先の者に当局のマークが付いている可能性も考えられる。念のために露骨な表現は控えるように、お互いがそうするようにしていた。
三日後の午後から午前に変わる頃、店のドアが開き、見たこともない女を連れてプッシャーがやってきた。
「いらっしゃいませ」女をチラッと見ると明らかにキャバ嬢で、随分と酒に酔っているようだ。
「モエ抜いちゃって」彼は女のためにカウンターの椅子を引き、女を座らせると自分も席についた。
モエ・エ・シャンドンを冷蔵庫から出して封を切ると、女が席を立って「トイレ~」と喚いた。
「そこだよ。あっ、その前にコンビニ袋ちょうだい」と、彼が女に言った。
女がトイレに入ると、そのコンビニ袋を俺に渡してきた。中を見ると、ウコン飲料五本とタバコとアーモンドチョコレートの箱が五つ入っていた。彼を見ると、親指を立ててキメ顔をしている。アーモンドチョコレートの箱を開けて、チョコを皿に盛る。二つ目の箱がビンゴだった。
100グラムのマリファナが少し圧縮されて、綺麗にパケに入ってアーモンドチョコレートの箱の中に収まっていた。他にも同じ物が二つある。それを手元で確認すると、箱を閉じて冷蔵庫の中にしまった。カウンターには他にも客がいる。ここでパケを開けるわけにはいかない。モエ・エ・シャンドンの栓を抜こうと親指をコルクに添えたところで、女がトイレから帰ってきた。静かに栓を抜き、よく冷えたモエをシャンパングラスに注いだ。
「マスターも飲んで」と言って女は席についた。
カウンターにアーモンドチョコレートが盛られた皿と、シャンパングラスが三つ。俺たちは乾杯をした。
マリファナは、だいたい100グラム単位で仕入れていた。それを10グラムに分けて売り捌いていく。しょうがなく1グラムで売ることもあるが、できるだけそれは避けていた。細かく売り捌くことによって客が増え、捕まるリスクが高くなってしまう。客は少なく、品物は多く出す。これが俺なりのルールだった。仕入れ値は品質により多少上下するが、100グラム仕入れると20万円から25万円。それで十分上質なマリファナが手に入った。それ以上値が上がると手を出さない。
マリファナの客は行儀が良く、ちゃんと待つことができる。いくつか仕入先があって「今回は、すいません。にいごーで」と言って、お願いされることもあった。グラム2500円ということだ。仕入先にもいろいろと事情があるのだ。売値は、グラム5000円。店の客には、金を持て余している遊び人たちがたくさんいる。そんな連中には高く売りつけて、友達連中には安く出していた。もちろん、50グラム、100グラムと、まとめて買う客には安く売る。
一ヶ月に300グラムは捌いていたので、マリファナの儲けだけで、70万円以上は軽くあった。俺自身こよなくマリファナを愛しているので、良いものかそうじゃないかは、ぱっと見てすぐに判断することができた。客たちは皆、俺のネタに間違いはないと信頼を寄せていた。
マリファナの客は、若い者から遊び慣れた大人まで幅広く、特に若い者に出す際には注意をしていた。平気で持ち歩くので、警察から職質を受けて逮捕ということになりかねない。そこで俺の名前を出されたらアウトだ。その分、大人たちには安心して出すことができた。彼らは遊び方をわきまえているし、用心して決して無茶をしない。俺は、できるだけ大人の客層を広げることに努めていた。バーの客が酒に酔ってマリファナの話などをしていると、帰りにこっそりと小さなパケに入ったマリファナを握らせた。その客が次に来る時には、即注文を受けることになった。50グラム、100グラムで買う者が重なると仕入れを増やし、さらに儲かっていく。
俺たちプッシャーは、警察にパクられるかもしれないというリスクを背負うことで、儲けを得ている。パクられることなく、リスクだけを背負って、どこまで上手く儲け続けることができるか。それは、上手いやり方と運次第だった。
「マスター、ごちそうさま」
「はい。ありがとうございました」
追いかけるように店の外に出て、キャバ嬢にバレないように現金の入った封筒を彼に渡した。「また、お待ちしてまーす」
プッシャーは女の肩を抱いて、外苑東通りに向かって歩いていった。
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続きは、『薬物売人』をご覧ください。
お知らせ
『ケアと演技』 3都市ツアー
https://hydroblast.asia/free/careacting
<大阪公演>〈ケアの実践者との対話の場「ラーニングルーム」〉①「演技のケア的側面—倉垣弘志(『薬物売人』著者)×太田信吾」
9月18日(木)20:30-21:30
映画『解放区』(太田信吾監督)で、元薬物売人として自らの過去を“演じ直す”という手法に取り組んだ倉垣弘志さん。当事者として、表現者として、それぞれの立場で「演技」と向き合ってきた二人が、“演じることはケアになりうるのか?”を手がかりに、西成で語り合います。
会場:西成永信防災会館
https://www.plus1-nishinari.net/
参加費:無料
予約:定員に限りがありますので、グーグルフォームよりご予約ください。