
好きな場所に好きに行けることの意味
先日他界された石川一雄さんが言っていた印象的な言葉がある。「自分が死んだら遺灰を海に撒いてほしい。ずっと刑務所の中にいたから自由に旅がしたい。」そんな趣旨の言葉だ。金聖雄監督の映画「獄友」のなかで紹介されていたと思う。狭山事件の容疑者として無期懲役判決が下ってからも無実を訴え続けていた石川さん。再審が叶うまではずっと精神的に自由に動けない状態だったのだと思う。結局、本当の自由を手にする前に亡くなられてしまった。
袴田巌さんは死刑確定後、再審が決まり無罪となった。47年間ずっとファイティングポーズを取り続けた袴田さん、そしてずっとセカンドについて勝利を疑わなかった姉の秀子さんを僕は本当に尊敬している。金聖雄監督はそんな袴田さんの姿もずっと映像で紹介してくれている。だがやってもいない罪で死刑が確定し、長年拘束されていたことにより袴田さんは深刻な拘禁症状を発症してしまった。釈放されてからも部屋の中をぐるぐると歩く様子を見ると胸が締め付けられてしまう。
自由に移動ができない。これはそれだけで著しい人権侵害である。刑を務めるという社会的制裁の厳しさの根源はそこにある。コロナ禍の中、当時の独メルケル首相は人々の移動を制限することがどれだけ重い政治決断になるかを繰り返し述べていた。この発言の背景には当然、独が抱えるホロコーストの歴史がある。人々を強制的に移動し、絶滅収容所に収容した人類史上最大の罪と言われるホロコーストにおいてユダヤ人やロマの人々は移動を制限された上で殺されていった。
僕は入管法改正の際、路上アクションでスピーチした時も移動の話をしている。渋谷ハチ公前で入管法反対のデモが行われていた。急遽スピーチを頼まれた僕は、渋谷駅を自由に行き交う人々を見ながら好きな場所に移動できることの意味を説いた。

ウィシュマ・サンダマリさんは入管施設に収容され、体調不良を訴えたにも関わらず適切な医療を受けることなく亡くなっている。大河原加工機冤罪事件では勾留中の相嶋さんに進行性胃がんが発見されたにも関わらず保釈が認められず、胃がんが原因で亡くなっている。いずれも医療行為が受けられなかったことが原因だが、そもそも移動を制限されている。僕らは体調が悪ければ好きな病院を訪ねることが出来る。
ホロコーストと移動を考えると今、どうしても頭に浮かぶのはパレスチナのことだ。天井のない牢獄と言われるガザ地区はもちろん、ヨルダン川西岸地区でもイスラエルによって自由な移動は制限されている。ガザは移動が完全に封じられている上で度重なる爆撃を受けていて、病院ですら標的にされている。行く当てのない市民たちにとっての死活問題である水や食料の移動すらもイスラエル政府によって止められている。
これだけ非道な振る舞いが人々の精神にどんな影響を及ぼすのかは想像を絶すると言うほかない。ガザは海に面している。だが、その海の移動もイスラエルによって監視されている。グレタ・トゥンベリさんの援助船も途上で拿捕されている。石川さんなら辿り着けるだろうか。
移動の自由こそが最低限の人権保障なのだ。移動を制限した上での“人道的な”“倫理的な”振る舞いなどあり得ない。少なくとも移動の自由と引き換えに手にするものは尊厳を保つためのものでなければならない。
フレデリック・グロ著『歩くという哲学』では歩行によってもたらされるさまざまな思考が紹介されている。帯にはニーチェの言葉が紹介されている。“広々とした空気のなかで体を動かしながら作り上げられた思想以外は、信じてはならない”。
僕は毎日散歩しながら、自分が享受している移動の自由の価値を、しっかりと踏みしめるようにしている。もちろん、自分だけで移動することが難しい人は手伝ったり、一緒に移動する。それが社会だ。まず、一歩目を。
礼はいらないよ

You are welcome.礼はいらないよ。この寛容さこそ、今求められる精神だ。パリ生まれ、東大中退、脳梗塞の合併症で失明。眼帯のラッパー、ダースレイダーが思考し、試行する、分断を超える作法。
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