
新しい年齢になった。
少し前、姪っ子めーたんに「ねねって何歳なの〜?」と軽い雰囲気で質問を受けた。
「36歳だよ。もうすぐ37歳!」と自分の口から出た瞬間に、ことの重大さがやってきた。
36歳になったときには、全く思わなかったけれど、それから1歳年を重ね、「37歳」になると自覚した瞬間、突然、一気に、大きなプレッシャーのようなものが生まれたのだ。
6と7の違いはなんだろうか。
ただの心持ちなのはわかっているけれど、いよいよ本当に大人にならなければいけないような、責任を持たなければいけないような、そんな気持ちになった。
きっと、人によってそう思う年齢はまちまちだろう。
記憶の中の父が36歳で止まっているから、そこを超えたことで、途端にそう思ったのかもしれない。
私はここまで、ずっと、大人の自覚を持てていなかったのかもしれない。
いよいよ、自分の謎の呪縛から巣立つ時がきたのかもしれない。
人生、行き当たりばったりの部分と、着実に積み重ねてきた事のバランスは我ながら絶妙だと思う。
基本0か100か、そのくせどうしてそこに執着しちゃうの?と自分で呆れ果てる程に永遠にグレーにしていることもある。謎の正義と戦い、謎の恐れと隣り合わせて生きてきた。
ほんとうに、つくづく自分がわからない。つくづく自分に疲れる。それでも付き合うしかないかと思い始め、やっと、がんばってきたねと思えるようになった部分もある。
ここのところ、心も体も、大きなデトックスを受けたような激動すぎる数ヶ月だった。
初めての気持ちを知れたり、衝撃的な出来事に感動したり、自分かっこいいと思えたり、自分おもしろいと思ったり、自分ってすっごく幸せものだなぁと感じたり。あぁ、なんだかもう人生を怖がるのをやめてみるのもいいかもしれないとハッキリと思ったり。
その考えは初めてすぎて、今まで闇の中を永遠に彷徨っていたのに急にどうしたのよと戸惑いつつ、着実に自分で今までとは違う道を選んでいる。うん。確実に抜けたね。っという気持ちだったりする。
心のデトックスが終わったら体のデトックスね。
旅先で発症した皮膚炎は足の甲からはじまり、足全体にわたり、手先にも発症し、胴体から全身への蕁麻疹に姿を変え、顔やあらゆる箇所からかゆみという悲鳴を発していたけど、そのたび私は、デトックスだね。きっと生まれ変わるのね〜と自分に声をかけながら過ごした。面白いくらいに皮が剥け、1ヶ月をかけてすっかり綺麗になり、本当に生まれ変わったのかもしれないと思った。
この、「思った」が重要なことを私は知っている。
良い思い込みを身につけると、自分で都合よく、平和になれて、健やかになれたりする。
誕生日を迎えた日。
なんだか、満たされたような、しみじみとした、満足感が漂っているようだった。
歳をとるの嫌だなぁとかは今までも思っていなかったけれど、どこかで、歳をとる寂しさは感じていて。
それが今年は全くなかった。
さーて。そろそろ。大人の自覚を持って生きてみますかっ!みたいな気持ちだったように思う。
いや、年齢的にはもちろんとっくに大人なのだけれど、心の中での自覚が恐らくずっと無かったのだろう。いやーやっとですか。やっと。やっと寂しさがなくなったのは、なんだか心強い。
さて。やりますか。
やっとだから、この気持ちを大切にしていける自分であるといいな。
「いつまで、自分でせいいっぱい?」
このタイトルが、なんだ急に愛おしく思えている。
いつまでもかもしれない。
少し、マシになるかもしれない。
どっちでもいい。
どっちの自分でも。一緒に生きてみようと思う。

ニコちゃんがどう育ってくれるのか、楽しみ!
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いつまで自分でせいいっぱい?

自分と向き合ったり向き合えなかったり、ここまで頑張って生きてきた。30歳を過ぎてだいぶ楽にはなったけど、いまだに自分との付き合い方に悩む日もある。なるべく自分に優しくと思い始めた、役者、独身、女、一人が好き、でも人も好きな、リアルな日常を綴る。