不健康寿命が延び、ムダな延命治療によってつらく苦しい最期を迎えることへの恐怖が広がる今、「長生きしたくない」と口にする人が増えています。先行き不透明な超高齢化社会において、大きな支えとなるのが、元外科医で2000人以上を看取ってきた緩和ケア医・萬田緑平先生の最新刊『棺桶まで歩こう』です。
家で、自分らしく最期を迎えるために、何を選び、何を手放すべきか。本書から、一部をご紹介します。
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日本の看取りは「着陸」ではなく「墜落」事故死
僕は若い頃たくさんのつらい看取りを体験しました。なぜ、延命治療は患者を苦しめることになるのでしょうか。
僕はよく飛行機の例で説明します。次のイラストもご覧になって、考えてみてください。

着陸というのは、だんだん高度を下げていって、車輪を降ろして、滑らかに地面に着くのが理想です。
では、飛行機が羽田空港から飛び立って、「あ、故障してる、まずい。羽田に戻らなきゃ」という時、まずパイロットが何をするかご存じでしょうか。
一番大事なのは、燃料を捨てることです。着陸した際爆発炎上する危険性があるし、機体が軽いほうが安全なのです。だから、場合によってはしばらく旋回して燃料を減らしたり、燃料を捨てたりします。
人間も実は同じです。食べないから死ぬのではなく、人間は寿命が来て死が近くなると、自然と食べられなくなってきます。
そして飛行機がゆっくり燃料を使い切って軽くなって降りて着地するように、人間も食べ物をとらなくなりゆっくり着地、つまり死んでいくのです。それが自然ですし、つらくないのです。
でもこういう「着地」は、多くの場合、日本では認められません。
飛行機が、徐々に高度が下がってきてしまったとします。すると「危ない、これは燃料が足りないからだ」という理屈で、落下しないようヘリに吊られて、空中給油が始まる。
「ヘリ1機じゃダメだ。もう1機、もう1機」と、3機、4機、5機もつなげて吊られ、なんとか飛行機の高度を保つ。自分で飛ぶ力がもはやないのに、引っ張り上げられるからとても怖い。
この飛行機は、もう機体が寿命だったのです。ついには翼がもげて墜落。たくさん給油していたので燃料は十分あり、よく燃えます。機体が熱い、苦しいとなって燃えていく……。
燃料を減らしながら、ソフトランディングできれば、そんなに苦しむことはなかったのに、墜落する、燃えるから怖いのです。
以上が、日本の多くの「看取り」の現場です。寿命が来ている患者に「栄養が足りない」と、点滴を始める。まだ足りない、まだ足りないと何本もチューブをぶら下げる。もう栄養を入れすぎて身体は参っているのに、「まだがんばれ」「死ぬな」と寿命を延ばそうとする。元気になるのではなく、つらい時間が長くなるだけです。
少しでも長生きさせたいのは、実は家族と医師たちなのです。本人は苦しい、つらいのに逝かせてもらえず、ついに墜落して燃え上がるように逝くのです。
日本の看取りの現状は、「着陸」ではなく「墜落」です。

食べられなくなったら点滴もしないほうがよい
死期が近づくと、患者は食べられなくなります。食べなくても3週間から1カ月くらい生きる人は多いですし、水も飲まずに3週間生きた患者さんも見たことがあります。もちろんトイレにも行かず、ずっと寝ているだけです。そうやって、穏やかに逝きました。
多くの病院の医師は、患者が食べられなくなったら「点滴したほうがいい」と思っています。医師が思っているのですから、一般の人たちもそう信じるでしょう。
けれど僕は、食べられないなら栄養補給しない選択がつらくないし、むしろ長く生きられると思っています。身体がもう栄養を受け付けないのですから、むりやり入れても無駄ですし、何より身体がつらいのです。徐々に枯れていくように死に向かうアプローチが穏やかで苦しくありませんし、つらくないほうが長く生きられるのです。「燃料」を入れず、徐々に高度を落とし、ソフトランディングする飛行機のように……。
穏やかで自然な死ならば、家族と話もできる、「ありがとう」と言ってお別れができるのです。
家族が点滴を希望する場合、僕は先ほどの飛行機にたとえた話などをします。
「自然にいきましょう。本人が『点滴をしてくれ』と言うならばしますが、でも本人も言わないですよね。針を刺されるのがいやだし、こうやって縛られるのもいやでしょうね」
もう食べられなくなった人が、自分で「点滴してくれ」とは滅多に言いません。言えないのです。まれに本人が希望する場合はしますが、せいぜい1日500㏄を1本ぐらいです。
病院では、「点滴を十分にしなければ」となって、1000㏄、2000㏄と入れる。すると、それだけの水分が入るわけですから、当然身体がむくむ。肺もむくみます。
肺がむくむということは呼吸不全の状態になり、咳や痰が出てくる。そして呼吸が「ゼロゼロ」してくると、「誤嚥性肺炎です」と診断されます。レントゲン上は、肺が白くなります。
点滴を大量にして、肺がむくんで呼吸不全になると、今度は「誤嚥性肺炎」。病院ではよくあることです。
こうして「誤嚥性肺炎」と診断された患者の家族には、時々「だったらせめて家で看取りたい」と考える方がいます。そして家に帰ると、8割くらいは肺炎が治ります。なぜなら肺炎ではなく、肺がむくんでいただけだからです。点滴をしなくなるから肺のむくみがなくなり、呼吸が楽になるのです。
病院で内視鏡を見て「もう飲み食いはできません」「何か飲ませたら死にます」と言われた人でも、家に帰ると意識がよくなり、かなりの確率で飲み食いできるようになります。その後、なんと年単位でよみがえった方もいます。
「誤嚥性肺炎」というのは、実はほとんどが意識の問題です。高齢者になればなるほど、入院すると「せん妄」になる確率が高くなります。わけのわからないところに連れてこられたと思い、怖くて精神がおかしくなってしまう。それが「せん妄」です。
そんな意識の悪い状態で何かを飲むと、間違えて気管に入ってしまうのです。僕たち健康体でも、何かをしながら、または、ぼーっとして何かを飲むと、むせることがありませんか。同じことなのです。
つまり「誤嚥性肺炎」というのは、入院することで作られる「状態」です。点滴やせん妄による影響の場合、家に帰ると病気ではないので回復する人が多いのです。
また一方で、身体が限界に来て死んでいくときは誰もが飲み込めなくなります。その状態をむりやり診断すれば、「誤嚥性肺炎」とされます。もはやこの場合、病名でさえありません。もうその人が死んでいく状態にむりやり名前をつけて、治療しているだけなのです。

高齢者の入院によるせん妄は認知症への道
「せん妄」について、もう少し説明しましょう。
明らかにみんながわかる認知症という状態がありますが、そうなるまで何十年もかけて徐々に進行していきます。
高齢になると、脳が老化していくのですが、短期記憶から弱っていくパターンが多い。もちろん他の場合もあり、まれに、手を動かす脳の部分が一番先に老化したら手が動かなくなったり、理性を保つ働きの部分が一番に老化して暴れだしたり……。
まあだいたいの方は、短期記憶から衰えます。
よくお年寄りが「昔のことは思い出せるのに、最近のことが覚えられない」「今朝、何を食べたか思い出せない」というのは、短期記憶が弱ったからなのです。
たとえば、高齢の母親が「家に帰る」と言い出します。子どもが「ここがお母さんの家だよ」と答える。「ちがう、ちがう、家に帰る」と言ってききません。こんな話もよく聞きます。この母親は、自分が育った昔の家を覚えているわけで、今の家は覚えていないのです。
そのうち着替え方も、トイレの仕方もわからなくなっていって、誰が見てもわかる認知症になっていきます。
まだこうした認知症ではないけれど、短期記憶が衰え始めた高齢者が病院に入院すると、「ここはどこ?」となるわけです。新しいことを覚えられないわけだから、病院にいるのだと理解ができない。どこか知らない場所に連れてこられた、何をされるかわからない、白衣を着た知らない人間たちが、ひっきりなしにやって来て自分の身体に何かしている……。
それは恐ろしいことでしょう。そしてパニックになる。僕たちだって、いきなりどこかジャングルの奥地に連れていかれて、言葉もわからない、衣服もなんだか違うし、見たこともない食べ物が出され……という状況になったら、パニックになると思います。とにかくジャングルを逃げ出したいはずです。
パニック状態こそ「せん妄」なのです。おとなしい人は、不安や恐怖をおぼえながらも眠っていますが、活発な人は逃げようとしたり、点滴を引きちぎったりと暴れて、拘束される。暴れる患者は、ほんとうなら早めに家に戻せばもとに戻るのです。ところが、医師というのは「病気の治療」が仕事だから、個々の患者の状態を診ようとしない、診ても理解しようとしません。
むしろ「こんな状態で家には帰せません」となってしまう。そのまま「せん妄」状態のまま入院させ続け、病気は治っても、認知症が完成する。そして病院から家に帰るのではなく、施設へというコースになる。一丁上がりです。
「それまでしっかりしていたのに、骨折して入院したのをきっかけに認知症になった」という高齢者の話を聞いたことはないでしょうか。実はこうした「せん妄」が元になっている事例は多いのです。
すべてではありませんが、認知症の数十%はこうして病院が「完成」させてしまっていると考えています。
高齢者を入院させるということは、「せん妄→認知症完成」コースをたどる可能性があるいうことです。
せん妄によって興奮している患者を、眠らせる場合もあります。興奮がひどいと大量の薬を打たなければならず、眠った頃には呼吸も止まっていた……という実例も見ました。当然、裁判になった悲惨なケースです。
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最期まで自分らしく生きたい方、また“親のこれから”を考えたい方は、幻冬舎新書『棺桶まで歩こう』をお読みください。
棺桶まで歩こう

体力も気力も衰えを感じる高齢期。「長生きしたくない」と口にする人が増えています。
不健康寿命が延び、ムダな延命治療によって、つらく苦しい最期を迎えることへの恐怖が広がっているからです。そんな“老いの不安”に真正面から応えるのが、元外科医で2000人以上を看取ってきた緩和ケア医・萬田緑平先生の最新刊『棺桶まで歩こう』です。
家で、自分らしく最期を迎えるために――いま何を選び、何を手放すべきか。
本書から、一部をご紹介します。










