
漆器市へ行こうという話から始まった、夫婦三組の信州木曽路旅・後編である。
ちなみに結果から言うと、一泊二日の旅における漆器市の割合はけっこう少ない。あとから、そういえば本目的はあれだったよねと思い出す程度に、ほかがさり気なく充実していた。
そしてなにより、いろんなことが快適だった。
まず、現地集合・現地解散というスタイルがよかった。
私は当初、当たり前のようにハイエースのようなレンタカーを借りて、みんなで行こうと考えていた。どこかに集合して、菓子や飲み物を買って皆でワイワイと。
しかし、今回は夫たちが初対面である。
また、六人それぞれ前日までの状態が異なる。ギリギリまで仕事をする人もいれば、休暇を足してひと足早くのんびりできそうな人もいる。
「現地集合でいいんじゃない?」と旅慣れたAさんが言った。
その手があったかと、私は新鮮な驚きを覚えた。
学生のように若くもない。子ども単位で動く親子連れでもない。みなおのおの、無理ない範囲で柔軟に楽しもうじゃないのという、いい意味での我が道を行くスタイルが、胸にすとんとおさまったのである。
我が家は、マイカーで帰りに長野の実家に寄ることにした。Bさん夫妻は、私達と合流する前に諏訪に会いたい友人がいて電車で行くという。Aさん夫妻は、一日早く休みが取れるのでレンタカーで。
さくさくと話が進み、こういう柔軟な価値観の人たちとなら、合理的で楽そうだなと直感的に思った。
当日は、Aさん夫妻と11時に上諏訪市内の鰻店で落ち合うことにした。予約不可の名店で、昼前から並べば食べられるだろうと。
ところが、いきなりトラブルが発生する。
我が家が中央道の事故による大渋滞にハマり──三回事故車を見たのは初めてである──、約束から二時間は遅れそうだと判明。
LINEでやりとりをするも、鰻を食べてBさん夫妻と二時半に合流という流れのすべてに狂いが出てしまう。ああこんな初っ端から迷惑をかけてどうしようと、遅々として進まない中央道から降りてみたり、国道がもっとすごいことになっていてまた高速に乗ってみたり、気持ちだけが焦って空回りを続ける。
と、Aさんからラインメッセージが届いた。
<だったらあの店は諦めて、別のテイクアウトできるお店知っているから、私たちが取りに行ってくるよ。湖畔で鰻弁当を食べよう!>
私は瞠目(どうもく)した。
旅先なら、よりすぐりのお店でごはんと思いこんでいたが、美しい景色を眺めながら空の下で鰻なんて最高じゃないか! 折しも六月初旬だ。諏訪湖畔は、清々しい風と新緑に彩られていることだろう。
一時間半遅れで、なんとか到着。湖畔の無料駐車場で、こっちこっちと大きく手を降るA さんのボーダーTシャツを見たときの嬉しかったこと。誰かを待たせて、最初から大きくスケジュールを狂わせている心苦しさが、潮のようにひいていった。
あらかじめ見つけておいてくれた屋根付きベンチで、眼の前の湖を眺めながら、鰻弁当を堪能した。諦めた名店がどんな味だったかわからないが、身は厚いのにやわらかく、口のなかでほろりととろけるような蒲焼のコクと、甘辛いたれがしみこんだご飯は、私にとって極上の名店の味わいだった。
その後、合流した日本酒に詳しいBさん夫妻の提案で、真澄の蔵元へ。
庭を見ながら試飲でき、日本酒に合う器やおつまみ、調味料がセレクトされたセラ真澄は大好きなスポットだ。四年前に訪れたときは、「ほかの蔵元さんも素敵なので、ぜひ行ってみて」と、おかみさんに絵地図とともに勧められ、蔵人の互助精神にしびれたのだった。(詳細は上諏訪、卒母旅行~前編 )
AさんとBさん夫妻はとりわけ食に詳しくおかみさんへの質問が本格的で、同じ場所を訪ねていても、持っている知識が違うと得られる情報がこうも変わるのだなあと実感する。
酒蔵を出ると三時を過ぎていた。さてこれからどうしよう。
「ぼちぼち宿に行こうか」
Aさんの夫が言った。全員、一も二もなく同意した。
これもまた、もう少し若かったら、満タンに予定を詰め込み、ぎりぎりまで街場で遊んだかもしれないが、このスケジュール感のほうがはるかに楽だ。あとには食べて寝るだけの状態で、日が陰り始める時間から、まったり晩酌を始める。それこそ旅先でしか体験できない大きな快楽だと、熟年の我々は知っている。
木曽山中の宿にはデッキテラスがあり、そこで食事をした。
空がオレンジから薄墨色に変わり、やがて森が闇に沈む。宵の月を見上げながらビール片手に、七輪で焼かれたイワナにかぶりつく時間は、なんともいえぬ開放感と多幸感に包まれる。
夫たちはそれぞれリラックスしたようすで、訥々と言葉をかわしていた。
この日の月にも、ひとり働く業界が違う人見知りの家人を適度に混ぜ、適度に放っておいてくれる旅仲間にも、なんだかもうすべてにありがとうと言いたくなるような夕べであった。
翌日は、道の駅やジビエの食材店を巡り、いざ木曽漆器祭へ。
ふだん工房で漆器作りに励む職人が軒先で直接売る、年に一度の催しだ。古い町並みが保存された奈良井宿場と漆工の町・平沢地区を数分のシャトルバスが繋いでいる。
現地では、夫たちがあまりにも退屈そうだったので、自由行動になった。家人はずっと涼しい喫茶店にいたらしい。
だがしかし、私たちは、夫らと約束した時間を短く設定しすぎて、駆け足の店巡りになってしまった。
私は、念願の汁椀をささっと購入。文字通り、帰りは待ち合わせ場所まで三人で走った。
大慌ての漆器市だったのに、今手元にある写真はどれもひどく楽しそうで、眺めるだけで思い出し笑いがこみあげる。赤や漆黒の器が並ぶ山あいの集落を、ふだん東京でしか会ったことのない人たちと、汗だくで走っていることが不思議で、たまらなく可笑しかった。
そこから旅の締めに行った木曽の蕎麦切り発祥の店──本山(もとやま)という、蕎麦と漬物がとびきり旨いプレハブ小屋ふう建物だ──で、待っているときの私のスナップ写真が、恥ずかしいくらい破顔していた。
午後二時過ぎ。蕎麦を食べて店裏の駐車場で解散になった。
Aさん夫妻は東京へ。私と夫は、塩尻の実家へ。Bさん夫妻はもう少し遊んで帰るという。
現地集合、現地解散。初めての熟年夫婦三組には、これくらいの自由さがちょうどいい。
実家に向かう途中、夫となんとなくお茶でも飲もうかという話になり、国道沿いの喫茶店でバニラアイス添えのコーヒーゼリーを食べた。”娘とその夫”の顔になる前に、旅の余韻をもう少し味わいたかったのだ。
そういえば漆器市で、Bさんが心配そうに漏らした。「だんなさん、楽しんでくれましたかね」。
旅の前、いつもはさんざん促さないと行かない散髪を、自主的に済ませていた。おまけに前夜から粗食にして、旨い鰻に備えていたのも知っている。彼は彼なりに楽しみにしていたのだと、私にはわかった。そして、仕事でよれよれになっていた毎日に、ぷすりと開いた風穴のように、心地よい夏の句読点になったであろうことも。
男だろうと女だろうと、「行かなきゃよかった」と思う旅などない。動いたら動いただけの刺激と感化がある。
彼がしみじみとつぶやいた。
「イワナの塩焼きってあんなに旨いもんなだな。今まで食べた塩焼きでいちばん旨かった」
ゼリーをほおばりながらも舌の記憶はイワナに飛んでいるらしい。旅は終わった端から、永遠に楽しめる思い出になる。たった三〇時間足らずであっても。


ある日、逗子へアジフライを食べに ~おとなのこたび~

早朝の喫茶店や、思い立って日帰りで出かけた海のまち、器を求めて少し遠くまで足を延ばした日曜日。「いつも」のちょっと外に出かけることは、人生を豊かにしてくれる。そんな記憶を綴った珠玉の旅エッセイ。