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褐色の血

2025.08.20 公開 ポスト

隠れ移民大国日本——見えない共生と深まる分断のリアル麻野涼

『死の臓器』がドラマ化され、高橋幸春の名義でも潮ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞を受賞した作家・麻野涼さんによる長編小説『褐色の血』。
その序章にあたる『褐色の血(上) 混濁の愛』の発売を記念して、自らも移民としてブラジルへ渡った著者に、本作品のテーマとなった「移民問題」について日本の現状を伺いました。(試し読みを#1から読む

*   *   *

第一回の芥川賞受賞作品は石川達三の『蒼氓』で、ブラジルに渡った移民がテーマだった。しかし今では移民などという言葉は死語に近い。とはいうものの、私自身がブラジルに渡った移民の一人だ。70年代までは日本からブラジルやパラグアイに移住者が送り出されていたのだ。
日本語では「移民」の一語だが、英語では移民という言葉は、Emigrant(自分の国から外国へ移住する人)とImmigrant(外国から自分の国へ移住してくる人)に分けられている。死語に近いのはEmigrantの方で、今ではEmigrantとしてブラジルやペルーに渡ったその子孫がデカセギとして来日、Immigrantとして暮らしている。さらに東南アジアからの技能実習生も多い。

日本政府はImmigrantを決して認めようとはしない。しかし、日本の人口1億2330万人、これに対して中長期在留の外国人は349万人、2.8%を占める。つまり40人に一人は外国人という計算になる。移民の国といわれるブラジルでさえ外国人の比率は0.6%で、現在の日本は「隠れ移民=Immigrant大国」なのだ。
在日朝鮮・韓国人、そして日系人、技能実習生さらにクルド人など、様々な外国籍の人間が暮らしているが、彼らに向けられる排外主義的傾向は、50年前に比べて過激さを増し、差別も深刻化しているように感じられる。

『褐色の血』に登場する児玉正太郎は、在日韓国人二世と恋をするが結婚を拒絶される。
「私は自分の分身を生みたいとは思わない。まして日本人のあなたと結婚してうまくいくわけがない」
恋人からそう告げられた。
「差別される韓国人と差別する日本人の子供を産むなんて絶対にイヤ」
在日に対する過酷な差別が二人を引き裂いた。
「どうしたら民族差別なんていうやっかいなものから人間は自由になれるのか」
児玉はそんな思いを抱きながら日本を離れた。
もう一人、小宮清一は一方的に婚約を破棄される。理由は小宮が被差別部落出身だったからだ。
小宮はサンパウロでエリザベス・サンダース・ホームから移住してきた女性と出会い、結婚した。相手は黒人米兵と日本人女性との間に生まれた混血女性だった。彼女の移住動機は差別の厳しい日本では生きていけず、希望も見いだせなかったことだ。そんな二人が結ばれ、子供が生まれる。
島崎藤村の『破戒』はテキサスでの事業に夢を託し、主人公が上京するところで幕を閉じるが、差別から逃れるために日本を離れ、移住した者は決して小説の世界だけとは限らない。これはブラジルで暮らした私の実感だ。


最近、サンパウロ大学(USP)を中心としたチームがブラジル人のゲノム(遺伝情報)を対象に、国内各地から2723人のゲノムを高精度に分析し、これまでで最大規模の詳細な解析を行った。ブラジルが世界で最も混血の進んだ国であることが科学的に明らかになった。この研究は2025年5月15日付の科学誌「サイエンス」に発表されている。
肌の色による人種差別はブラジルでは起きない。民族的な対立もいつの間にか消えている。どこの国の移民も民族の血だとか民族文化の継承を口にする。しかし、ブラジルはすべてを呑み込み溶かし、ひとつにしてしまう「溶魂炉」のようなものだ。


小宮・児玉一家とは別に、この小説にはもうひと家族が登場する。在日一家で、北朝鮮と日本とで家族が離れ離れになってしまう。この一家も日本人の差別から逃れるため「こんな日本にいるよりはよっぽどましだ」と「地上の楽園」に渡った。日本に残ったのは児玉の中学時代の同級生だ。
児玉は日系三世の女性と結婚し、子供を連れてやがて日本に戻る。
小宮は自動車ディーラーとして成功し、経済的には恵まれた生活を送っていた。ブラジルこそが小宮夫婦にとっては安住の地だった。しかし、ブラジルの経済不況で、日本にデカセギに行かなければならない状況へと追い込まれた。小宮は肌の黒い妻と、母親と同じ肌の色をした子供を連れて、群馬県大泉町で働くことになった。
大泉町で児玉と小宮は再会する。大泉町には、児玉の妻の親戚もデカセギとして来ていた。
大泉町はデカセギ日系人を受け入れるために、懸命に多文化共生政策を推進した。しかし、町の政策とは裏腹に、様々な差別が日系人に降りかかってくる。
「帰ってくるべきではなかった」
小宮一家は経済的な苦境に立たされようとも、肌の色などで差別されることなどないブラジルこそが、自分たちの幸せを追い求める地だと考え、再びブラジルへと戻っていった。
一方、日本に生きる場を求めた日系人もいる。時の経過とともに、日本で生まれ育ったデカセギの子供たち。彼らの中には、日本語もポルトガル語も理解できないダブルリミテッドの子供たちもいる。デカセギの中にはそうした子供への教育に情熱を傾ける者もいた。
デカセギ日系人に「帰れ」という罵声をあびせるネトウヨ集団。
「日本は日本人のものだ」
彼らの元々のターゲットは在日朝鮮・韓国人だった。
「在日が生活保護をくいものにしている」「税金を払わない」
こうしたヘイトスピーチはやがてデカセギ日系人へと拡大されていった。フェイクが蔓延し、ヘイトクライムはエスカレートするばかりだ。やがて日系人に対するヘイトはテロへと向かう。
そんな未来に希望はない。そう思って書き続けた小説だ。

『褐色の血』は、「混濁の愛(上)」、「彷徨の地図(中)」「ヘイト列島(下)」の三部構成になっているが、小説で描いた世界が現実味を帯びてきている。
排外主義が大手を振って闊歩し、差別を表現の自由と言ってはばからない人たち。これから日本はどこへ向かっていくのか。背筋が寒くなるのを覚える

*   *   *

関連書籍

麻野涼『褐色の血(上) 混濁の愛』

「褐色の世界にこそ私の求めているものがあるような気がします」 1975年、二人の男がブラジルへ向かうため空港にいた。ひとりは仲間に見送られ、もうひとりは孤独に。 児玉は、サンパウロでパウリスタ新聞の記者として働くことになっていた。ブラジル社会に呑み込まれつつも、日系人の変遷の取材にのめり込んでいく。人種の坩堝と言われるブラジルで、児玉は「ある答え」を、この国と日系人社会に求め始めていた。 一方、サンパウロのホンダの関連会社で整備士として働く小宮は、ブラジルで日本では味わうことのなかった安心感をおぼえていた。現地で出会う人々に支えられながら、次第にブラジル社会へと馴染んでいく。 国家、人種、民族、人は何を拠り所に生きるのか。 差別に翻弄された人々の50年にわたる流浪を描いた長編小説三部作の序章。

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褐色の血

「褐色の世界にこそ私の求めているものがあるような気がします」

1975年、二人の男がブラジルへ向かうため空港にいた。ひとりは仲間に見送られ、もうひとりは孤独に。

児玉は、サンパウロでパウリスタ新聞の記者として働くことになっていた。ブラジル社会に呑み込まれつつも、日系人の変遷の取材にのめり込んでいく。人種の坩堝と言われるブラジルで、児玉は「ある答え」を、この国と日系人社会に求め始めていた。

一方、サンパウロのホンダの関連会社で整備士として働く小宮は、ブラジルで日本では味わうことのなかった安心感をおぼえていた。現地で出会う人々に支えられながら、次第にブラジル社会へと馴染んでいく。

国家、人種、民族、人は何を拠り所に生きるのか。

差別に翻弄された人々の50年にわたる流浪を描いた長編小説三部作の序章。

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麻野涼

一九五〇年、埼玉県生まれ。ノンフィクション作家、小説家。早稲田大学を卒業後、ブラジルへ移住。一九七五年から三年間、サンパウロで発行されている邦字新聞「パウリスタ新聞」(現・ブラジル日報)の記者を勤める。帰国後、高橋幸春のペンネームでノンフィクションを執筆。二〇〇〇年からは麻野涼名義で小説も手がける。ノンフィクションに『カリブ海の「楽園」』(潮ノンフィクション賞受賞)、『蒼氓の大地』(講談社ノンフィクション賞受賞)、『絶望の移民史 満州へ送られた「被差別部落」の記録』『だれが修復腎移植をつぶすのか 日本移植学会の深い闇』、『日本の腎移植はどう変わったか』、小説に『天皇の船』(江戸川乱歩賞候補「大河の殺意」を改題)、『国籍不明』(大藪春彦賞候補)、『闇の墓碑銘』、ドラマ化された『死の臓器』などがある。

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