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ある日、逗子へアジフライを食べに ~おとなのこたび~

2025.08.09 公開 ポスト

女友達と 京都行き当たりばったり不思議旅<後編>大平一枝

 二泊の京都旅、最終日。イノダコーヒーでスクランブルエッグとたっぷりのキャベツ千切りサラダとクロワッサン、コーヒーの朝食をとりながら、今日の予定を相談する。いつものごとく、帰りの新幹線のチケットは取っていない。

「以前、仕事で来たとき、出町柳駅前で、ものすごくおいしい豆大福の店があった。あれは絶対買って帰りたい。夫にも頼まれている」と友達。
「出町柳から、叡山電車で貴船行けるみたいだよ。貴船神社へ行って、帰りに大福買うってのはどう」
「鞍馬寺から貴船につながる古道にパワースポットあるらしいよ!」

 

 スピリチュアルなものに関してひどく好奇心の強い友達が、目を輝かせる。
 夕方、京都駅に戻ればよい。初夏の貴船は気持ちよさそうだ。
 コーヒー片手に、行き先が決まった。

 叡山電車の鞍馬駅で下車。三分ほど歩いて鞍馬寺の仁王門に向かうと、案内板に貴船神社のある西門まで、徒歩二、五キロとある。鞍馬寺参拝の後、電車やバスで隣の貴船駅に向かってもいいが、徒歩は約九〇分と書かれている。

「登ってみようか」

 友達はカメラマンで、もともと体力があるうえに、スポーツジムでも鍛えている。
 それに比べて、一日中座りっぱなしの生業(なりわい)で運動嫌いの私は、今思えば身の程知らずなのだが、「九〇分ならなんとかなるか」と軽い気持ちで応じた。二時間だったら、間違いなくやめていた。

 靴はサンダル、Tシャツにスカートで、山をなめるなと怒られそうなスタイルだが、旅のハイテンションが、後先考えない脳内スイッチをオンにする。
 いざ歩き出すと、五分で汗だくの意外にハードな山道で、友達が拾ってくれた枝の杖なしには登れぬ急斜面だった。

 低山とあなどって途中で息絶えた中年女性が、新聞の見出しになったら洒落にならない。そんな軽装で登るからだと、一斉バッシングを受けるだろう。枝の杖を頼りに、必死で歩いた。
 じつは彼女と、いつかスペインの巡礼路カミーノを歩こうと約束している。こんな子どもでも歩けるハイキングコースでへこたれていたら、「あんたとは行かない」と言い出しかねないので、内心真剣勝負である。

 鞍馬寺の山門から参道を上がり、由岐(ゆき)神社を過ぎてさらに登ると、石段の脇に巨大な「神杉」が現れる。見るからに神々しい樹齢七~八〇〇年の幹に、しめ縄と御弊が掛かっている。
 秘仏の御本尊が祀られた本殿、狛犬ならぬ阿吽(あうん)の虎、霊宝殿。たどりつくごとに私は大きく息を吐き、座り込んでは休憩する。友達は、なんとも言えぬ神聖な雰囲気に、ますます興味津々。目を見開き、足腰は変わらずピンピンしている。

 この登り坂はどれくらい続くんだろう。そもそも、なんで登るなんて言っちゃったんだろう。吹き出す汗が止まらずTシャツはシャワーを浴びたようにびしょびしょだが、着替えがない。くだり終えるまでに乾くだろうか。

 思いつきの見切り発車代表のような自分の性格をいよいよ反省しつつ、小刻みに休憩を取っては重い腰を上げ、山道を歩きだす。牛若丸が天狗に剣術を習い、ここで水を飲んだなど私の大好きな説明板があるが、もはや読む余裕もない。

 と、突然、視界に見たことのない光景が広がった。

 杉の木々の根が地上に顔を出し、うねうねと見渡す限り一帯を這い回っている。私たちは立ちすくみ、息を呑んだ。
 まるで異世界にまぎれこんだようだった。言葉で説明のつかない神聖なものに、大地と一緒に自分も包まれる。太古の昔から、木々はこうしてたたずみ、根を張り、命をつないできた。刹那の生の時間しか持たない人間などの力が及びもつかない、自然の命への畏敬の念のような。なんともいえない不思議な心の静寂を感じた。

 地を這う根の神秘的な光景を見つめながら、友達に訊いた。

「こんなのあるって、あんた知ってたの?」
「……知らない」

 鳥のさえずりと葉がすれの音だけが聞こえる。
「木の根の道」という名はあとから知った。

 その先の、眺めの良い魔王殿からはくだり道だったと記憶している。
 くだり終え少し歩くと、お目当ての貴船神社があった。
 想像以上に、境内も周囲も、若いカップルや外国人、観光客でごった返している。
 私たちは気後れしながら、行列に並んでなんとか参拝をし、よく知られる水占いをやり、授与所でお守りなどを覗き、鳥居を出た。

 憧れの川床の料理屋を眺めてはみたものの、なんだかお腹が空かず、バスで貴船口駅に帰ることにした。バスは人が多すぎて、二巡目でようやく乗車できた。

 鞍馬山の、久々に肉体だけで得た心地よい達成感もある。
 それ以上に、あの神秘的な光景の余韻がまだ続いていてお腹が空かなかったのだと思う。貴船神社には何の罪もないのに、木の根の道の驚きが、前者の印象を薄める役割になってしまったとも言える。

 ビショビショのTシャツのまま、出町柳の古い和菓子屋で、念願の名代豆餅(豆大福)を買い──我々のあと売り切れた──、洋品店で下着を買って駅のトイレで着替えた。
 新幹線のチケットを確保し、四条でかき氷と抹茶パフェのセットを堪能して、気ままな京都旅は終わる。

 くだんの友達に、先日「京都旅のことを書くよ」と言ったら、「あの会員制のバーのこと? それとも山道のパワースポット?」と返ってきた。 
 うん、たしかにあれはパワースポットだと言われれば、否定できない。根拠はないけれど。

 予期せぬ光景は今も色褪せずに、私たちの心のアルバムに保存されている。

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ある日、逗子へアジフライを食べに ~おとなのこたび~

早朝の喫茶店や、思い立って日帰りで出かけた海のまち、器を求めて少し遠くまで足を延ばした日曜日。「いつも」のちょっと外に出かけることは、人生を豊かにしてくれる。そんな記憶を綴った珠玉の旅エッセイ。

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大平一枝

文筆家。長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に「東京の台所」シリーズや『人生フルーツサンド』『こんなふうに、暮らしと人を書いてきた』『そこに定食屋があるかぎり』など。「東京の台所2」(朝日新聞デジタル&w)、「自分の味の見つけかた」(ウェブ平凡)、「遠回りの読書」(サンデー毎日)など各種媒体での連載多数。

HP:https://kurashi-no-gara.com/

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