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 遠い話だと思っていた介護の扉が、ある日突然ぱっかんと眼の前で開いた。
 今年1月、あまりにも急すぎて何の心の準備もないまま、長野の実家への往復が始まる。父が倒れたのだ。
 といっても現在は回復し、要介護認定──この言葉も人生で初めて自分ごととして使い、いまだに慣れない──は最も軽く、怒涛の3カ月間が嘘のように、元気に趣味の家庭菜園をぼちぼち再開している。

 

 正確には80日間に、JR中央線を特急あずさで5回往復した。それまでは年に一、二度帰省する程度だった。
 仕事のやりくりに四苦八苦し、これが永遠に続くのだろうかと、早くも途方に暮れかけた。私の何十倍も苦労している友だちがいるのに、どこか人ごとだったのだなあと今頃自分を省みる。

 一度目の帰省は親戚の葬儀だった。まさかその四日後に、父が倒れて再び同じ駅に降り立つとは思いもしなかった。
 初回は、駅に着いてから葬儀まで一時間以上あったのでひとり、駅周辺を歩いていた。振り返ると、いつも帰省するときは、家族の迎えの車にすぐ乗り込み、実家まで脇目も振らず直行する。転勤の多かった父がこの街に家を建てたのは、私が進学で家を出たあとだったこともあり、この駅界隈のことを何も知らない。

 ホーム内に葡萄棚があったり、こんな隙間に立ち食い蕎麦屋が? と目を丸くしたり。何十回と通っているのに、全く気づかなかったことに驚く。
 たしか駅の中二階(ちゅうにかい)に、登山客が集まるロッジ風の純喫茶があったはず、それだけは知っているぞと、店を探す。夜は無人になるその駅唯一の喫茶店だった。
 ロータリーに続く下りの大階段の脇、数段下がった目立たぬ先に、その小さな扉はあった。
 しかし、なんだか雰囲気が違う。思い切って押すと、カウンターに並んだワイングラスが目に飛び込む。
 内装をフルリノベーション、椅子やテーブルも一新され、ワインと料理の店になっていた。
 ロータリーと線路を見渡せる大きな窓側に、一枚板のカウンターがある。バックカウンターの上には、地元ワイナリーのグラスワインやハートランド生ビール、ワインの飲み比べ三種などと書かれた黒板が。

 カキのアヒージョ、ホタテのトマト煮、おつまみセットなんてのもある。
 窓に面して外を見下ろせるひとり席に座り、まずは生ビールを一杯。次にミニグラスワインと前菜三種のセットを頼んだ。燻製の合鴨ロース、いぶりがっこクリームチーズ、ミックスナッツに赤か白のワインを選べて1000円である。
 安さも含めて、店自体が引っ込んだところにあるためか、隠れ家を見つけ当てた気分だった。
 その日は、一時間後に葬儀場に行った。次はいつ来れるかわからないのに、「また来ます」と口から出ていた。

 そして翌週、思いがけず再びの帰省。
 父の入院で心細くなっている母の手伝いや介護用品の手配、各方面への連絡などに追われた。父の退院に備え、家の一部もリフォームすることになり、メールや連絡のやりとりも目白押しだった。
 
 五日間があっという間に過ぎ、気づいたら缶ビールの一本も飲んでいなかった。
 幸い原稿の締切はなかったものの──だから急遽駆けつけることができた──、仕事のメールは三本返すのがやっとだった。きっと飲もうと思えばできたろうが、翌日までに決めなければいけないことに追われ、その気持ちになれなかった。
 くたくたになりながら最終日の夕方、スマホで電車の予約をしかけ、ふと思いたち、一時間半後の特急にした。あの店で、ひと休みしようと思ったのだ。

「いらっしゃいませ」

 この間と同じ女性が、変わらぬ笑顔で迎え入れてくれる。私が帰省客であることも、ましてや家の事情も何も知らない。どこのだれかもわからない。先日来た人、という唯一の情報を理解しているのがアイコンタクトでわかる。
 生ビールを頼み、キンと冷えたビールグラスが運ばれてきた。丁寧に入れられたことがわかる細かい泡。汗をかいたグラス。ふーっと深い息が漏れた。五日ぶりの金色の液体は、ことのほか体と心にしみた。

 ほかに客がいない。
 カウンター越しにポツポツと会話を交わす。女性が言った。
「さっきまで、あずさに遅延がでていたようですよ」
「え、今は?」
「平常通りだそうです。良かったですね。東京ですか」
 そこから自分が父の入院で帰省したことなどを話した。
 立ち入りすぎず、さりとて放置しすぎず。絶妙の塩梅が心地いい。

 東京に帰れば、仕事があり家事があり、母になり妻になる。実家では、不安がる母のために奮起したつもりだったものの、けっこう空回りをして、しばしば母とぶつかる娘の顔になる。
 実家と東京の間に、なにものでもない違う時間が欲しかった。
 今の状況を誰も知らない街の片隅で、けれど完全に知らん顔されるわけではない故郷らしい距離感で、ひとりになりたかった。これは介護帰省のこたび(小旅)ならではの感覚だと思う。

 あまりの居心地の良さと、五日間を乗り切った安堵感で、結局そのあと前菜とグラスワイン三種飲み比べをまたたのんでしまった。あらためて知る地元ワインのおいしさに感激しつつ、「ひと休み」の域を超えているぞと苦笑する。
 先の心配は考えだしたらきりがないけれど、ひとまずここで、よれよれの心を洗濯することはできた。
 少し軽くなった体で、数段の階段を上り、改札に向かう。

 帰宅後しばらくして、もう二年も介護のため香川への帰省を毎月続けている友だちに聞いた。
「息抜きしないと、自分が倒れちゃうね。◯◯ちゃんは、どうしてるの」
「介護は長丁場だから、自分の楽しみがないとやっていけないよ! 私は地元でけっこうライブに行ってる。義妹と、遠くのカフェも。顔なじみのレコード屋の店主もいて、帰るとそこに寄るのが楽しみなんだ」

 大変そうだなと傍目に見ていたが、音楽好きの彼女は彼女なりのやり方で、帰省先で自分の羽を休める第三の居場所やこたびを楽しんでいた。私なぞよりつらいことは何倍もあるのを知っているが、自分養生あってこその介護であると心得ていた。いや、通いながら、どうにか試行錯誤を重ねるなかで、そこに気づいたのかもしれない。

 この話を編集者に話したら、「私の知り合いにも介護で帰省すると、帰りに少し足を伸ばして観光名所を訪れたり、温泉や美術館など気になっていた実家の近くの場所を訪れるのを楽しみにしている人がいます」とのことだった。
 実家の近くの観光スポットというのは、なかなかそこを目当てに行かないものだ。帰省が最大の癒やしであり、大目的になるからだ。

 介護便乗ひとり旅は、裏返せば、そういうささやかな楽しみでもなければ容易に乗り切れないという証でもある。ゴールがなく、ともすれば孤独感も抱く。
 それでも、自分養生の快は、ないよりあったほうがずっといい。自分らしいささやかな場所を探すのも楽しい。駅階段脇の小さな扉の楽園のように。
 私のこたびは、駅舎一時間のショートトリップから始まったばかりである。もし次なる事態が訪れたら、安曇野の田園にぽつんと佇む自家焙煎珈琲店を、予定に足そうと考えている。

左がホーム、右がロータリー。この日の前菜三種は合鴨ロース、いぶりがっこクリームチーズ、りんごのワインマリネ。
地元ワイナリーのものが多数揃い、グラス1杯からOK。

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ある日、逗子へアジフライを食べに ~おとなのこたび~

早朝の喫茶店や、思い立って日帰りで出かけた海のまち、器を求めて少し遠くまで足を延ばした日曜日。「いつも」のちょっと外に出かけることは、人生を豊かにしてくれる。そんな記憶を綴った珠玉の旅エッセイ。

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大平一枝

文筆家。長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に「東京の台所」シリーズや『人生フルーツサンド』『こんなふうに、暮らしと人を書いてきた』『そこに定食屋があるかぎり』など。「東京の台所2」(朝日新聞デジタル&w)、「自分の味の見つけかた」(ウェブ平凡)、「遠回りの読書」(サンデー毎日)など各種媒体での連載多数。

HP:https://kurashi-no-gara.com/

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