
事実をどう切り取るか?の影響力
「コールレポート妖怪」
後輩たちは恐らく、私をそんなあだ名で呼んでいるはずだ。
コールレポートとは、面談や打合せで何を話したか記録する議事録のこと。作成したら、関係各所への送付・社内フォルダへの保存がマスト。お客さんとのアポの帰り、他部との打合せの後、同席していた後輩に向かって「コールレポート、早めにお願いね」が私の口癖。
記載するのは、日時・場所・参加メンバー・会話内容・ネクストアクションまで。若手が作る場合はドラフトを提出してもらい、ワード文書に修正履歴付きで添削する。メモ不足なのか内容がスカスカだったり、要点をまとめずダラダラと書いてあったりする場合、修正履歴でまっかっかになることも。隣に座って修正作業を見守る後輩が、「うわわわわ…」と悲痛な声を上げていることもある。
コールレポートを残すことは、厳密には義務ではない。軽い表敬訪問だったら作らない。(というか、コールレポートが不要に思えるほどの面談なら無しで済ませたいものだ)「まだそんなブルシットジョブ続けているの?」なんて言う人もいるかもしれない。後輩が作ったものを上から修正する私の行為は、いわば老害ムーブなのかも。
それでも私は、コールレポートをしっかり作成することを徹底している。
職種的に「言った・言わない」の記録がとても重要であること。きめ細かな情報共有はチームワーク仕事の基本動作であること。面談に同席していない上席者や関連部に対するアピールになること。
一番の理由は、特に若手にとって、文章に書き起こすことは頭の整理になるからだ。
面談ではその場の雰囲気に流されることも多く、「なんとなくわかった気がする」「なんとなく納得できた気がする」に陥りがち。頭を冷やしてコールレポートの形にすることで、ごにょごにょっと誤魔化したことが浮き彫りになり、次に何をすべきかが明確になるのだ。
たいていの場合は何カ月かすると「もう私のチェックは不要です。自分で作成したものをそのまま完成版としてください」と卒業宣告をするが、自分が検証者でなくなっても、他の人が書いたコールレポートを読むのは私の好きな仕事の一つだ。
コールレポートの面白さは、同じ面談に同席していたはずなのに、記録者によって内容が違ってくること。
例えば、先方に難しい条件を提示して、なんとか応諾してもらったとする。交渉中の緊迫した空気は握手をした後ゆるみ、先方のお偉いさんから笑顔で「御社のこれまでの貢献を考えたら、確かに妥当な条件かもしれませんね」といったコメントを引き出して円満に終わった……。
そんなシチュエーションを、ごく簡単に「交渉の末、先方応諾」と書くのか、交渉中にやりとりした内容も詳細に書くのか、握手後の会話まで記録しておくのか。記録者がその面談でどんな役割を担っていたか、レポートの使い方にどんな狙いがあるのか、レポートを見せる相手にどう感じてほしいと思っているのかによって、構成も密度も情報の取捨選択も変わってくるだろう。
「あなたには分からない。世界はあなたに分からないことで満ちている。あなたには何かが分かってるのかもしれないけど、この世界はあなたには分からないことだらけだよ。そんなあなたが小説を書いても、何も伝わらないだろうね」――『YABUNONAKAーヤブノナカー 』より
金原ひとみさんの新作を読んでいて、コールレポート好きという自分のフェチズムの秘密がわかった気がする。
『YABUNONAKAーヤブノナカー』(金原ひとみ/文藝春秋)
文芸界を舞台とした性加害とセクハラをテーマにした長編小説。10代の頃から注目されていた金原さんが描く生々しい物語ということで、出版直後から非常に話題になっていた。
本作は、とある文芸雑誌の編集者と作家志望の女子大生の間に起きた事件を巡り、当事者の二人・同僚の編集者やベテラン女性作家・彼らの家族やパートナーたちが一人ずつ独白していく構成になっている。
ミステリー小説でもよく使われる、この「複数視点」という手法。語り手を限定せず、複数の登場人物にそれぞれ語らせることで、テーマの多面性を浮き彫りにし、読み手を謎に引き込む効果がある。本作のタイトルは、この手法を用いた芥川龍之介の名作『藪の中 』を意識してつけられているのだろう。私は昔から、この「藪の中」式の小説が大好きだ。
被害者と加害者、そして傍観者。それぞれの価値観や意見・そのとき見えていたことと見えなかったことを他人の視点を介さずにそのまま読ませて、読者の「正義」を揺らす。
性加害・セクハラという、今の社会では明るみに出た瞬間に断罪され、加害者にも被害者にもテンプレートな攻撃が襲い掛かり、ネットで消費されていきそうな火種。それを「藪の中」式で描くことで、玉虫色の側面と、問題の根源をえぐり出していく。
私は他人が作ったコールレポートを、職業上必要とされるレベルを少し超えた好奇心をもって読んでいる気がする。そしてそれを上から書き換えていくとき、うっすら感じている罪悪感と嗜虐心。
ビジネスの世界では多くの場合、声が大きい人・言語化が上手な人が勝つ。事実はもちろん存在するが、「材料」でしかない。事実をどう切り取るか・見せるか・解釈するかは人それぞれ。先んじてその権利を奪取しにいくことで、ドライビングシートに座り、状況をコントロールする力を手にするのだ。
世界は「藪の中」であることを知っているか、知らないか。それがどれほど重要な分岐であるかを、私は知らず知らず、ビジネスとフィクションの両面で体感している。
コンサバ会社員、本を片手に越境する

筋金入りのコンサバ会社員が、本を片手に予測不可能な時代をサバイブ。
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