光野桃さんのトークショーで「自分を花にたとえる」ことを意識した梅津さん。その帰り道、友達があげてくれた花とは?
自分を花にたとえて魅力を開花させる
桜が散りはじめている。
この季節は誰に会っても、「桜が満開になるのはいつか」「あそこの桜の咲き具合は」「どの週末に花見をするのがベストか」という話題になる。周囲の人の話をまとめるに、今年は不安定な気候もあいまって、開花具合が読みにくかったらしかった。
どうも他人事のような書きぶりになるのは、私が花に興味がないからだ。花に、というか植物一般に関心が薄い。電話すると必ず庭仕事の話になる祖母と違い、私の指は緑ではなく茶色らしい。
部屋に花を飾ったり、もらったりあげたりという習慣もない。「継続して世話する必要がある」ものが自分以外に存在することに慣れていないせいだ。花の名前もあまり知らず、梅雨時期の紫陽花以外に、道端の花に目を留めることもあまりない。
そんな無粋な私だが、実は「心の花」を持っている。
きっかけは、エッセイスト光野桃さんのトークショー。私は大学生の頃から光野さんが書くファッションにまつわるエッセイの大ファンで、『白いシャツは、白髪になるまで待って 』(幻冬舎)が刊行された際に開催されたトークショーで、初めて光野さんに対面した。
「これまで開催してきたイベントやトークショーでとても人気なのが、参加者を『花にたとえる』遊びです」
最後の質疑応答の時間に、光野さんがそうおっしゃった。光野フリークの私は、それが『おしゃれの幸福論』に書かれていたことだとすぐ気づいた。
「自分」という目に見える外見と見えない内面の組み合わさった複雑極まりないものを、花という、色や形や雰囲気など、さまざまなビジュアル要素で構成されたものになぞらえる。――『おしゃれの幸福論』(光野桃/中経出版)より
光野さんが講師をされていたファッションセミナーで、参加者に「今の自分を花にたとえて、そのイメージで装いを選び直す」という課題を与えていたという。
自分を花にたとえるなんて、ちょっと恥ずかしい。単なる「好きな花」とも違う気がするし……。でも、「これだ」という花を思い定めた後は、驚くほど急速に自分の魅力を開花させる人ばかりだったそうだ。
自分で考えるのは難しそう。でも、この場で勇気を出して挙手さえすれば、光野さんがパッと見た印象で花にたとえてくれるという。しかし、どんどん上がる手に委縮してしまい、結局お願いすることはできなかった。
帰り道、一緒に行った友人に「私も花にたとえてほしかった……」としおれてつぶやく私。花が好きな友人は、「じゃあ私がたとえてあげる。えっとね……あなたは水仙かな。白い花びらの日本水仙ね」と即答。さ、さすがMちゃん。
構成要素が少なく、すっきりシンプルなフォルムと色。しゅっとまっすぐ伸びる茎と、何かを考えているのか、ただ楽しているだけなのか、くいっと曲がる首。「ナルシスト」「自己愛」という花言葉さえ、私だなぁと思わされてしまった。
それ以来、水仙を見つけるとつい目に留めるようになり、自分で買ったり育てるようになってしま……わないのが私という人間です。でも、「心の花」としてそっと、水仙のイメージを胸に秘めている。
『掌の小説』(川端康成/新潮文庫)
別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。
花は毎年必ず咲きます。――『掌の小説』収録「花」より
ノーベル文学賞受賞、日本の近現代文学を代表する作家・川端康成。デビュー前の16歳のときに書いた自伝的作品「骨拾い」から、文化勲章を受章した60代に執筆したものまで、なんと122編が収録。短いものは数行で終わる作品もあり、まさに「掌におさまるような」小さく美しい花びらのひとひらのような作品たち。川端康成が描いてきた、日本人の情緒を凝縮させたような一冊。
『たしなみについて 』(白洲正子/河出文庫)
美しい花の、茎というよりも、私はそれを美人のすき通る様な首にたとえたくなります。過去の、多くのそれ等の首は死に、くさり、土に還り、未来は永遠に先へ先へとのびてゆく。――『たしなみについて』より
昭和期を代表する実業家の一人、白洲次郎の妻である白洲正子。華族出身で幼少時より能を習い、海外留学も経験。確かな審美眼と表現力で鳴らした随筆家として知られている。政治・ビジネスの両方で成功し、粋でダンディな魅力も兼ね備えた夫に勝るとも劣らない、強烈な個性と才能をもった女性だった。本書は、美意識・生き方についてつづった一冊。随所にみられる花の描写の中でも、蘭について書かれた章の言葉と表現の豊かさは必読。
『源氏物語 1 古典新訳コレクション』(角田光代/河出文庫)
「白く咲いておりますのは夕顔と申します。花の名前はいっぱしの人間のようでございますが、こうしたみすぼらしい屋根に咲く花でございます」――『源氏物語 1 古典新訳コレクション』より
大河ドラマ「光る君へ」が放映中ということもあり、多くの人が改めて関心を寄せているであろう「源氏物語」の世界。光源氏と女性たちとの邂逅には、多くの花たちが彩りを寄せている。質素な屋敷に住む中流階級の女性・夕顔との出会いは、屋敷の壁に咲く夕顔の花をはさんだやりとりから始まる。ひっそりと暮らす寂しげな夕顔の魅力に惹きつけられる光源氏。様々な意味をもつ「かなし」という言葉が、これほど似合う女性がいるだろうか。
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