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心と現実

2024.04.20 公開 ツイート

人は「心」を持つという暗黙の了解 詐欺や嘘に騙されてしまう認知科学的理由 川合伸幸/鈴木宏昭

なぜある人にとっては何の変哲もないモノが、別のある人には感情を揺さぶる特別な存在になるのか。こうした問題に答えるのが「プロジェクション」の科学だ。世界を見る時、私たちは心で生成されるイメージを現実の存在に投射し、重ね合わせている。この「プロジェクション」の概念が、今、心をめぐる謎を解き明かしつつある――。

最新の研究から人間の本質に迫る知的興奮の一冊、鈴木宏昭さんと川合伸幸さんの共著『心と現実 私と世界をつなぐプロジェクションの認知科学』より一部を抜粋して紹介します。

心とは何か(川合)

まず最初に、川合から簡単に「心の理論」と「表象」という語について、説明しておきたい。プロジェクションとは、私たちの心の働きを探究する科学だからである。

私の二歳になる前の娘が、少し変わった隠れん坊をしていた。いきなり、顔を手で覆うのだ。

私が「どこにいったのかなー」と言って探すふりをすると、キャッキャと喜ぶのだ。最初は娘が何をしているのかがわからなかった。目の前にいたのに、いきなり顔を隠して、どうかしたのかと驚いたが、その年齢の子どもには「心の理論」がないことを思い出した。

つまり、自分からは目の前の人が見えなくなったので、目の前の人も自分を見えなくなった、と考えているのだろう。子どもは自分の知識や心の状態が、そのまま他者にも当てはまると考えてしまう

心理学や認知科学では、人間には「心の理論」が備わっていることを前提として考える。「心の理論」とは、他者の心の状態や信念を推測し、理解する能力のことを指す。

「人はこの状況下では、こう考えるだろう」というある種の仮説のようなものを持ちながら、我々は他者とコミュニケーションを取っているということだ。詐欺や嘘が成立するのは、騙す側が「心の理論」を駆使し、「こう言えば聞いている人は、こう考えるだろう」「こう言えば聞いている人は、こちらの発言を信じるだろう」と推測し、見事にその通りになるからである。

通常三歳以下の幼い子どもでは「心の理論」が備わっていないとされる。

「心の理論」の有無を調べるためには、次のような問いがよく用いられる。

①太郎君と花子さんは一緒に遊んでいたが、太郎君は先生に呼ばれたので、おもちゃを二人で一緒に緑色の箱にしまって出掛けました。

②その後、花子さんはそのおもちゃを取り出して一人で遊んだ後に、今度は青色の箱にしまって家に帰りました。

③太郎君が再びやってきて、先ほどのおもちゃで遊ぼうとしたところ、緑色と青色のどちらの箱を開けるでしょうか?

講義でこの問題の説明をすると大学生でも間違う人がいるが、正解は緑色の箱である。回答者が知っている状態(おもちゃは最終的に青色の箱に入っている)と、他者(太郎君)の心の状態(おもちゃを緑色の箱に入れたので、緑色の箱に入っていると思い込んでいる)が異なることがわからないと、自分の知っている情報だけを頼りに青色と答えてしまう。

私たちは、このように心の中で作り出した「表象」を他者や物に当てはめながら生活している。表象というのは、イメージと言い換えてもよい。

もう少しわかりやすい例を出してみよう。たとえば、「リンゴ」という三文字を見るだけで、あの赤い果物のことだとわかる。そのときに視覚的なイメージが浮かんでも浮かばなくても、頭の中で理解できる。その理解できる状態になっている頭の中のイメージが、表象である。小説で「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」と書いてあれば、私たちは、わずか十七文字のこの言葉で、雪国の情景をありありとイメージできる。

なにも表象は視覚的なイメージに限らない。たとえば、「踏切の音」と聞けば、「カン、カン、カン」というリズミカルな甲高い音をイメージできる。文字や音声を通じて脳内で作り出される表象を、私たちは互いに伝え合い、了解し合えるので、会話が成立する。

「リンゴ」や「apple」という文字を見れば、同じような表象が頭で作られる。しかし「pomme」ではなんのことかわからないかもしれない。フランス語を理解する人なら「リンゴ」と同じ表象ができているはずだ。

すべての人がまったく同じ表象を持っているわけではない。たとえば「神」という文字から得られる表象は、特定の宗教を信じている人と無神論者で異なるだろう。だが、それでもその二人は神について語り合うことはできる。同じモノやコトに対する表象が、それぞれの人でぴったり一致していなくても、私たちはコミュニケーションできる。いやむしろ、ぴったり一致していることの方が稀だろう。

「車」一つとっても、車を所有する人は自身の車の表象を持つかもしれないし、車を所有しない人は、もう少し抽象的な表象を持つかもしれない。私たちの持つ表象は、厳密なものではない。それはちょうど、赤いリンゴを見ても緑色のリンゴを見ても、リンゴの表象が得られることと同じなのだ。

以上のことを踏まえれば、「プロジェクション」の考えが、より鮮明に理解できるだろう。本書ではこのように世界のさまざまな情報を処理し、経験や印象などから自己の内部モデルを構築し出力するシステムを「心」と呼び、その働きによって得られるイメージを「表象」と呼ぶ。

心臓に心があると考える人が一定数いるが、情報処理システムを心と呼ぶなら、それを担うのは脳である。身体のそれぞれの器官は専門的な役割を担うが、脳は外界の情報を取り込み、記憶と照合し思考をした上で、出力(運動や発話)する情報処理器官である。脳によって担われている処理が心である。テレビという装置によって番組が映し出されているが、テレビそのものには番組(映像や音声)は存在しない。同じように脳という器官によって心という働きが担われている。

関連書籍

鈴木宏昭/川合伸幸『心と現実 私と世界をつなぐプロジェクションの認知科学』

なぜある人とっては何の変哲もないモノが、別のある人には感情を揺さぶる特別な存在になるのか。なぜパントマイムでは、壁や障害物が実際にあるかのように見えるのか。これらの問題に答えるのが「プロジェクション(投射)」の認知科学だ。世界を見る時、私たちは心で生成されるイメージを無意識のうちに現実の存在に投射し、重ね合わせて見ている。この心と現実の世界をつなげる「プロジェクション」の概念が、人間の心をめぐる数々の謎を解き明かしつつある。最新の研究成果から人間の本質に迫る知的興奮の一冊。

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川合伸幸

一九六六年、京都府生まれ。、名古屋大学教授。二〇〇五年第一回文部科学大臣表彰・若手科学者賞、二三年同科学技術賞、一〇年日本学士院・学術奨励賞、日本学術振興会賞を受賞。二三年から日本認知科学会会長。主な著書に『ヒトの本性 なぜ殺し、なぜ助け合うのか』(講談社現代新書)、『凶暴老人 認知科学が解明する「老い」の正体』(小学館新書)など。

鈴木宏昭

一九五八年、宮城県生まれ。八八年東京大学大学院教育学研究科を単位取得退学。東京工業大学大学院総合理工学研究科助手、エディンバラ大学客員研究員などを経て、二○〇九年に青山学院大学教育人間科学部教授となる。一三年から一五年まで日本認知科学会会長を務める。主な著書に『教養としての認知科学』(東京大学出版会)、(講談社ブルーバックス)、『私たちはどう学んでいるのか 創発から見る認知の変化』(ちくま新書)など。二三年三月八日逝去。

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