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夜のオネエサン@文化系

2024.02.09 公開 ツイート

火傷のあとも熱も確実にあった~『熱のあとに』 鈴木涼美

交差点から数えて三つ目だか四つ目だかの細長いマンションに暮したのは確か一年に満たない期間で、その間に三度も非常階段を駆け下りた記憶があるのは、一つにはそのマンションにはエレベータが一台しかなく、階段は比較的目に入りやすい廊下の手前にあったから。もう一つにはその時の生活が荒れていたからだ。交差点の名称は苦難を切り抜けられる弁天社にちなんでいたが、切り抜けなくて良いようなくだらない苦難をどう避けて生きればいいのか教えてくれえる人はいなかった。

 

一度目に駆け下りたのはあまりに怒っていたからで、最後に駆け下りたのは身の危険を感じたからだった。危険を避けるために階段を選んだはずが、最終的に足をくじいて誰かに追いつかれ、後頭部を叩かれた。二度目が何の拍子だったのか、原因はいまいち思い出せないが、いずれにせよ結果は悲惨で、躓きかけた際に鞄から落ちたメイクポーチが開いていて、いくつか化粧品が柵の隙間から地上の自転車置き場に落ちてしまった。

非常階段は非情階段でもあるので人の汚い姿や人間関係の嫌な側面を浮かびあがらせるが、逆に言えば非常階段で表出するそういう部分というのは表通りや部屋の中では隠されているわけで、当時の私はそういう自分や相手のしょうもない部分を階段に押し込める程度には大人になっていたとも言える。だから部屋の間取りすら朧気にしか覚えていないマンションの、非常階段六階部分にある汚れまで正確に覚えているのかもしれない。

映画『熱のあとに』は私がそんな茶番を繰り広げていた非常階段にほど近い、苦難を切り抜けられる弁天社の信号のすぐ手前で起きた事件を一つのモチーフとして、事件加害者のその後の可能性としての物語を紡いだ作品だ。「好きで好きで仕方なかった」といって男を刺した彼女自身の現在の生活とは直接関係がないが、歌舞伎町なんていう非常に熱っぽい場所で一生を終える人はとても少ないので、熱の「あと」に街を出て、どこか別の場所で暮らそうという人がほとんどであるのはたしかだ。

映画はそうやって、熱の残った靴を履き、熱のつくった火傷の残る身体で、歌舞伎町ではないどこかで暮らそうとする者のひとつの可能性を生々しく、ある意味残酷に描いている。言葉で成り立っていない歌舞伎町が起点になっているのに、映画自体は言語過多の様相で、それも全部「熱の最中」ではなく「熱のあと」に焦点をあてるからなのだと感じた。歌舞伎町は内側からよりよほど外側からの方が語りやすい。

そしてやはりマンションの階段や廊下で表出する人の熱っぽさが何度か描かれる。男を刺した女が煙草を吸うのもほの暗いマンションの廊下であるし、かつての熱を探して田舎の、良い土地の、良い男のもとを離れて街に舞い戻り、しかしどうしようもなくうずくまるのも非常階段だった。非常階段はやはり非情階段なので、確実にあった熱と火傷を記憶はしてくれるが、その熱と火傷を巻き起こした原因、つまり火の所在は教えてはくれない。

思弁的な映画の中に特に私にとって印象的な台詞が二つあった。田舎の良い土地で良い男と家庭をつくる主人公がこぼす「幸せは現実だけど本当じゃない」という言葉。それから、かつて主人公に刺された男の妻が口にする「現実を馬鹿にしないで」という言葉。

真実に対して軽視されがちな現実を、私は実体のない真実なんかよりずっと大切にしてきたつもりで、だから言ってみれば主人公の言葉よりも、男の妻の言葉の方に体重が乗っていると思うのだけど、それでも圧倒的に真実であった熱を信じる主人公にも一定の憧憬がある。現実を生きて、それを幸福だと理解すらしているにもかかわらず、それを本当じゃないと言い切れる女が、かつて感じた「本当」はどれだけ熱いものだったのだろうと考えてしまう。

実際、今も自分を焦がすような、プラスチックや金属にしっかり残っているようなかつての熱に対して、この作品はかなり残酷な答えを一つ見せる。かつての熱は時代や自分の年齢や偶然やタイミングによって得たものなのだから、どんなに欲してももう手に入らないのはそれはそうだろう。だから愛おしいし、だから懐かしいのだ。私にとっての横浜の弁天通りも新宿の抜弁天もそういう熱っぽい思い出の場所ではある。しかしかつて自分の手元にあって、今ではどうしたって手に入らない熱との距離の測り方を考えさせるだけでは映画は終わらない。現実はもっと滑稽なのだ。

主人公がかつて熱だと信じていたもの、実際に主人公の肌を焼き、身体を焦がしたその熱は、熱源のない幻だったのではないかという残酷な現実が示唆される。女に夢を売る職業の男は、女の想像力と願望を詰め込む箱になりきるのが仕事で、彼女の蓄えた熱は二人の人間の摩擦によって生まれたわけでも、投げ合う炎からこぼれる火花でもなく、よくできた綺麗な箱の中で彼女が一人で温めた、自家栽培の熱だったのかもしれない。それは彼女の肌を焼く程度にはリアルで、しかし過去を覗き見たり、他者が遠くから眺めたりすれば、パントマイムのように実態のないものをあるように見せる一人芝居にすぎなかったのかもしれない。

思えば現実は大体そのようなレベルで滑稽で、もしかしたら非常階段を駆け下りる私の後ろに実態のある誰かなんて実はいなくて、大きな箱が滑り落ちてきていただけなのかもしれないし、そんな箱すらなくて私はいつも一人だったのかもしれないけれど、熱源がなくとも火傷や熱すら偽物だったなんて私は絶対言わせないし、この物語の主人公だってそんな話に同意はしないだろうと思う。
 

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夜のオネエサンが帰ってきた! 今度のオネエサンは文化系。映画やドラマ、本など、旬のエンタメを糸口に、半径1メートル圏内の恋愛・仕事話から人生の深淵まで、めくるめく文体で語り尽くします。

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鈴木涼美

1983年東京都生まれ。蟹座。2009年、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。著書『AV女優の社会学』(青土社/13年6月刊)は、小熊英二さん&北田暁大さん強力推薦、「紀伊國屋じんぶん大賞2013 読者とえらぶ人文書ベスト30」にもランクインし話題に。夜のおねえさんから転じて昼のおねえさんになるも、いまいちうまくいってはいない。

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