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夜のオネエサン@文化系

2024.01.26 公開 ツイート

人生の師匠が“お世話役”を買って出て20年~安野モヨコ『還暦不行届』 鈴木涼美

10代の女は月経や胸の膨らみなど身体の形が子どもから女になるというグロテスクな変化を経験した後、大人になった身体に釣り合わない幼い中身を抱えてジタバタ悪戦苦闘を繰り返し、徐々になんとか中身と外身の整合性を自分の中で見出し、稚拙でフラフラしながらも歩き方を身につけたとき、思春期、アドレッセンスというものを抜け出す。抜群に個性や才能が強い人というのもいるのだろうが、多くのパンピーはジタバタの最中に何度か自分を見失い、自分のことも周囲のことも傷つけまくるので、指針になるロールモデルがいるのは重要なことだ。

 

私の10代後半は、フクちゃん(『ハッピー・マニア』)やモモちゃん(『ジェリー イン ザ メリィゴーラウンド』)に叱咤激励されながらなんとか女の生き様を学び、ほとんどの化粧品や被服の知識は作者である安野モヨコ先生の『美人画報』『美人画報ハイパー』『美人画報ワンダー』を貪ってなんとか女の形を獲得した。その後も大学や大学院でよくわからない学問をしながら未だ歩き方の定まらないでいたところ、『働きマン』の週刊誌記者・松方に憧れて「やっぱバリバリと会社で書かなきゃ」と記者になり、『鼻下長紳士回顧録』あたりで「やっぱり私も好き勝手に娼婦が描きたい」と思って作家になった、つまり勝手に安野モヨコチルドレンの一人だと思っている。当然今の楽しみはお風呂で『後ハッピーマニア』を読んで現代版シンデレラのその後について想いを馳せること。

なので、シンエヴァ公開時に放送された庵野監督のプロフェッショナルを見て、同世代にも腐るほどいるエヴァに人格を形取られた男子などが、妻で安野モヨコ先生のサポートに感謝し、絶賛していた頃、私は「感謝どころじゃない感謝はするべきだけど、サポート役みたいな見方やめてくれないかな、このお方は日本一重要な創作者の一人なんで、むしろその辺の男子五十人くらいでサポートしろって感じなんですけど」とご当人のお考え無視でブツブツ言っていた。十五年前に出版された『監督不行届』は当然大好きだったのだけど、なんでもユーモラスに描けてしまうモヨコ先生の実際の日常でのご苦労や負担を考えてドキドキもしていたのである。

還暦不行届』(安野モヨコ 祥伝社)

先日有楽町の三省堂でそう言えば買いそびれていた『還暦不行届』の赤い表紙が目について即座にレジに持って行ってその夜から楽しみにしかし大切に一章ずつ読んでいたのだが、今朝読み終わってしまって寂しい。という私の都合はどうでも良いとして、監督の言い間違い癖や一風変わった生活スタイルなど可笑しさと愛らしさが詰まった日常エッセイに私は何度かものすごく心を救われ、洗われ、揺さぶられて目頭を熱くしてしまった。

四十年も生きてきたけれど、その分いろんな既成概念、既成概念にとらわれてはいけないというもう一つの既成概念、理不尽な社会構造と理不尽な社会構造を受け入れてはいけないというもう一つの理不尽な圧力、などに毒されて、人という字は支え合い的なものすごく単純でものすごく根本的な人と人との関係性について見落としていた気がする。

出会った頃は家にヤカンもコップもガス台も置いておらず、お風呂は壊れていて、いなげやで980円だった「POLO  CLUB」となんだかギリギリの感じのロゴの入ったエメラルドグリーン(?!)のスウェットを毎日着ていて、肉も魚も食べられない、ある意味で一般的な人が特殊能力なしに送ることができる健康で文化的な最低限度の生活を送るのが難しい、しかし日本中の期待を背負う唯一無二の天才創作者である監督さん。同じく唯一無二の才能を持ったモヨコ先生は美人画報で多くの迷える若い女子たちを牽引するほど日常を過ごす才能に溢れている。お世話が必要な監督に、モヨコ先生は服やご飯や清潔な自宅を用意して、仕事で一杯一杯でさらに生活に支障が出るような時も、「何を置いても監督の健康を守る」ということを心に決めて、何があっても監督の命と炎が消えないようにサポートする。

入浴剤やマッサージや育毛剤まで用意しなくてはならない相手、しかもネルシャツを寝る時用のシャツと思い込んでいる無邪気な相手は、多忙な映画監督とはいえやはりとびきり忙しい職業である漫画家の仕事をしながらではあまりに大変と読者や周囲に見えたとしても、おそらく当のカップルにとってはとても自然な形なのかもしれない。そして著者自身が指摘するように、一方的にすら見えるお世話する人とされる人の関係は実際は支え合いの体をなしていて、また創作者としてのモヨコ先生の方にも多様な気づきをもたらしているように見える。

元々『ハッピー・マニア』など安野モヨコ作品には、どこにでも落ちていそうな男女のお話のちょっとした歪さや可笑しさへの鋭い観察眼に支えられたユーモアと、日常の小さな気づきが散りばめられた私たちの住む世界ととてもよく似た世界観あっての圧倒的なライヴ感があった。そういう創作者だからこそ、自分とは違う創作者である人との日常の面白さを見逃さない観察眼があり、またそれで自分のスタイルを再構築していくことができる。

二人の創作スタイルや共同作業のスタイルもよみどころの一つで、壮大な架空の世界を作り上げる監督は「膨大な情報の中から最適なイメージのかけらを見つけて全員で拡大していくという作業」を必要とする。それゆえ「相手の才能に対して制限をかけない」=「相手への要求が高い」。対して漫画家のモヨコ先生はアシスタントさんらの「個人の資質に頼るやり方ではなくて、素材を渡すやり方」。二つの別個の大きな才能が一つ屋根の下に暮らすのだから何かしらの苦労は当然ある。その受け入れ方が魅力的だと思う。

でもお二人ほど日本中に期待されるような創作者ではなくとも、多様な好きなものと嫌いなものと別の個性と背景と希望を持った二人がそれぞれの想いを一つの部屋に詰め込んでなんとか一緒に人生を進めていく夫婦というのは、似たような心持ちが必要なのかもしれないと思う。お互い何かしらを生み出そうとする時に、古風なしきたりはもちろんだけど、現代的な正しさの呪縛によって、それぞれのバランスが乱されるのは虚しいことかもしれない。と、これは気楽な独身の戯言ではあるものの、私は単純にエッセイを読んでいて、結婚ていいなと素直に思った。

私自身、仕事人としては割と一般的な人格だとは思うものの、若い頃は特についカップル内で主役争いをしてしまうところもあったし、逆に勝手に色々世話を焼いて「なんで私ばっかりやらなきゃいけないの」とイライラしたり、今度は古風ごっこをして絶対に女である自分のお金は一円も出さない試合に勝手に突入したりと、いろいろな価値観が混在する現代において、見栄えや快適さ、思想的な理想の狭間でジタバタといろんな人を傷つけ、仕事の進まなかったのを、去年付き合った男がダメだったからだ、と人のせいにして生きてきた。だからこそ心が救われ、洗われたのかもしれない。

「創作活動というのはどんなに周りに人がいたとてその核の部分は自分一人でやるしかない。それはいかに近しい間柄でも立ち入って手伝うことはできない」。それはきっと結婚していようが姉妹で暮らそうが友人や恋人と楽しみながら一人で暮らそうが全くそうだとは思う。でも私はこの人の隣で書きたいと思える人と一緒にいたいし、願わくばこの人の隣で仕事がしたいと思ってもらいたいと思う。そのために自分が捧げられる時間や能力は、外にどう見られても自分にとって自然な形で注ぎ込みたい。なんか今朝から、やけに世界が透き通って、空が青く小鳥が囀って見えるのだけど、今は深夜なので、完全にエッセイや漫画に持って行かれている。

関連書籍

上野千鶴子/鈴木涼美『往復書簡 限界から始まる』

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夜のオネエサン@文化系

夜のオネエサンが帰ってきた! 今度のオネエサンは文化系。映画やドラマ、本など、旬のエンタメを糸口に、半径1メートル圏内の恋愛・仕事話から人生の深淵まで、めくるめく文体で語り尽くします。

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鈴木涼美

1983年東京都生まれ。蟹座。2009年、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。著書『AV女優の社会学』(青土社/13年6月刊)は、小熊英二さん&北田暁大さん強力推薦、「紀伊國屋じんぶん大賞2013 読者とえらぶ人文書ベスト30」にもランクインし話題に。夜のおねえさんから転じて昼のおねえさんになるも、いまいちうまくいってはいない。

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