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関東大震災

2023.08.15 公開 ツイート

「東京全域が壊滅・水没する」 流言蜚語に便乗し弱者へと向かう暴力性 畑中章宏

今年9月1日で発生から100年を迎える関東大震災は、民俗学や民藝運動の誕生、民謡や盆踊りの復興の契機になると同時に、愛国心を醸成し、戦争への流れを作った歴史の分岐点でした。7月26日に発売された『関東大震災 その100年の呪縛』では民俗学者・畑中章宏さんが、大震災が日本人の情動に与えた影響をその後の100年の歴史とともに検証。その一部を本書より抜粋してお届けします。

限界状況下における流言蜚語

流言蜚語は、「世の中で言いふらされる確証のないうわさ話。根拠のない扇動的な宣伝。デマ」のことであり、大災害などが発生し、確かな情報を得る手段がない場合に、憶測で広められる誤情報のことである。非常な事態が発生したとき、こうした流言蜚語が社会に飛びかう。なんらかの被害が、わが身に及ぶ恐れを抱いた人びとが、根も葉もないうわさに耳を傾け、貴重な情報だと信じてデマや誤情報を拡散させていく。さらには、流言蜚語に惑わされた人びとが、異常な行動に駆られることもある。

 

(写真:Wikimedia Commons)

関東大震災の際にも、「東京全域が壊滅・水没する」「津波が赤城山麓にまで達する」「政府首脳が全滅する」「伊豆諸島が大噴火により消滅する」「三浦半島が陥没する」「朝鮮人が暴徒化して、井戸に毒を入れ、また放火して回っている」などとさまざまなデマが流れた。それだけではなく流言蜚語に便乗して、潜在していた暴力性が発揮される異常な事態が起こったのである。

震災発生から3時間後には、東京をはじめとした各地に、「朝鮮人が放火した」「朝鮮人が強盗した」「朝鮮人が強姦した」などという流言が広まっていたという。

身体的な被害をまぬかれた人びとは自警団をつくり、通行人を路上で尋問したり、日本刀や竹槍を携えて、「朝鮮人」だと思しき人びとに暴行を加えたりしはじめたのだ。なかには、「朝鮮人が軍人や警官に変装することがある」というデマを信じ、軍人や警官を襲うこともあったという。

関東大震災で起こった虐殺事件によって犠牲になった朝鮮人は、当時の政府発表では231人。『朝日新聞』のまとめでは432人。吉野作造は、在日朝鮮人学生らの調査を基に2613人としたという。6000人超とする説もあるが、正確な数字は不明である。また朝鮮人に間違えられて殺された日本人や中国人もいた。

朝鮮人にたいする虐殺事件のなかには、こんなケースもあった。加藤直樹『九月、東京の路上で──1923年関東大震災 ジェノサイドの残響』によると、9月2日、京王電鉄笹塚車庫の修理に向かっていた複数の朝鮮人が自警団に襲われる。

車内に米俵、土工(土木工事)用具などとともに内地人(日本人)1名に伴われた鮮人(原文ママ)17名がひそんでいた。(中略)朝鮮人と見るや、警戒団の約20名ばかりは自動車を取り巻き二、三、押し問答をしたが、そのうち誰ともなく雪崩なだれるように手にする凶器を振りかざして打ってかかり、逃走した2名を除く15名の鮮人に重軽傷を負わせ、ひるむと見るや手足を縛して路傍の空き地へ投げ出してかえりみるものもなかった。

(東京日日新聞1923年10月21日付。加藤直樹『九月、東京の路上で』)

この事件後に、現場近くの烏山神社(世田谷区南烏山)に13本のシイの木が植えられたが、その理由について13人が殺されたことを偲んでと解説されることがある。しかし、実際に命を落としたのは1人だけだったようなのだ。

1987年に「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」が発行した冊子には次のような古老からの聞き取りが収められている。

このとき、千歳村連合議会では、この事件はひとり烏山村の不幸ではなく、千歳連合村全体の不幸だ、として12人にあたたかい援助の手をさしのべている。千歳村地域とはこのように郷土愛が強く美しく優さしい人々の集合体なのである。私は至上の喜びを禁じ得ない。そして12人は晴れて郷土にもどり、関係者一同で烏山神社の境内に椎の木12本を祈念として植樹した。

(「大橋場の跡 石柱碑建立記念の栞」)

つまり、朝鮮人を襲撃したとして12人が起訴されたのだが、神社に植えられたシイの木は犠牲者を悼むより、むしろ加害者への同情を込めたものだったのである。

内務省は9月1日、人心に不安を与えるような報道の自粛を要請。同月3日には、朝鮮人にかんする記事の掲載を一切禁じ、掲載した場合は発禁処分にすると警告した。

さらに同月5日、山本権兵衛首相は「民衆自らみだりに鮮人に迫害を加うるがごときことはもとより日鮮同化の根本主義に背はい戻れいするのみならず また諸外国に報ぜられて決して好ましきことにあらず 民衆各自の切に自重を求むる次第なり」という内閣告諭を出す。また関東戒厳司令部は、自警団や一般市民が許可なく武器や凶器を携帯することを禁止し、警察も流言を広げるものを取り締まる方針を示したことで、9月7日ごろには虐殺がやんだとみられる。

〈事件性〉に目をふさぐ

朝鮮人にかんする流言蜚語はどこから、どのように発生したのか。

その原因と理由としては、人びとの差別意識から起きたという自然発生説、民衆の不満を朝鮮人に向けさせるため治安当局や軍が仕掛けたという官憲説、このふたつが同時に起こったとみる同時発生説などがある。

惨劇が繰り広げられたいっぽうで、朝鮮人を助けた内地人の「美談」が報道され、その行動が賞賛されたという。また、官憲によって流言が広められ、あるいは殺傷が官憲によって許容されたとし、朝鮮人を迫害した自警団を弁護する論調も生まれた。情報が無根拠だったことがわかった後の著作物でも、誤解による悲惨として回想された。災害の〈事件性〉は些末なものとして扱われてきたのである。

そしてさらに、「日常」的に弱者だったものたちが、「非日常」時においては最弱者となること、限界状況で、日々の差別が極限まで助長されることを、首都で起こった災害は示している。被害者でなかったものが〈当事者〉になろうともしなかったことは、のちほど紹介する志賀直哉の事例などからうかがい知ることができる。

*   *   *

つづきは、『関東大震災 その100年の呪縛」をご覧ください。

また、本書の刊行を記念して開催された下記の対談講座のアーカイブが販売中です。

畑中章宏×辻田真佐憲「関東大震災と戦前の正体」

詳しくは、幻冬舎大学のページをご覧ください。

関連書籍

畑中章宏『関東大震災 その100年の呪縛』

東京の都市化・近代化を進めたといわれる関東大震災(大正12年/1923年)は、実は人々に過去への郷愁や土地への愛着を呼び起こす契機となった。民俗学や民藝運動の誕生、民謡や盆踊りの復興は震災がきっかけだ。その保守的な情動は大衆ナショナリズムを生み、戦争へ続く軍国主義に結びつく。また大震災の経験は、合理的な対策に向かわず、自然災害への無力感を〈精神の復興〉にすりかえる最初の例となった。日本の災害時につきまとう諦念と土着回帰。気鋭の民俗学者が100年の歴史とともにその精神に迫る。

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2023年7月26日発売『関東大震災 その100年の呪縛』について

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畑中章宏

1962年大阪生まれ。民俗学者。著書に『柳田国男と今和次郎』『「日本残酷物語」を読む』(平凡社新書)、『災害と妖怪』『津波と観音』(亜紀書房)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)、『天災と日本人』『廃仏毀釈』(ちくま新書)、『五輪と万博』『医療民俗学序説』(春秋社)、『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』(講談社現代新書)など多数。

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