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関東大震災

2023.07.30 公開 ツイート

〈自然現象〉が〈事故〉に…1923年9月1日の激しい風向きの変化で増大した死者数 畑中章宏

民俗学や民藝運動の誕生、民謡や盆踊りの復興の契機になると同時に、愛国心を醸成し、戦争への流れをも作った関東大震災。7月26日に発売された『関東大震災 その100年の呪縛』では民俗学者・畑中章宏さんが、関東大震災をその後の歴史の分岐点としてとらえ直し、日本人の情動に与えた影響を検証しました。本書より一部を抜粋してお届けします。

災害をめぐる非合理

壊滅的な災害にみまわれたとき、被害者やその周囲にいる人びとにはさまざまな感情が湧きおこる。関東大震災の際にも、悲しみや苦しみといった言葉では表わしえないエモーショナルな思いが溢れだしたはずである。災害に巻きこまれた人びとにたいして、感情的にならず、理知的な判断を求めるのは、残酷な仕打ちだろう。しかし、民俗的な慣習を行動規範としていた近世社会の人びとと比べても、関東大震災では情動に振りまわされて、非合理であったり、暴力的な反応を示したりした人びとが少なからずいた。

(写真: Wikimedia Commons)

インターネットが発達した現代とは比較できないとはいえ、関東大震災が起こった1920年代は、ジャーナリズムも起こり、情報化社会の入り口に立っていた。それにもかかわらず、災害の実態を知るために人びとは右往左往し、流言蜚語にまどわされ、突きうごかされたのである。そうして彼らは〈事件〉に巻きこまれ、また〈事件〉を起こす加害者になっていった。

文壇が成立し、文学が大衆にとって身近になりかけていた時期だったこともあり、震災に遭遇した人びとの記録や証言が、数多く書かれた。いまそれらを読んでみると、単純化や類型化ははばかられるとはいえ、いくつかの問題点を見いだすことができる。

ここからは関東大震災の状況を顧みながら、震災後に現われた問題、惨禍に遭遇して生まれたさまざまな感情、そして〈事件〉の背景などについて整理していくことにする。

下町における大量死

関東大震災の被害が大規模なものとなった原因のひとつに、明治維新以降も埋められていなかった山の手と下町の格差があった。

東京市では11時58分の地震発生直後から火災が起こり、それらの一部は大規模火災となって46時間にわたり延焼が続いた。延焼は市域の43.6パーセントにあたる34.7平方キロメートルに及び、日本橋区、浅草区、本所区、神田区、京橋区、深川区ではほとんどの市街地が焼失した。大蔵省、文部省、内務省、外務省、警視庁など官公庁の建物や、帝国劇場、三越日本橋本店といった文化・商業施設も焼失、神田神保町や東京帝国大学図書館も類焼し、多くの貴重な書籍群が失われている。

堅牢だと思われていた煉瓦造りや石造りのビルが倒壊し、浅草の象徴で12階建て、高さ52メートルの凌雲閣(通称・十二階)は、8階から上が折れるように崩れ落ちた。当時建設中だった丸の内の内外ビルディングが崩壊して作業員300余人が圧死、横浜でも官庁や裁判所などのほか、ホテルが倒壊し、宿泊していた外国人が圧死した。

地震が発生した9月1日から2日にかけては気象の変化が激しく、1日の昼過ぎまで南風だったのが、夕方には西風になり、夜は北風、2日の朝からは再び南風になった。風向きの変化による延焼方向の変化が、避難者が逃げまどう原因になり、逃げ場を失った避難者が増大する事態に結びついたと考えられる。1892年(明治25)に文部省に設置された震災予防調査会の報告によると、東京市における焼死者は5万217人にのぼり、大震災の死者全体の9割に達するものだった。

本所横よこ網あみ町(現・墨田区横網)の陸軍被服廠跡は、安全な避難場所と思われて多くの人びとが集まってきたが、火炎にのまれ、約3万8000人の命が失われた。生存者の証言によると、15時30分ごろから16時30分くらいまでのあいだに被服廠跡付近に火炎旋風が襲来し、そこに避難していた人びとの命が短時間のうちに奪われたのである。

関東大震災にかぎらないが、災害においては、大規模な〈自然現象〉が人間の住む場所を襲う一瞬だけで終わるものではない。〈自然現象〉はあくまでも災害の端緒にすぎず、非常時ならではのさまざまな〈事件〉や〈事故〉がそこに折りかさなっていくのだ。

また災害から復興するには、果てしなく長い時間がかかることも言うまでもない。人家を襲う大規模な〈自然現象〉とそれによる災害は、言ってみればまだ序の口なのであり、渦中はもちろん事後にも、その全体像を把握することは困難をきわめるのである。

社会学者・廣井脩の『災害と日本人──巨大地震の社会心理』によると、明治政府は、1872年(明治5)の大火をきっかけに、東京を改造し不燃化を促進しようとしたが、銀座一帯が煉瓦街になるにとどまった。唯一の改良点は、98年から着手された水道網の発達だった。そのため明治中期以降、東京の出火件数はほぼ横ばいなのにたいし、広域延焼火災が減り、焼失戸数は激減することになった。

ただし、これは平常時の火災についてだけで、水道が破壊されるような震災においては無力であり、水道の発達とともに井戸が急速に失われていったため、震災時の水利はかえって悪化したとさえいえる。震災前の東京は、依然として災害にきわめて脆弱な都市で、防災環境はほとんど整備されていなかったのだ。

*   *   *

つづきは、『関東大震災 その100年の呪縛」をご覧ください。

また、本書の刊行を記念して開催された下記の対談講座のアーカイブが販売中です。

畑中章宏×辻田真佐憲「関東大震災と戦前の正体」

詳しくは、幻冬舎大学のページをご覧ください。

関連書籍

畑中章宏『関東大震災 その100年の呪縛』

東京の都市化・近代化を進めたといわれる関東大震災(大正12年/1923年)は、実は人々に過去への郷愁や土地への愛着を呼び起こす契機となった。民俗学や民藝運動の誕生、民謡や盆踊りの復興は震災がきっかけだ。その保守的な情動は大衆ナショナリズムを生み、戦争へ続く軍国主義に結びつく。また大震災の経験は、合理的な対策に向かわず、自然災害への無力感を〈精神の復興〉にすりかえる最初の例となった。日本の災害時につきまとう諦念と土着回帰。気鋭の民俗学者が100年の歴史とともにその精神に迫る。

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関東大震災

2023年7月26日発売『関東大震災 その100年の呪縛』について

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畑中章宏

1962年大阪生まれ。民俗学者。著書に『柳田国男と今和次郎』『「日本残酷物語」を読む』(平凡社新書)、『災害と妖怪』『津波と観音』(亜紀書房)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)、『天災と日本人』『廃仏毀釈』(ちくま新書)、『五輪と万博』『医療民俗学序説』(春秋社)、『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』(講談社現代新書)など多数。

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