
「今年の花粉は、例年に比べてレベルが違う……」
毎年この季節になってくると、そんな声が聞こえてくる。Twitterをスクロールしていると、「ワセリンを目の下と鼻の中に塗ったら花粉症がピタリと止まるよ。騙されたと思ってやってみて。」というツイートを発見。同じ悩みを抱える私にとって、試さない以外の選択肢がない。気付けば……妻にワセリンの置き場所を聞いて、目のまわり、鼻の穴にグリグリと塗り込んでいた。「お……効いた?」「ヘックショーン!」「ヘックショーーン!!」騙された。顔面がいつもに増してベタベタになっただけ。情報化社会は実に怖い。
1月、2月の緩やかなスケジュールとは打って変わって、3月は自分のペースを見失うくらい仕事をしている。まわりの作家に話を聞いてみたところ、仕事の6~7割はリモート会議だという。本当だろうか? 私の場合、リモートは大きく減少し、仕事の7割が対面になっている。
放送作家のオアシス
現場が増えるに比例して、ルノアールに行く回数が格段に増えてきた。”ルノアール”とは……東京、神奈川、埼玉、千葉にある大正ロマンをイメージした喫茶店。フリーWi-Fi完備、長居しても気まずくならない雰囲気。そして最もお気に入りなのが、顔を拭ける熱々のおしぼり。このおしぼりに顔を埋めると一回脳がリセットされるのだ。(ミストサウナ的感覚?!)何が言いたいかというと、この場所は放送作家にとってのオアシスなのだ。特に「六本木ラピオス店」は放送作家の巣窟。コロナ前は、必ず1人はここで作業をしている作家がいたものだ。やはりこの喫茶店の居心地と匂いは唯一無二。邪念が消え、作業が捗る。

放送作家の3種の神器
対面が増えてきたことにより“キャップ”の数も増えてきた。私が思う放送作家の三種の神器は……PC、ブラックコーヒーに次いで、キャップである。作家の仕事を始める前は、放送作家の服装といえばジャケットにジーンズで革靴……の知的なイメージを持っていたが、実際の所、ジャケットでキレイな服装の人はあまりいない。(スーツを着ている人はほぼ皆無)40代より下の世代は、キャップ、パーカー、歩きやすいスニーカー率が非常に高い。実働部隊の作家にとって、髪をセットしなくてもいいキャップは時間の節約と最低限の見た目……という点で非常に助かっている。

対面と“放送作家”
リモート会議と対面会議を往復してみて、放送作家として気付いたことがある。
1つ目は、「企画会議は絶対に対面の方がいい」ということ。ゼロイチのアイデアは同じ空間の空気の中でキャッチボールのように乗せ合うのが一番。オンラインで3人以上が参加している場合、会話がぶつかってしまうのだ。
2つ目は、「企画会議はディレクターと2人きりでやるに限る」である。大人数の企画会議(作家3人以上、ディレクター3人以上みたいなの)はあまり続かない。実際私も”面白くて価値観が合うディレクター”とサシで会議をすることが多い。結局、局に企画を提出してくれるのはディレクター(Pや編成の場合も)なので、作家同士でやっても意味がない。また、多くの作家のいる場であまり企画を見せたくないっていう気持ちは常にある。企画は、自分が時間をつかって絞り出したものなのだから、人にペラペラ話したり、安売りしない方が絶対に良い。ブラックマヨネーズさんがM-1で優勝したとき「ライブや予選で簡単に本ネタを卸さなかった」と話していたけれど、本当にその通りだと思う。
コロナ前の対面会議の記憶は鮮明に残っている。「会議で的外れな宿題を出して大恥をかいた!」「なんとか、一回は発言してから会議室を出てやろう!」「レジェンド作家、レジェンドディレクターの立ち振る舞いを目に焼き付けてやろう!」その空気をいかに自分が支配するか、芸人的な思考というか……それが対面会議にはあった。板の上に立ったことがある作家は、対面が肌に合う人が多いのではないだろうか。
死ぬ前に走馬灯が蘇るみたいな話を聞くけれど、オンラインばかりやっていたら、PC画面上の会話ばかりがスライドショーされるのかな。とても嫌だな。ちゃんと人の目見て話をした記憶が、そこに現れて欲しい。
WBCが軒並み高視聴率を獲得しているが、“ライブ感”と“リアルなドラマ”が今の世の中が求めていることなのだろう。結局“スポーツ”って最強。バラエティには踏み込めない領域。嘘のある場所には、ワクワクは生まれない。
対面でしか得られない財産を探して、今日も外に出る。(でも、花粉は嫌。)
放送作家・澤井直人の「今日も書く。」

バラエティ番組を中心に“第7世代放送作家”として活躍する澤井直人氏が、作家の日常のリアルな裏側を綴ります。