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パライソのどん底

2023.03.11 公開 ツイート

「贄」の章 ためしよみ 第1回

#1 男の首筋に浮き出す血管を数えたことも、くっきりとした白い喉仏に噛みつきたいと思ったこともなかった。 芦花公園

発売前からざわざわ…、発売してからますますざわざわしている、芦花公園さんの新刊『パライソのどん底』。

ここでは、第1章「贄(にえ)」の章を特別公開。これまでになく艶めかしい、芦花公園発BL系ホラーをお楽しみください。

*   *   *

彼の腿(もも)に滴るひとしずく、それを舐めとると、彼はかすれた声でああ、と言った。

サイズの合っていないシャツの隙間に手を滑り込ませる。今まで触ったどんなものよりもすべらかで、吸い付くような感触。堪らなくなってシャツをひきむしり、彼の胸に顔を埋めた。ほとんど脂肪のない、それでいて女性的な柔らかさを持った胸部は、彼が呼吸をするたび小さく震えている。何度も無意味に頬を擦り付けるうち、熱くなった肌はやがてどちらがどちらの肌なのか分からなくなる。

そうして一つになっていると、ふいに頭を持ち上げられる。目線が合う。彼と目線が合う。彼は本当に俺の瞳を見ているのだろうか。自分がこれほどまでに美しいと知っているのだろうか。だから微笑んでいるのだろうか。

「抱いて」

と彼が言う。俺は勃起した陰茎を挿入する。

「そうだけど、そう、じゃ、ない」

非難めいた口調と裏腹に、彼は俺を咥え込んで放さなかった。もう会話は必要なかった。

彼は俺の口唇を貪(むさぼ)りつくし、俺もまた同じようにした。

「灼ける」

絶頂が近付くと彼は少女のような声で叫んだ。

「灼けるっ、お願い、抱きしめて」

灼ける、灼ける、灼ける、その声に促されるかのように俺は果て、同時に彼をきつく抱きしめた。そしてようやく、これが抱いての意味かと気付く。味わいつくされた彼の口唇がひくひくと痙攣(けいれん)している。もう一度深く吸う。陰茎を引き抜こうとすると、彼は脚をきつくからませ、それを拒んだ。きゅう、と強く締め付けられ、再び下半身に血液が集まっていく。

「ずっとこうされたかった、こんなふうに大事にされたかった」

彼の涙が蛍光灯を反射して光っていた。

今が一番幸せだ、これ以上はない、だからもう、殺してください、君のものを深く咥え込んで、君に抱かれて、そしてこのまま死にたい、殺してください、殺してください、殺してください、殺してください、殺してください。 ──今でも夢に見る。決まってあの夏の夢だ。俺は彼を幸せにしたかった。

薄茶色の瞳、口元の黒子(ほくろ)、内腿に残るケロイド、柔らかい脇毛、彼が首を傾げると、そのミルクのような肌に皺が寄る、その皺さえも覚えている。しかしなぜ彼が今ここにいないのか知らないのだ、覚えていないのだ。俺は彼を殺したのか、あるいは彼は自ら死んだのか。

今も俺はあの夏にいる。あの暑い噎(む)せ返るような部屋にひとり取り残されている。

俺は彼を幸せにしたかった。

(写真:iStock.com/Larysa Pashkevich)

1     贄

高遠瑠樺(たかとおるか)が転校してきたのは高校一年生の秋だった。担任の松田に連れられて教室に入ってきた彼に目を奪われたのは、相馬律(そうまりつ)だけではなかったように思う。彼はあまりにも美しかったのだ。

律は中学まで東京都の渋谷区に住んでいた。中学を卒業する少し前、父方の祖父が体調を崩し、医師に余命一年と診断されたのを機に、ここ森山郡に両親と越してきた。最期を自宅で迎えたいという祖父の希望を尊重したかったが、祖母はもう十年も前に亡くなっており、父が面倒を見るしかなかったのだ。律がごく小さいころは夏休みになると遊びに来たものだ。東京にはない大自然は、特に何もなくともいるだけで楽しかった。しかし、小学校に上がったころには全く寄り付かなくなってしまった。祖父は何度も贈り物やお金とともに連絡を寄越したが、東京には、整備されていない野山を駆け回ることより楽しいことがいくらでもあったから。その罪悪感も手伝って、律は引っ越しに反対しなかった。結局親の都合、というやつだが。

本当に信じられないくらいのド田舎だ、と、引っ越してひと月も経たないうちから律は辟易(へきえき)していた。

娯楽施設の少なさや、虫の多さなどは、ある程度予想通りだった。

律を驚かせたのは田舎の高校生の汚らしさだ。地味なグループに所属している生徒はまだ好感が持てた。ちょうど都会の人間が想像する純朴で垢抜けない田舎の生徒像そのものだ。しかし「陽キャ」とされるグループの生徒はどうだろう。揃いも揃って汚らしくまだらに髪を染め、ピアスをしている。制服をだらしなく着用して、いつでも廊下に座り込んで猿のように笑っていた。東京の「陽キャ」「一軍」は最早けばけばしい格好よりも綺麗めにまとまった落ち着いた格好をしていることなんて、彼らは知りもしないのだろう。

律は東京ではありふれた存在だった。顔がそこまで良いわけでも、背が高いわけでもない。そこそこのレベルの私立の中高一貫校に通い、彼女は今までに二人。どちらもキスだけして別れてしまった。しかしここ、森山郡ではどうだろうか。律は唐突に特別な存在として扱われたのである。「東京から来たの? すごい」「有名人に会ったことある?」「東京の人はオシャレだね」「東京の人は」「東京の人は」「東京の人は」「東京の人は」心底うんざりしていた。女はやたらと律を持ち上げ、積極的に性交渉を迫ってくる。田舎というのは他にやることがないのだろうか。少子化の昨今で、こんな場所にあるのに、廃校になっていないのも頷ける。男はといえばヘラヘラとまとわりついてきて、お零(こぼ)れを貰おうという魂胆なのか必死に話しかけてきた。勉強は驚くほど遅れていて、簡単で、退屈で仕方ない。所詮期限付きの付き合いだと腹を括って付かず離れず接していたが、内心では汚らしく馴れ馴れしい田舎者たちが、この環境自体が、律は心底嫌だった。

そういうわけで、転校生、それも男が来ると聞いて、もしかしたら、これで何の変哲もない存在に戻れるかもしれないと期待していた。彼らも退屈な生活の中で刺激を求めているだけなのだから、新しい何かが来れば、律のことなど忘れるだろう。

担任の松田は、やけにゆっくりと高遠瑠樺の名前を黒板に書いて、さらに一呼吸置いてから、

「高遠は腹磯緑地に住んでいる」

と言った。

空気が凍った。そうとしか表現できないほど張りつめた。高遠瑠樺が教室に入ってきた瞬間の、ひどく美しい人間に対する感嘆から来る沈黙ではない、仄暗(ほのぐら)い沈黙。見ると、高遠に目を奪われていた人間のほとんどが、今や打って変わって机に目を落としている。

「仲良くするように……席は相馬の隣だ」

律の隣に座っていた女子生徒は文句の一つも言わず、左端の空いた机に移動していった。

何故、空いていたその机に高遠を座らせなかったのか。しかしその当然の疑問を口にする者はいなかった。 高遠瑠樺がこちらに向かって歩いてくる。長い脚をクロスさせるような、独特な歩き方。

それさえも美しかった。神というものがいたら、こういう歩き方をするのかもしれない。

先程まで女子生徒が座っていた席に腰掛けると、律の顔を見て、

「相馬くん、これからよろしくね」

と微笑んだ。

何も言えなかった、綺麗すぎて。綺麗以外の表現が思いつかないのだ。近くで見ると幅の広い大きな目が輝いていて、鼻がまっすぐで、艶のある唇がふっくらと盛り上がっていて、その下に色っぽい黒子があって、なにより肌が、透き通るように真っ白で。これほど胸が高鳴ったことはなかった。心臓が鷲掴みにされているように痛む。今までこんなに長く他人の顔を見つめたこともなかった。男の首筋に浮き出す血管を数えたことも、くっきりとした白い喉仏に噛みつきたいと思ったこともなかった。授業は始まっていたのだろうが、高遠の空間だけそのまま切り取られたかのように、何も聞こえない。高遠も何故か決して、律から目を逸らさなかった。

高遠瑠樺は美しい。世界で一番、美しい。

(つづく)

関連書籍

芦花公園『パライソのどん底』

男の首筋に浮き出す血管を数えたことも、くっきりとした白い喉仏に噛みつきたいと思ったこともなかった。“美しすぎる彼”に出会うまでは――。 それぞれの“欲望”と、それぞれの“絶望”が絡まり合い、衝撃の結末へ。

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パライソのどん底

男の首筋に浮き出す血管を数えたことも、くっきりとした白い喉仏に噛みつきたいと思ったこともなかった。“美しすぎる彼”に出会うまでは――。それぞれの“欲望”と、それぞれの“絶望”が絡まり合い、衝撃の結末へ。
「ベストホラー2022《国内部門》」(ツイッター読者投稿企画)で1位・2位を独占した芦花公園による、切なさも怖さも底無しの、BL系ホラー!

*   *   *

“絶対に口にしてはいけない禁忌”を抱えた村に、転校生・高遠瑠樺がやってくる。彼のあまりの美しさに、息を呑む相馬律。だが、他の誰も、彼に近づこうとしない。そして、律だけに訪れる、死にたいほどの快楽……。
ある日、律の家の玄関が、狂い咲きした花で埋め尽くされる。すると、”花の意味”を知る、神社の“忌子”から、「アレに魅入られると、死にますよ」と告げられる―ー。

この村で、住民がひた隠しにする「伝承(ひみつ)」とは?
俺の心と体を支配し、おかしくした、「存在(アレ)」の正体とは?

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芦花公園 小説家

東京都生まれ。小説投稿サイト「カクヨム」に掲載し、Twitterなどで話題になった「ほねがらみ―某所怪談レポート―」を書籍化した『ほねがらみ』にてデビュー、ホラー界の新星として、たちまち注目を集める。その他の著書に『異端の祝祭』『漆黒の慕情』『聖者の落角』の「佐々木事務所」シリーズ(角川ホラー文庫)、『とらすの子』(東京創元社)、『パライソのどん底』(幻冬舎)ほか。「ベストホラー2022《国内部門》」(ツイッター読者投票企画)で1位・2位を独占し、話題を攫った、今最も注目の作家。

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