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折口信夫「まれびと」の発見 おもてなしの日本文化はどこから来たのか?

2022.10.04 公開 ツイート

“折口信夫”に多くの研究者が注目し、憧れる理由 上野誠

NHK Eテレ「100分de名著」で話題となった、“折口信夫”のすべてがわかる一冊。
上野誠『折口信夫「まれびと」の発見 おもてなしの日本文化はどこから来たのか?』より一部特別公開いたします。

*   *   *

はじめに ──いのちの道標──

鳥の眼の人、折口信夫

日本の文学や文化に関心のある多くの人びとは、折口信夫の著作を読まねばならないと思っている。それは強迫観念に近い。
が、しかし。いったん読み始めてみると、いたるところに「?」「?」「?」マークがついて、ほとんどの人が、途中で挫折してしまう。
じつは、私自身も、その全てがわかっているのか、と言われると、わからないところもたくさんある。

そこで、最初に、その特徴について、見てみよう。虫の眼か、鳥の眼かといえば、鳥の眼。鳥の眼というよりも、人工衛星の眼かもしれない。研究対象を大きく俯瞰して、大きな潮流のようなものを捉えてゆく人。それが、折口信夫なのだ。

日本の文学を広く見渡すと、神への呪言、神から下される呪言に由来する今日の祝詞のようなものを起源とする文学と、物語と歌が結びついたかたちの文学の二系統があり、広く日本文学史を見渡すと、歌が主流であったというように、折口はざっくりとその方向性を示す人だ。

語り物の芸能は、基本的には弦楽器を弾きながら語るものだった。古代では琴、中世ではそれが琵琶となり、近世には三味線が中心となった。だから、義太夫は『平家物語』を語った琵琶法師の末裔ということができる。そういう道筋というものを示す人だ。つまり、「みちしるべ」を立てる人なのだ。

鬼というものは、退散することに意味があるのだ。だから、鬼が退散しないと春はやって来ない。そのように、折口信夫は鳥の眼で日本文化全体を見渡す人なのである。全体を見渡せないと、「みちしるべ」を立てることもできない。

折口にとっては、日本文学の研究も、民俗学の研究も、芸能の研究も、神道の研究も、個別のように見えて、みんな一つだったのではないか?
神と人とが、どのような関係性を築いているのかということを観察してゆくことには、変わりないからだ。とにかく、スケールが大きい日本文化論なのだ。

その折口の唯一無二の友人でもあり、ライバルであった学者がいた。武田祐吉(一八八六─一九五八)、その人である。武田とは、天王寺中学、國學院大學でも同級生であった。若き日に、借金取りに追われていた折口を救ったのも武田だった。
武田は、『古事記』『日本書紀』『万葉集』を中心とする古代文学研究の第一人者となり、考え尽くされた重厚な研究で、現在でも、この分野の研究に大きな影響力を残している。

武田の研究は、鳥の眼ではなく虫の眼。虫の眼というよりも、電子顕微鏡の眼かもしれない。文献を舐めるように観察して、動かぬ証拠を見つけて、積み上げてゆくタイプの学者だった。二人は、同じ國學院大學に勤めることになり、時には確執を生じながらも、お互いを認め合っていた。折口がカミソリなら、武田はナタ。折口が疾走する駿馬なら、武田は重い荷物を運ぶ鈍牛だと思う。折口は広く、武田は深い。

広く見渡さなければ見えないものもある

お寺には、本堂があってご本尊があり、神社にはご神体があっておやしろがある。なのに、お祭りの時には、どうして仏さま、神さまはお神輿に乗って旅をするのか。
それは、もともと、日本の神は客として、遠くから、他界からやって来るものだと信じられていたからだ、と折口は考えていた。
つまり、日本の神は、お客さんとしての性格を持っているのだ。お客さんの神さまを十分におもてなしして、満足して帰ってもらうためには、どうすればよいか。

a ゆっくり休んでもらわねば──
b おいしいお酒と食べ物を味わってもらわねば──
c 舞や音楽を楽しんでもらわねば──
d 庭や絵も堪能してもらわねば──

と日本人は考えた。稀にやって来る人、「まれびと」をおもてなししなくてはならないのだ。
そして、時には一夜妻となって、村の女が共寝もしなくてはならない、と考えていた。じつは、日本の茶道、華道、さらには諸芸能は、この客としてやって来る神への奉仕から生まれたものではないか──。
日本文化というものは、そういう客をもてなす文化から生まれたのだ、と折口は考えた。

A 神仏を迎えるここちよい空間をつくる(建築)。
B 宴の形式が生まれ、料理が発達し、茶道が生まれる(茶道)。
C 神が喜びたもう芸能は、人も喜ぶものだから、諸芸能はここから生まれた(語り物、神楽から、能、狂言)。
D 室や庭のしつらえ、日本絵画の源流もここにある(華道、絵画や彫刻、工芸)。

つまり、ABCDは、別々のもののように見えて、じつは一つなのだ。要は、神さまへの「おもてなし」から生まれたと考えればよいのである。少なくとも、折口は、そう考えていた。

しかし、鈍牛の武田なら、こういうだろう。日本の寺社建築だって、さまざまなかたちがあり、さまざまに発展して来たんだ。茶道や華道だって、各流派の歴史があるのに、それを無視してよいのか。芸能というものには流行があるから、そんなに単純じゃない。その起源は一つであるはずがないじゃないか。武田は、折口君の議論はメチャクチャだ、というのではないか。

折口の考え方は、全体を一つと見る考え方である。対して、武田の考え方は、細かく分けて考えてゆく考え方である。
では、今の学問の主流はどっちか。いうまでもない。武田のほうである。やはり、個別に細かく見てゆかなければ、論文として通用しないのだ。
ことにこの五十年で、学問は細かく分かれていった。いわゆる学問の細分化である。たしかに、細分化して見てゆかなくては、わからないことばかりなのだ。

折口は、そういう細分化してゆく学問のあり方に、異を唱えた学者だったのだ。たしかに、建築も、茶道も華道も、諸芸能も個別に研究してゆかなくてはなるまい。
けれど、お客をいざもてなすとなったら、abcdみんな必要だろう、と折口はいうだろう。おいおい、茶道と華道を分けて本当の研究ができるのかねぇ、建築空間と芸能の研究を分けてしまうと、何もわからなくなるんじゃないか。
芸能は、空間の芸術だぞ。全体で一つさ、それは分けられないよ、と折口はいうだろう。

「多即一」という言葉と「一即多」という言葉とがある。さまざまな要素が絡みあって、多様に見えるものでも、それは一つである。地球は多様だが一つだし、宇宙も多様だが一つだ。
一方、一つに見えているものでも、よく見ると別々のものから構成されていて、その関係性の中にある。だから、多様なのだ。
地球にも、海があり、山があり、植物があり、動物もいる。動物の中でも、人間が……と細分化して考えてゆくこともできる。医学は、細分化することで発展してきたが、脳も胃もひとりの体の中にある。
折口信夫という人は、ひとりで全体を見ようとした人なのだ、と思う。

今の学問は

私の専門領域は、『万葉集』の研究である。

それは、日本文学研究の一分野だし、広くいえば日本文化研究の一分野ということになる。さらにいえば、人文科学の一分野ということになる。
だいたい三百人くらいの研究者がいて、一年間に三百本の論文が書かれている。皆、ライバルだ。『万葉集』は四五一六首あるのだが、この夏、その一首の解釈をめぐる論文を書いた。
注釈書は、三十種以上見たし、論文も百篇以上見て、分析した。参考文献には、そのうちの三十点くらいを挙げたが……。

それでも、論文の骨子を学会で口頭発表すると立て続けに六人の研究者から質問の嵐。大汗をかきながら答えるはめに。どの指摘も、じつに痛いところを突いてくるから、立ち往生した。泣きそうだった。
その後、指摘を受けて考え直したところを修正し、四百字詰め原稿用紙五十枚ほどの論文にして雑誌に発表したが、たぶん、その論文を読んだ学者たちから、また賛否両論の意見が寄せられるだろう。

こう書くと自慢話のように取られるかもしれないが、私よりももっと緻密な論文を書く学者もいるから、そういう人たちから見ると、まだまだ甘いといわれるかもしれない。
かくいう私も、この分野で四十年近いキャリアがあるけれど、論文を書く時は、いつも、どきどき、おどおど、潰されるのではないかと胃が痛い。心臓も止まりそうだ。
たった一首の歌、三十一文字の解釈をめぐってさえ、これほど気を揉むのである。それが、今の学問なのだ。

現在の研究者たちは、こうして書いた論文のインパクトが、点数化され、その点数でポストを争ってゆく。勝利者もいれば、敗者もいる。もちろん、学閥もコネも残っているが、日本の大学もずいぶん、公平になってきた。
では、どんな論文が高評価を受けるかといえば、失点が少ない論文である。意地の悪いレフェリーたちは、失点を目掛けて総攻撃してくるからだ。撃沈されることだってある(つまり、没原稿になるのだ)。
そんな状況では、広い視野で論文を書くことなどできるはずがない。

折口信夫への憧れ

日本文化を高い視座から大きく見渡す。

いつか私もそんな論文を書いてみたい、と思う。折口信夫は、高いところから、日本文化と日本文化の継承者たる人びとの生活を見ていて、「みちしるべ」を立てる人だと思う。祖先たちは、こういう道をあゆんできたんだ。
おいおい、子孫の道は、こっちだよと、みちしるべを立ててくれる人なのだ。

折口信夫に、多くの研究者が注目し、そして多くの書物を書いているが、その背景には、視座の高さや、学問の大きさに対する一つの憧れのようなものがあると思う。
誰でも、皆、折口のように広く、大きな視点から論文を書きたいはずなのだ。でも、誰も、折口のような論文は書けないのだ。まねをしても、大怪我をするだけだ──。

憧れても、憧れても、誰も同じにはなれない。だから、折口信夫は尊い存在なのだ、と思う。

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上野誠

 1960年、福岡県生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程後期単位取得満期退学。博士(文学)。現在、奈良大学文学部教授(国文学科)。国際日本文化研究センター研究部客員教授。万葉文化論を専攻。第12回日本民俗学会研究奨励賞、第15回上代文学会賞、第7回角川財団文学賞受賞。『万葉びとの宴』(講談社)、『日本人にとって聖なるものとは何か』(中央公論新社)など、著書多数。近年執筆したオペラや小説も好評を博している。

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