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折口信夫「まれびと」の発見 おもてなしの日本文化はどこから来たのか?

2022.10.10 公開 ツイート

折口信夫が考える「いのちのみちしるべ」とは 上野誠

NHK Eテレ「100分de名著」で話題となった、“折口信夫”のすべてがわかる一冊。
上野誠『折口信夫「まれびと」の発見 おもてなしの日本文化はどこから来たのか?』より一部特別公開いたします。

*   *   *

|015| いのちの道標

折口信夫は、「ライフ゠インデキス」という言葉を使いますが、私は、これを今、「いのちのみちしるべ」と訳しておきたい、と思います。では、折口のいう「ライフ゠インデキス」とは、どんなことなのでしょうか。それは、人間が生きてゆくために必要なみちしるべということになります。

では、そのみちしるべは、どんなものかというと、歌における枕詞のようなものだというのです。枕詞は、一つの言葉を引き出すために存在している言葉なので、具体的にその歌に意味を添えるものではありません。また、多くの枕詞は、それを使っている奈良時代や平安時代においても、意味不明でした。直接歌の中で機能せず、意味もわからないものが「ライフ゠インデキス」、「いのちのみちしるべ」になるというのです。じつにおかしな話です。

しかし、これは、折口らしい逆説です。意味のないものや、しきたりとして単に伝わっているもの、そんなものこそが生きるみちしるべだというのです。私たちは、小さいときから、勉強をしなさいとよく言われました。勉強をすれば、よい大学に入り、よい人生が待っていると教えられてきました。けれども、私たちは、よりよい人生のためにのみ、生きているのでしょうか。そうではないはずです。人生に目的があると思った途端に、人生は重たくなってしまいます。

意味のないもの、無駄なものこそ「いのちのみちしるべ」なのです。

(全集16─三六五頁)

(写真:iStock.com/kenneth-cheung)

|016|「たま」と「たましい」

私たちは、「たましい」という言葉をよく使います。古典では、「たま」です。「たま」とは何かというと、まぁるいもののことをいいます。古代の人は、「たましい」をまぁるいものだと考えていました。今日、私たちは、脳の働きというものが人間を支配していると考えています。もちろん、それでよいのでしょう。ところが、私たちは、今でも「たましい」というものを話題にし、大切にしています。

死ぬということは、生命体でなくなるということです。つまり、脳も筋肉も働かない物体になるということです。以上が、科学的思考です。ところが、こういった考え方も存在します。肉体から、「たましい」が抜け出て、遠くに行ってしまった状態である、という考え方です。

「たましい」が抜け出たなんて、非科学的な考え方かもしれません。でも、そう考えないと、なぜ死んだあとにお葬式をするのか、お墓をつくるのか、時を定めて供養するのか、ということがわからなくなります。柳田國男や折口信夫たちは、神や「たましい」と日本人がどのように向き合ってきたのか、ということを考えようとしました。それを考えないと、日本人の思考方法はわからない、と考えたからです。折口信夫は、古典を通じ、また、日本全国を旅することで、この問題を考えようとしたのでした。

(全集3─二六一頁)

|017| 球形の「魂」

今の若い人たちは、パワースポットという言い方をよくしますね。パワースポットとは、その場所に行くと、力をもらえる場所のことです。これはスピリチュアリティ。つまり、精神性ではなく、霊性を問題としているわけです。魂を一つの活力と見、しかも、それをエネルギー量として考えているのです。

霊魂というものは作用しますので、一つの力として見てもよいのですが、もちろん、かたちもあります。丸いかたち。丸いかたちといっても、球形だけではありません。例えば、中国の玉にあるような、五円玉みたいなかたちもあります。

初期の民俗学者、特に柳田國男、折口信夫、そのあとを継ぐ井之口章次、さらには宮田登などは、霊魂というものを、日本人がどのように見てきたかということを民俗学の研究対象としていました。

では、折口はその霊魂の性格をどのように見ているのか。昭和七年(一九三二)に「剣と玉と」という論文が発表されています。

靈魂のたまが形をとると種々な形態となつて現れるのであるが、其中で最優れた形態をとつて現れて來たものが卽、玉であると考へられたのである。抽象的なたま(靈魂)のしむぼるが、具體的なたま(玉)に他ならなかつたのである。

(全集20─二二三頁)

かたちでいえば、丸と、球形が霊魂を表す。そして、その霊魂というものが大きくなったり、小さくなったりする。さらには、しぼむということもある。

初期の民俗学は「霊魂の民俗学」と呼んでよいほど霊魂に強い関心を持っていましたが、折口信夫もそのひとりだったのです。

|018| 魂と肉体

魂について考える。霊魂について考えるということは、霊魂と人間の肉体との関係を考えることにほかなりません。この点について、昭和二十三年(一九四八)に「鳥の声」という文章が発表されています。

人間は、體の中に各靈魂を持つてゐます。自分のものだからと言つて、此ばかりはどうもならない。それを自分の意志によつて變へよう、動かさうと思つても、どう爲樣もありませんが、昔の人々はそれについて、まう少し自由な考へを持つてゐました。魂が遊離した狀態にある人を、かげのわづらひと言つてゐますが、つまり古人が考へた離魂病です。

(全集17─四四八頁)

人間の体には魂があるのだが、その魂は自分のものだからといって、どうすることもできない。これが、心、精神とは違うところです。しかし、動かすことはできると昔の人は考えていたというのです。

そのあとに、折口信夫はどういう話をしているかというと、沖縄の「マブイ」の話をしています。沖縄では、霊魂のことを「マブイ」というのです。子どもが病気になると、かつては二つのことを考えました。一つ目は、悪い霊魂がついている。二つ目は、その子どもの霊魂というものが、その子どもの体から外に飛び出てしまった、と考えたのです。

有名な事例としては、子どもの着ていた服を屋根の上に持っていって、子どもの名前を叫んで、「マブイ」を呼び寄せて、子どもの衣に魂をつける。そして、急いで子どものもとに戻ってきて、子どもに着せるというようなことをやりました。一方で、悪い魂がついている場合には、マブイ落としということをしなくてはならないのです。つまり、悪い魂を、体の外に追い出すのです。魂は感情のようにコントロールはできないけれど、肉体から出し入れはできると折口は考えていました。

折口信夫は、天皇も、天皇の体に天皇の霊が入って、天皇となるのだ、と考えていました。その儀式として大嘗祭があると考えていたのです。もちろん、この考え方には、有力な反論もあります。

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上野誠

 1960年、福岡県生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程後期単位取得満期退学。博士(文学)。現在、奈良大学文学部教授(国文学科)。国際日本文化研究センター研究部客員教授。万葉文化論を専攻。第12回日本民俗学会研究奨励賞、第15回上代文学会賞、第7回角川財団文学賞受賞。『万葉びとの宴』(講談社)、『日本人にとって聖なるものとは何か』(中央公論新社)など、著書多数。近年執筆したオペラや小説も好評を博している。

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