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夜のオネエサン@文化系

2022.07.29 更新 ツイート

目眩く堕ちた先の自由~特別展アリス へんてこりん、へんてこりんな世界 鈴木涼美

「いいわ、これだけ落ちれば、もう階段をころげおちたって、何とも思わなくなるもの」「帰ったらみんなが、なんてえらい子って思うだろうな」とは何とも心強い台詞である。ちなみにこれは澁澤龍彦の元妻でもあった矢川澄子訳で、高橋康也訳では「ほんとうよ!」「こんなにすごーく落っこちれば、これからはもう階段から落ちるのなんか、へいちゃらよね! うちの人はみんなわたしのことをなんて勇敢なんだろうと思うわ!」となり、柳瀬尚紀は「ほんとよ!」「こんなに上手に落っこちられるんですもの、これからは階段をころがり落ちたって平気! おうちへ帰ったら、みんなであたしのこと、すごく勇気があるって思うわ!」と訳し、石川澄子は「やれやれ! これだけの大降下をやってのけたんだから、足を滑らして階段から落ちるぐらい、もうへっちゃらだわ!」「うちの人たちはみんな、まあ、なんて気丈な子だと思うだろう」とした。

 

ちなみに原文は "Well!" "after such a fall as this, I shall think nothing of tumbling down stairs! How brave they'll all think me at home!" で、どれも名訳だと思う。

と、別にここまでは私のアリス好きっぷりを軽く披露しただけで特に意味はないのだけど、「すごーく落っこち」ている最中にこんなこと思っている、つまり落ちることに対して悲観的にならず、もといた家に帰れると疑わず、咄嗟に落ちることの効用(大きく落ちることによって小さく落ちることが大したことではなくなる、ということなど)を思いつき、フフフこれで家のみんなに褒められるわと邪な心まで芽生えさせる、女の子ってほんとに臨機応変に強くなれるのだなと感心してしまう。そもそも「落っこちられる」なんて言葉は大人はなかなか使えない。この逞しさがあれば確かに身体が伸び縮みしようが見たことのない生物に話しかけられようが割と平気で奥に進んでいくであろう、とこの先に続く物語にも俄然説得力が生まれるというものです。

ジャックは豆の木に登るし、ルークは名前までスカイウォーカーだし、戦艦ヤマトもお話となればお宙の上で戦うわけだし、トム・クルーズは飛行機で飛び回り、アトムも確か空に消えていく。大人たちにとってはもちろん、基本的に上に登っていく男の子たちにとって墜落はかなりの危機であろうから、恋に落ちたりソープに落ちたりしながら描く人生の情緒は女の子の方が得意分野なのかもしれない。まぁ半地下で逞しくオスカーをとった隣国の家族もいたけれども。

さて、シェイクスピアと聖書に次いで引用されることが多いとも言われる英児童文学の不朽のマスターピース「アリス」を多方面から紹介する展示が「特別展アリス  へんてこりん、へんてこりんな世界」と題して開かれている。アリス出生の地である英国のV&Aミュージアム(ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館)から巡回している展覧会に日本のアーティストによる装画などを加えたもので、最も有名なテニエルや金子國義の挿絵から、グウェン・ステファニーのCDジャケットまで、アリスにまつわる数多の作品が時代を超えて集結した。

最初の映像作品である1903年のヘプワースとストウ監督の10分間のサイレント映画、実写アリスとしては最も挿絵に近いルックスのバド・ポラード監督の1931年の映画など映像が豊富なのも嬉しいところで、ついでにサイケ文化とアリスの出会いなど、LSDでもキメてないといまいち理解できないところまでチラ見せしてくれもする。当然、中盤にはディズニーとティム・バートンも出てくる。ちなみにハロウィンでアリスも白うさぎもハートの女王もやったことのある私的には、ディズニー版アニメは悪くないけど、ティム・バートンの脚色にはやや不満がある。

で、ピンヒールサンダルに突っ込んだ足がもげるギリギリまでぐるぐる歩いた私が思うに、アリスがここまであらゆる解釈を許し、また愛されるのは、数学者のドジソン(ルイス・キャロル)が構築した「へんてこりん、へんてこりんな」地下の世界が極めて分析欲を刺激しやすいものだというだけではなく、やはりこのアリスという女が魅力的なんだと思う。

やっぱりいくら女の子が恋に落ちたりソープに落ちたりと逞しい存在であっても、落ちてく最中に"Well," なんて余裕ぶっこくこの女はパンクなのだ。落ちてしばらくして、まぁ落ちるのも人生、と開き直れる女は数多く見てきたが、そして落ちてる最中も結構、ああどうしよう、もう戻れないわとか言いながら、心のどこかで行っちゃえ行っちゃえと思っているとしか思えない女もそれなりに見た気がするが、アリスは落ちてる最中にさらに眠りに落ちるわ夢を見るわ寝言言うわで、AV鑑賞者たちの好きな「いやん怖い」みたいな可愛げが全然ない。非常に不遜である。

この不遜さの半分近くは、当初に挿絵を担当したテニエルの功績によるものだろう。おそらく誰もが見たことのある、テニエル画のマッド・ハッターのお茶会でのアリス(左端の大きな椅子に座るアリスがマッドな帽子屋に上目遣いでガン飛ばしてるやつ)や、トランプに襲われるアリス(大量の宙を舞うトランプに思いっきりメンチきってるやつ)は、ジョーン・ジェットや戸川純も怯むほどの眼光で、お砂糖とスパイスでできた処女がか弱く愛らしく王子様を待っているなどという陳腐な言説を無効化する。そしてジェンダー感が是正され、男女の役割分担が解体されても、この不遜な女は特に色褪せることがない。それは金子國義はもとよりダリやヴィヴィアン・ウエストウッドやピーター・ブレイクの描くアリス世界にも引き継がれていると思う。

そういえば今年、新国立バレエ団の「不思議の国のアリス」(ロイヤルの日本版)も観に行ったのだけど、舞台仕掛けや群舞のクオリティに何一つ文句がないのに、若干舞台中央に物足りなさがあったのはアリスがあまりに清く美しく、そして明るかったのが理由のような気もする。アリスは良い子に務まらない。何せアンダーグラウンドの冒険をするのだから。と、かつての私も含めた全国の「落ちる」不良娘たちを元気付けつつ、不遜な少女というにはやや無理がある年になった私に関しては、そろそろ何かに登っても良いのではないかという気分でもある。豆の木とかないかな。

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夜のオネエサン@文化系

夜のオネエサンが帰ってきた! 今度のオネエサンは文化系。映画やドラマ、本など、旬のエンタメを糸口に、半径1メートル圏内の恋愛・仕事話から人生の深淵まで、めくるめく文体で語り尽くします。

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鈴木涼美

1983年東京都生まれ。蟹座。2009年、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。著書『AV女優の社会学』(青土社/13年6月刊)は、小熊英二さん&北田暁大さん強力推薦、「紀伊國屋じんぶん大賞2013 読者とえらぶ人文書ベスト30」にもランクインし話題に。夜のおねえさんから転じて昼のおねえさんになるも、いまいちうまくいってはいない。

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