
朝6時半からお産をはじめて、無痛分娩に切り替えたものの、緊急帝王切開に決まったのが16時ごろ。お産は「はいじゃんじゃん、はいどんどん」とわんこそばのようにやってくる困難を、あっぷあっぷ飲み込んでいるようなそんな感じであった。
それにしても無痛分娩はもとより、子宮口をやわらかくするお薬を投与する……とか、子の心拍が弱まっている……とかって、現代医療だからこそできることなのよね。医療が進んでいなければ、私のパニック状態は、私の息子は、一体どうなっていたんだろうと思うと、ひゅっと冷たい風が吹くような気持ち。多くの人がお産を体験していて、周囲でも子供がぽこぽこと生まれているから麻痺してしまうけど、お産って本当に命の淵のギリギリに立つ行為なんだ。ありがたや現代医療様様、ありがたや先生様様。
帝王切開の同意書に夫がサインをする間、先生がいろいろと説明をしてくれた。
お腹は、美容的観点に配慮して横に切ってくれること(緊急の場合は縦に切ることも多いのだけど、傷が目立ちやすくなる)。それから、次の出産方法は同じく帝王切開になること(自然分娩をすると、帝王切開を行った子宮の傷口が裂けて、子宮破裂を起こす確率が高まるらしい。怖い)。また子供は、3人以上は望めないこと(同じく、子宮の傷が開く危険があるため)。
このあたりまでは、同じく帝王切開をした姉にも聞いたことがあったけど、続く言葉にびっくりしてしまう。
「手術は1時間程度ですが、お腹を切ってから5分程度で赤ちゃんは出てきます」
5分! お腹を切って、5分!
どっどっどっと心臓が高鳴って、得体の知れない笑いがニタニタ溢れる。まじ? まじで? 医療すごい! 帝王切開すごい! 急展開すぎる! もう会えるってこと? うそぉ? っと、無痛分娩下なので、驚く余裕もたっぷりあった。なにより、子の心拍が低下しているなら、なんでもいいので、サクサク取り出してくだせえ! と思っていた。
このときまだ帝王切開への恐怖心は全くなくて、それどころかむしろ、ホッとしていたと言ってもいい。本当に本当にほんと~~~にめちゃくちゃ謝りたいのだけど、正直、帝王切開は楽だと思っていたのだ。だって、めちゃくちゃ小さな穴から赤子の頭をひねりだすよりは、プロが、赤子のサイズに腹を切って取り出してくれるほうが、理にかなっている(?)気がする。もちろん手術中に母子の命が危うくなるケースや命を落とすケースもあるけれど、もう私にできることはなく、まな板に乗せられた鯉よ。先生たちに身を任せるのみ。あなたがたにお任せします。アーメン。と、まあこんな気分だったのである。
それよりも。
このとき気がかりだったのは、視界がぼやけ、手元に焦点が合わなくなっていたことだった。家族や友人にメールを打とうとしても、二重三重に見えてぼんやり霞んで文字が見えない。先生に聞くと、麻酔の影響だか子宮口を柔らかくする薬の影響だか、何かそういうことらしかったけど、そう言われても、麻酔によって身体がおかしくなってしまったのでは? と、ほんのり恐ろしくなる。
帝王切開の準備はさっさと進んで、ストレッチャーに移された私。「そんじゃ、いってきま~す」とヒラヒラと夫に手を振って、手術室へ。
手術室は映画みたいに、ちょっと冷たい。とても元気でハキハキした目力の強い麻酔科医が来て、「麻酔を担当します!」とギンギンの目で説明をしてくれたのだが、それがあんまりにも気合の入った目ん玉だったものだから、こちらも目にクッと力を入れて、(麻酔が本当に効いているか、神経質なチェックをさせていただきます!)と心で応じる。
すでに麻酔が効いているところに、さらに麻酔をうたれ、あれやこれやと慌ただしく準備がすすむ。と、そのとき何かがひっかかり、タオルで隠してくれていた私のおっぱいがハラリ丸出し状態になった。けれどお産が進むうちに、もはや私の身体は「秘めるべき女性の身体」ではなくて、先生や看護師たち全員と共有している物体として、全員一致で「子を取り出す」という目的だけで扱われている感覚だったので、特に気にも留めなかった。
しかし、天井を見つめて(いよいよか……)と唾を飲んでいると、目ん玉ギンギン麻酔科医が、私の無防備おっぱいを見て「わああああ!!! 丸見え! びっくりした!!!!!!」と大きな声で驚いて、ギンギンの目ん玉がダイナミックに泳いで、そそくさとタオルで隠したものだから、なんだか申し訳なくなってしまう。かつてはシークレットガーデンだった私の体も、パブリックスペース(?)になるお産。そりゃ、母になっていく過程で、女から母になっていく心も、理解できる。
準備が終われば、5分で出てくる。5分で、彼のいない世界から、いる世界に変わる。
もう彼の人生がはじまる入り口は開いていて、あとは身を任せていれば、その扉を抜けてこちらへ来られる。そう思うと、この冷たい手術台の上と、張り詰めた手術室の空気が、とてつもなく神聖な場所であるような気がして、儀式のために祭壇に祀られた生贄のような気持ちにもなった。向こうの世界と、こちらの世界を繋ぐ台。いま私はそこに横たえている。
「麻酔の効き具合をチェックします」と言って氷が当てられ、つねられる。
「これ、冷たいですか?」「これ、痛いですか?」と聞かれるたび、万が一、麻酔の効き具合が悪いままお腹を切られたりしたら恐ろしいので、必要以上に「冷たいです!」とか「痛いです!」とか大袈裟に反応すると、そのたびに目ギン麻酔科医が「なるほど」と答える。私の反応が頼りなのだ。私の反応が大事なのだ。しっかりチェックしなければ、どこか痛いところはないか? と神経を研ぎ澄ますと、なんだか首の下あたりに痛みがあるような……。
「あの……。首の下が痛いです!」と訴える私。
「首の下? なんだろう……」と心配そうな目ギン麻酔科医。
頭を少し触り「どうですか? これだとどうですか?」と確かめてくれるが、まだ痛い。「いや、痛いです!」「これは?」「まだ痛いです!!」「うーん……なんだろう……」。ちょっと待って。目ギン医でもわからない事態ってこと? もしかして首の下に異常があるのでは? 麻酔はまだ効いていないのでは!? 焦って、必死に痛みを伝えていたが、お腹のあたりにいる執刀医が「はい、切りま~す」と言って、「首が……」としつこく訴える私と目ギンだけがどうでもいい痛みについて話し合うその最中に、帝王切開は始まったのだった。切る!? と一瞬ヒュッと心臓が縮んだ気持ちになったけど、当然、なんの痛みもない。
天井には、ドラマでよく見るような電球がいくつも並んだライトがあり、その中のひとつが消えていた。あの消えたところをジッと見れば、切っているお腹の中が見えるだろうか。見えても怖いけど、見てみたいような……と、目をこらすが、見えない。
帝王切開中は本当に奇妙で、痛みはないものの、何か内臓がひっぱられるような感覚や、左右にぐいっと広げられる感覚だけはほんのり存在しており、それが(実際にはどうかわからないが)なんだか力づくで行なっているような、先生の腕の筋肉がぷるぷるっと震えるのが伝わってくるような、何かそういう力加減で行われているものだから、人間の体ってどんな頑丈な作りなんだろうか、こんな風に腹の中を触られても意識があるって、麻酔って一体なんなんだろうかと、余計なことを考えてしまう。考えすぎるとちょっと恐ろしくなってきて、ごくり、と唾を飲んで、怖さに耐えるために、子に向かって、おいで! おいで! おいで! と呼びかける。
暗い水の中で、パカリとお腹の扉があいて、手が出てくる。光がある。そうだよ、ここが生きる場所だよ。生きるんだよ。今日から、今から、きみは、生きるんだよ。これまでずっと一緒で、私の中にきみがいて、まるで一つみたいに生きて、朝から晩までずっとずっと一つで、でも、今日、今、ふたつに分かれて、あるべき状態に分かれて、きみがはじまる。私も、母として、はじまる。二人とも、今、新しく生まれるんだよ。
お腹をさらにぐっぐっと引っ張られる感覚があって、先生がぽつりと「あらま。赤ちゃん全然下がってなかったね」と言って、「もう出てくるからね。そろそろだよ」と言って。
「はい、出てきた」と先生の声。
張り詰めた空気の中を、切り裂くみたいに、子の泣き声。
「おぎゃあ」ではなくて「うあーーーっうあーーーっ」とかすれた声。大きな声。
いま、息をした。はじめて、息をした。生まれた!
看護師が頭の上にきて、赤ちゃんを抱いて「男の子です。生まれましたよ!」と見せてくれる。が、目が霞んでいて、近くのものに焦点が合わない。けれど、そこには確かにほかほかの命の気配があった。生まれたんだ! と言うことだけはわかって、よかった、よかった、ありがとうございます、ありがとうございます、と涙が止めどもなく溢れていく。言葉より、思いより早く、ただただ圧倒的な何かが感覚のない身体の中からどんどん湧き出て、涙に変わる。ありがとうございます、よかった、おめでとう、はじまったね、きみが、はじまったね。
帝王切開では、映画で見るように赤ちゃんを胸元で抱っこはできなくて、処置のために赤ちゃんは連れて行かれ、すぐに縫合がはじまる。涙でぐしゃぐしゃの中、もっと赤ちゃんを見たかった……と思っていると、お腹の中をぐいぐいと引っ張られる感覚があり、徐々に吐き気。「なんだか気持ちが悪いのですが」と伝えると、「今ね、内臓を引っ張ってるから、ごめんね」とのことで、ごくり……。この先生、今、私と話しながら、私の内臓を引っ張っている? って考えるだけで、なんかもうお手上げ、なにもわかりません、って、私は再び悟りの鯉となり、目をつぶった。目ギン医が「気持ち悪いのを止めるお薬、追加します。寝ちゃうかも」と言って、「えっ寝ちゃうんですか?」と聞き返して、「はい」と言われた直後から、意識がふっと途絶えた。
まぶたを閉じて、まぶたを開けた、そのくらいの時間にしか感じないけど、私の帝王切開は、終わっていた。目を開ける。先ほどと変わらない天井。手術台の上。先生が言う。
「赤ちゃん、ちょっと息が苦しいみたい。今から旦那さんと、別の病院に行きますからね」。
えっ? さっきは元気に泣いていたのに? 息が苦しいってどうして? どういうこと? 気づけば私はガクガクガクガクと震えはじめており、寒くて、寒くて、仕方がない。
「とても寒いのですが、私は、なぜ震えているのでしょうか?」
馬鹿丁寧な口調で尋ねると、先生から「手術中は、何にも着てないからねぇ」と答えがあったが、この寒さはそんなものではないような気もする。いったい私の身になにが。いや、違う、それよりも。きみの身になにが?
混乱していると、麻酔科医がはじめと同じように、氷を当てたりつねったりして「これ冷たいですか?」と聞いてくる。けれど、さっきまでは冷たかった場所までも何も感じない。「いえ、冷たくないです」。そう答えると、麻酔科医が「えっ」と驚いて、「これも?」「これも?」といろんな箇所で聞いて、「何も感じません」と答えると、小さな声で「すんごい麻酔効いたんだなあ……」なんて言って、そのことが、また怖くなる。先ほどよりも視界もぼやけ、脳もぼやけ、(麻酔のせいとはいえ)身体中の感覚が全くない。先生や看護師たちに、押し転がされるようにしてストレッチャーに移されている間も、なにが起きているのかわからずに、震えていた。
ストレッチャーで廊下へ出て、少し押されると夫の顔が視界に飛び込む。
あんまりにも優しい顔。「がんばったね」と優しい声。もしこれが走馬灯だと言われても疑わない、と思うくらい、白い天井にぽつんと見える夫の顔があたたかい。子供が生まれて嬉しいのか不安なのか、なにもわからない中で夫の顔を見たことでさらに涙が止まらなくなって、鼻水もずびずびで、声も詰まって、苦しい。
涙でぐじゃぐじゃに滲んだ視線の先に、先生に抱かれた子が見えた。
遠くの夫はよく見えるのに、子は近くて、見えない。
「見えますか? 赤ちゃんですよ」「見えません、見えません、目が、見えなくて!」
泣きじゃくりながら訴えると、あっ、あっ、あっと子が泣く。
「見えない? でもね、泣いてるのは聞こえる? あっあって泣いてるの。これね、息が苦しいのよ。今から、大きな病院に搬送されます。救急車を呼んでますから、旦那さんに付き添ってもらいますね」
あたたかな場所から出てきたばかり。はじめての呼吸で、息が苦しい。なんてことだろう。私はもう泣きじゃくって、どうにも止まらなくなって、「お願いします、お願いします」とだけ言って、ガクガクガクガク震えながらストレッチャーで大部屋にあるベッドまで運ばれていった。気づかないうちに過呼吸にもなっており、そのせいでさらに視界が霞んで、指が痺れる。怒涛の展開で、自分の身に起こっていることを飲み込めず、おおきなうねりの波に飲まれて、沈んでいく。
夫はこのとき「もう一度妻に会えますか?」と聞いたらしいが、「奥さんは、今パニックだから会えません」と言われたらしかった。
やっと呼吸が整ってきた頃、熱がものすごく上がって、あまりの寒さに電気毛布を入れてもらうと、今度は冗談みたいに汗をかいた。昨晩から何も食べていなくって、喉はからから。けれど、朝になるまで水もご飯もダメ。目線の先、手の届かないところに置かれたアルプス天然水のペットボトルが、やけに鮮やかに光って見えて、泣けた。
はいどんどん。はいじゃんじゃん。困難のわんこそば、いつまで続く? 蚊騒動も含めて2晩、ほとんど眠れていなかったからとてつもなく疲れていたのに、涙ばっかりが出て、喉が渇いて、カーテンで区切られた狭いベッドの上でピクリとも動かない身体のまま白い天井を見つめて、夫からの連絡を待っていた。
少しすると間の悪いことに、面会とご飯の時間になって、大部屋にはかちゃかちゃとした食器の音と、いい匂いが漂う。そこには水もあるだろう。そして、赤ちゃんもいて、誰かの旦那さんもいる。カーテン越しの世界で、誰かの赤ちゃんが子猫みたいに小さな愛らしい声でふぇふぇ泣くその声を、放心状態で耳に入れていた。
隣の人が、とても小さな声で話し始める。
「外にさ、救急車、来てたみたい」
「え、本当?」
「なんかあったのかな」
その救急車に乗ったのは、私の子です。
さっきまで、ついさっきまで、お腹にいたのに、行っちゃったんです。
涙がこめかみから耳の横から、ちいさな細い細い川になって、枕に染み込んでいく。
私の赤ちゃんは、どんな顔なんだろう。いまどうなっているんだろう。苦しくないだろうか。息はできただろうか。寒くないだろうか。さみしくないだろうか。ずっと一緒だったのに、こんなに離れてしまうなんて。まばたきをすると、天井がじわと滲んで、歪んで、渦を巻く。
永遠にも思える、長い長い時間。連絡を待って、待って、やっと届いた報告によると、子は肺に穴が空いているらしかった。多くの場合は自然に治るものの経過を見る必要があるので、入院が必要だということ、その期間は明日・明後日の回復具合で決まることが、ゆっくりわかっていく。ひとまず、命に別状はなさそうだということがわかって、やっと、息をたっぷり吸えた。
見つめていた携帯の画面に、ぽん、と写真が届いて、お産から2時間半後。私は写真で、はじめてきみの顔をみたのだった。真っ白のタオルの上で、ニット帽のようなものをかぶされている、子。「おめでとうございます」の文字が書かれた紙の後ろで、細い目で天井を見つめている眩しそうな顔。帝王切開で生まれたからか、肌は白く、顔も浮腫んでいるけどしわくちゃじゃなくて、お猿さんみたいでもなくて、梅干しみたいでもなくて、おじいちゃんみたいでもなくて、とてもきれい。白い床にぽつんと落ちた、ひだまりみたい。
「髪の毛、生えてた?」
「生えてたよ」
「動いてた?」
「こちょこちょってしたら、動いてたよ」
夫からの報告を受けて、写真を見つめる。「かわいい」と思う。「よかった」と思う。けれどまだどこか、本当に自分のお腹から出たという実感が持てなくて、まだまだ画面の中の出来事にしか思えなくて、さみしかった。
その日の夜は、これまででいちばん長くて曖昧で、どこまでも続く泥水の中に浸かっているかのようだった。麻酔が切れてからは、もう痛くて、痛くて、何度も看護師を呼んだが「もう、使える痛み止めは全部やっちゃったのよ」と言われる信じられない事態。悪露(分娩後に出るどろどろの血)を出すために、お腹をものすごい力でぎゅっぎゅっと押されて、涙を流す。明け方に「痛いんです……」と呻きながらナースコールをするも、電話の向こうで「どうしよっかー……?」と相談をする声があり、最終的に筋肉注射を腕に無造作に打たれて、うつらうつらと夜を超えた程度。
痛い。息をするだけで、痛い。しかし恐ろしいことに傷の癒着を防ぐために、朝には立ち上がって、一人でトイレまで歩かなければならないという。朦朧とするこの痛みのなかで、その痛みが集中している腹を折り曲げたり、伸ばしたりして、起き上がるなんて、ちょっと考えられない。帝王切開って、こんな感じなの? なんで誰も、教えてくれなかったの?
翌朝、元気よくやってきた看護師に、「まじで動くんですか?」と思わず聞いてしまう。だってさ、ほら、痛みって人それぞれだし……、わ、私のこの痛みじゃさすがに今日は無理だと思うんです……と訴えるような目つきで看護師を見つめるも、「そうですよ! ほら、起きて。がんばって」と腰に手を当てて催促するのみ。諦めて、ものすご~~~い時間をかけて身体を動かしてみると、これが、も、稲妻の痛み。えっ? と疑いたくなる、ピカッと光るような、灼ける痛みが、ビビビッと走るではないか。どの角度になっても痛い。動かなくても痛い。息を止めても痛い。息をしたらもっと痛い。思い切って一気に動いてみても、痛い。指をドアで挟んだ時の「イタ!!!」が100倍に凝縮されてお腹に圧倒的存在感で鎮座したうえにピースして煽ってくるような感じ。っていうか無理。
いやいや、これはまじで無理なのでは? と、看護師を見るが、岩のように動かない。まじか……帝王切開まじか……ハラキリまじか……お産ってなんなの? これを耐えてきた「女性」という生き物ってなんなの?「こ……これ……みなさんしてるんですか?」と半べそで聞くが、この看護師がまた非情オブ非情で、「お隣の人は1日前に切ったけど、もう動き回ってるのに」と言われるわ、「あなたは痛みに弱いほうですね」と言われるわで、もう心の中で、(神様仏様、どうか同じ痛みと人間の心を彼女にお与えください)と呪いながら、よろよろよぼよぼ、一歩踏み出すたびにチカッ! ビリッ! と息を飲む痛みの中で、やっとこさトイレへ行くような、そういう感じなのであった。
これがマジの限界×突破……全王様もオッタマゲだろうよ……。
もちろん痛みは、本当に人それぞれ。私と同じような人もいれば、「帝王切開の術後は、さほど痛くなかった」という友人もいたから、看護師の言う通り(言われた時はムカついたが)私は痛みに敏感なほうだったのかもしれない(でもさ、敏感だとしても、その痛みは嘘でもなんでもなく私の中に存在しているのだから、それを人と比べてくるなんてナンセンスにも程があるよね!)。それにしても、出産するまで多くの経産婦たちが「出産の痛みを忘れる」「もう覚えていないよ」というのがずっと不思議だったのだけど、その謎がとけた。
なんのことはない。なにもかもをかき消す痛みで朦朧として、脳みそが全く働かなくなって、ただただやりすごしているうちに時間が去るので、覚えていないだけなのだ。例に漏れず、私もこの日以降のことは、もうあんまり覚えていない。
でも傷の治りがよければ4日程度で赤ちゃんがいる病院に面会にいける、と聞いて、それだけを頼りに、必死で歩いた。「ふ、ふ、ふ」と小さな息を吐いて耐えながらベッドに寝転んだり、痛すぎて失禁したり、あまりの痛みに一人でキレたり、チンパンジーが如くあらゆる棒を駆使して身の回りのことを済ませたり、あまりの痛さにおなかを撫でて「痛いね、頑張ろうね」と言ったあとで、もうきみがお腹にいないことを思い出したりして、過ごした。24時間休みなく3時間起きに手で母乳を絞り、冗談みたいにガチガチになったおっぱいをひたすらに冷やして、過ごした。夫は、仕事をしながら搬送先の病院と私の病院を行き来して忙しく、面会時間の短いコロナ禍では会えない日もあって、ひとりきりの時間が長かった。
そうして徐々に、徐々に回復して、4日後。
無事に一人で歩けるようになり(人間の体ってすごい)、面会が許されたのだった。
搬送先の病院までは、車で15分程度。NICU内の、最初の角を曲がったベッドに、きみはいた。透明の保育器のなか、白いタオルの上にちょこんと寝ているちいさな赤ちゃんは、お腹をすかせていて、泣いていた。最初に聞いた時の同じ、少し掠れた声。
かたくつぶったまぶた。泣きながら、左右に動く首。
激しく動かされる腕と、ちいさなこぶし。
この手が、私のお腹を叩いた。
尖った、細いかかと。
このかかとが、私のお腹を蹴った。
息をしている。動いている。この赤ちゃんが、私の赤ちゃん!
よく来たね。頑張ったね。つわりも、出産前の憂鬱も、陣痛の痛みも、困難のわんこそばも、全部全部、きみに会うためだった。今、目の前にして初めて、それがわかった。もっと前からわかっていたら、弱音も吐かずに頑張れたかもしれないし、陣痛だって耐えられたかもしれないのに、今、やっとわかったよ。きみに会うために、あの痛みはあった。なんだ、それなら、あんなの、なんてことない。
はじめまして、と小さく呟いて、抱き上げる。
ぎゅっとつぶられた細い細い目がちょっとだけ開いて、私を捉える。
きみはこれから、何を見るの。何を好きになって、何を味わい、何を体験して、何を考えるの。一緒に世界を愛していこうね。一緒にひらいていこうね。まだ言葉も持たないきみが、いつか「もう大丈夫」と言って手を離すまで、それまで側にいるよ。
このさきどんなことがあっても、きみをお腹に宿した体験と、きみを産んだ事実は、誰にも奪われることのない私だけの物語として存在しつづける。いつか死んでも、きみの母親であることには変わりなくって、産む前はその不可逆的な事実がとても恐ろしかったのに、今はそれが、とんでもない幸福に思える。ふしぎ。この日まで生きてよかった。母が私を産んでくれてよかった。なにもかも、この日のためにあった。死にたくなってカーテンにくるまった日も、人混みで自分を見失った日も、ぜんぶこの日のためにあった。
妊娠をして、入院をして、たった数日をまたいだだけ。それなのに、こんなにも明るい。
多くの人にとってはなんでもない1日で、いつも通り会社にいったり、友人とお茶をしたり、ジムに行ったり、失恋したり、喧嘩をしたりして過ごす、ただそれだけの1日なのに、私には今までに見たどの光よりも眩しくてあたたかい灯火が、大嵐の果てに暗闇から、ぽん、と生まれて、照らして、これまで生きてきて十分に知っていると思っていた世界が、じつは未知の場所だらけであることに気づく、そんな驚きに満ちた日になった。このさきどうなっていくのか、きみがどう育つのか、私が何を思うのか、未来はわからないことだらけ。だけど、どんな日が襲ってきてもきみという存在が、このさき私の視界を照らしてくれる、と思える。あの嵐を、「ありえない」と思った痛みを一緒に超えたきみがいるから、きっと私は強くなれる。母が強くなれるのは、子を守るためじゃなくて、灯火を手にするから。
きみこそが、強さの正体なんだ。そう、知ったのだった。
想像してたのと違うんですけど~母未満日記~

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