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想像してたのと違うんですけど~母未満日記~

2022.03.27 公開 ポスト

出産日は突然に…《出産編:上》夏生さえり

4月。出産予定日4週間まえ。お腹は風船かボールを飲み込んだようにどか~んと突き出ており、もうおふざけとしか思えないような状態になっていた。コント、妊婦! といって出てきてもおかしくない感じ。お腹には、くっきり正中線(おヘソの下あたりにまっすぐ入る黒い線のことです)が浮かび、お腹の皮がパンパンに張っていくうちにおヘソは平らになって(第二形態)、その後はデベソ(第三形態)へと進化した。かつてのかわいらしいつるんとした白いお腹(だった気がする。脳内補正入ってるかも)はどこへ行ったのか……。母仕様にでかくなった胸。無駄に大きくなった気がする乳輪。デベソ。お腹に生えてきた毛。デコルテ付近の東京メトロのような血管。安定感を増した尻。圧迫される内臓、人生で一番の食欲と増え続ける体重……。臨月になりピークを迎えた身体は、もはや「わはは、もうどうにでもなってくれや!」と泣きながらヘラヘラ笑うことでしか受け止められないほどになっていた。

 

胎動も尋常ではない。

胎動っていうと「(ぽこん♫)あっ動いた♫くすくす、かわいいアタシの赤ちゃん♫」というスゥイートな瞬間を想像していたのだけど、実際には「ドゥルルルルルンッッ! ボッッコン! ドコッ」とダイナミックで、「痛……」または「うぐっ」と声が漏れる。踵と思われる部分が、にゅぃ~んと飛び出るイリュージョンタイムは、もはやエイリアンに寄生されているかのようで目撃した夫も「うぇえ……なんか怖い……」と漏らしてしまうほどであった。眠っていてもドガッ! と蹴られて目が覚めるし、歩いているときにボゴッ! と揺れたらば、その驚きで体のバランスを崩してしまう。と、まあ、生まれる前からとにかく元気すぎるお子なのであった。

前駆陣痛と呼ばれる生理痛のような痛みもだんだん起こるようになって、これが規則的に10分間隔になったら“本陣痛”だから病院に来るように、と言われた私は、目を閉じてお腹へと神経を集中させては「来た!!!」とアプリで時間間隔を測って、これが本陣痛かどうかを見極めようと神経を尖らせる日々を送っていた。いつ? いつ産まれるんや? そろそろか? なんとか言うてくれや! と腹に問いかけるが、返事はない。

この頃、私はまだ仕事を続けており、映画の脚本と数本の原稿を仕上げながら、合言葉のように「あともう少しで産休、あともう少しで産休」と唱えて自分を鼓舞していた。産休に入ったら、赤ちゃんのよだれかけを作ろうとたんまり買い込んだ布。日記を書こう! と新調したノート。組み立てていないベビーベッド。それらを横目にみながらパチパチパチパチとキーボードをタイプし続け、5月。予定日2週間前の夜のこと。

まもなく生まれそうだから会っておきましょうよと、仕事仲間が数人家に遊びに来てくれた。話して、笑って、みんなはテラスでタバコを吸ってワイワイ語り合い、「出産がんばってくださいね」とやりとりをして、彼らが帰っていったのが23時ごろ。ああ、いよいよあと2週間か。よし、最後の原稿を仕上げて産休に入ろう! と、楽しかった気分をエンジンにして深夜1時までパソコンに向かい、原稿を納品し、やっとベッドに入ったのが2時ごろ。

そのあとに、やってきたのだ。あいつが。

ぷぃ~~~~~~ん。

この近づいたり離れたりする、不快なこの音。高音の……羽音……。

げ、蚊だ!

同僚がテラスでタバコを吸っている間に家に入ってきたらしい、蚊。まだ5月の初旬だというのに! 私はとにかく蚊に刺されやすいタチで、1年のうちで最も早くに蚊に刺され、最も遅くまで蚊に刺される、驚異的虫刺され女の異名を持つ(?)。こちとら妊婦ぞ。体が大事な時期ぞ。雀の涙ほどの血も渡してなるものか! で、目を凝らし、凝らしまくって、やっとのことで退治したのが、3時。そしてもう一度ベッドに入り、目をつぶると、耳を疑うような音がした。

ぷぃ~~ん! ぷぃぷぃぷぃ~~~~~~~~~~~~~~~ん。

信じられないことに、もう1匹の蚊がカーテンに止まって「どうも~」と挨拶をして(?)、去っていく。絶対に許さん。目を凝らし、いつでも蚊を叩き潰せるように両手を広げ、中腰で部屋中をさまよい続ける、妖怪・腹デカ丸の私……。

格闘し続けること1時間。完全なる敗北であった。手の小指に3箇所、ほっぺとアゴに2箇所、鼻の頭におおきく1箇所刺され、睡眠までも奪われたのだった。血だけじゃなく、睡眠までも奪うなんて。なんで、どうして、こんな理不尽を? 不思議なことに隣でずぅっと眠っていた夫は一箇所も刺されておらず、顔をまじまじみても指をじぃっとみても、一箇所たりとも赤く腫れ上がった箇所などなくて、私だけが蚊に血を提供したことに心底腹を立てていた。いや、怒ったって仕方ない。血を吸うのは産卵を控えたメスの蚊だけだと聞いたことがあるし、もういいよ、私の血でさ、元気な「あ蚊ちゃん」でも産みなよ……餞別だよ……と、ぶつぶつぶつぶつ呪いの言葉をつぶやいていると、ちょろり、とパンツの中で水が漏れた。おもらしのようななにか。

もしかして、と思ってトイレへ行くと、ほんのわずかにパンツが濡れている。ほんの少しだけ血が混ざっている。これは……破水? 思っているのと全然ちがう。破水ってもっとこう、ドバッ、バシャッ、って感じじゃないの? 映画『Sex And The City』ではシャーロットが叫んだ瞬間に「は……! 破水しちゃった!!! はやく! タクシー!」って感じでドタバタだったのに、現実の破水ってこんなに、地味なわけ?

「あのね……。水が出たの……。破水じゃないかもしれないけど、破水かもしれないし……」

一箇所も刺されなかった夫を起こしてモジモジ説明すると、夫は「え!」と驚いたあとに、とても冷静に「念のため、病院に電話してみたら?」と言う。「う~ん。電話かぁ……」と、渋る私。というのも実はその1週間前にも「陣痛がきたかも!」と慌てて病院に電話し、病院に行ったものの「あのね、陣痛が来てたらこんな風に喋れないから、これは陣痛じゃ無いよ」と帰された経験があったので、どうせまた無駄足になるんじゃなかろうかと面倒な気持ちでいっぱいだったのである。しかも産院を決めたあとで予想外の引っ越しをしてしまったこともあり、病院までは車で約40分もかかる。「どうせ帰されるかも」と面倒そうにする私に、夫は「何かあったら困るから。安心できるほうがいいよ」と諭し、病院に向かうことになったのだった。

夫は仕事を急遽休むことにして、車に乗せてもらい病院へ。念の為、入院用のグッズを詰めたバッグを乗せて出発したが、体調にはあの“おもらし”以来なんの変化もない。「たぶん、何もないよ。ごめんね、休んでもらったのに」。そう繰り返して、「ま、それならドライブできて気持ちよかったねってことにしよ!」と能天気な態度で、病院に行く前にパン屋に寄って、中島みゆきの歌を口ずさみ、窓を開けてドライブを楽しみ、途中で道を間違え、病院にたっぷり1時間半かけて到着した。

「ほんじゃ、行ってきま~す」と蚊に刺された鼻の頭をぽりぽり掻きながら呑気に手を振って、いざ検診。検診では、なにやらリトマス紙のようなもので破水かそうではないかを判断するらしかった。

「水が出たんでしたっけ?」と先生。

「あ、そうです」「でももう出てないね」「そうなんです」「一回出ただけ? ちょろちょろ出るとか、そういうのもなかった?」「ないです」「じゃあおしっこかもね。大丈夫大丈夫。妊婦さん、尿もれ多いから。でも検査しようね」と言われ、リトマス紙のようなものを当てられる間、ずっと、やっぱり尿もれだよなー尿もれかー尿もれやったかー夫に申し訳ないなーと考えていた私。だが、カーテン越しの先生と看護師の会話をぼんやりと聞いていると、「どう思う? これ」「うーーん」「もっかいやってみる?」「そうだねぇ」と会話の雲行きがあやしい。もう一度試し、さらにもう一度試し……。

そして先生が元気よく言い放つ。

「破水だったわ! 今から入院です!」

うううううそ??? ということで、そのまま入院、そして翌日には出産という流れになったのであった。どうやら「破水」と言っても、よく知られているドバッと破水するものだけじゃなくて、羊水がちょろ~っと出る高位破水というのがあるらしい。気づきにくいが、破水には変わりがないので、そのままにしておくと胎児の感染のリスクなども高まってしまう。

「ちょ、ちょっと外に行ってから、入院とかでもいいんですかね?」と慌てながら質問をするが「外ってどこへ……?」と聞かれてしまい、さ、さあ、どこなんでしょう……、と完全に奇妙な返答をする私……。この時、なんというか、もうちょっとだけ悪あがきしたいというか、現実逃避したいというか、後回しにしたいというか、なんだかそういう気分でいっぱいだったのである。だって、このまま入院って……。それって、もうお産がはじまるっていうことでしょう…… ……。心づもり、できてないって……。当然ながら「破水したら管理が必要なので、病院からはもう一歩も出ないでください」と言われてしまい、そのまま入院病棟へと案内されたのだった。これはもう私の計画にはほんの僅かにも存在していない展開で、つくづく、妊娠出産とは予測不能なものなのだなと痛感したものである。

コロナ対策で病院には入れず、駐車場で待っていた夫に「入院だってよ」とメールして、二人で「びっくりだね」「びっくりだよ」とバカみたいに繰り返した。

「明日には陣痛促進剤を使って産むんだって」

……打ちながらも、信じきれなかった。だって、さっきまで歌いながら病院へ来たのに! ていうか、私の産休は!?

入院着に着替えても、そわそわふわふわ。食事を食べながらバラエティ番組を見ても、そわそわふわふわ。面会時間に夫にグミを買ってきてもらい、とにかく余裕綽々の気分でそわそわふわふわと過ごし、ひとしきり「嘘みたい」「どきどきする」と言い合って別れた。

夜中に、最後の検診があった。

まだ無痛分娩か自然分娩かを決めかねていると話すと、「一旦は自然分娩で頑張って、無理になったら無痛にしましょうね。お産の最中で切り替えられるので大丈夫ですよ」とにっこり答えてくれて、そうだ、私には最後の切り札「無痛分娩」があるのだ! と、なんとも言えない心強さが湧き上がってくる。と、隣の部屋から、この世のものと思えない声が聞こえてきた。悲鳴にも近いうめき声の直後に、「いたいぃぃぃ」と泣き叫ぶ声……

「あ、あの、と、隣で出産してるんですか……?」

「まだ陣痛だけどね。がんばってるのよぉ」

「どのくらいから頑張ってらっしゃるんですか?」

「どうだったかな。たぶん夕方かな。ま、まだまだかかるでしょうね。じゃ、ちょっとここで待っててくださいね」

……。あと数時間後には、私もこうなってしまうのだろうか。そう思うと、恐怖で身がこわばっていくのがわかる。やっぱ自然分娩、無理かも。いや、無理とか言っても仕方ないんだけど。いや、でもやっぱ無理かも……。あと、鼻の頭が痒すぎる……。鼻の頭が痒いだけでヒンヒン文句を言う私に、鼻からスイカは流石に無理があるんじゃなかろうか。なんとかなるものなんだろうか。こわいな……。

完全に弱気になって、個室に戻ってからは居ても立ってもいられず、トイレに行ってみたり、テレビをつけたり消したり、眠る前にはブログを書いたりして、就寝。夫からは「今日までは、息子と娘だったのに、明日には父と母という役割が増えていると思うと、一瞬にして激変する世界に驚く」と連絡があった。当たり前だけれど、生まれたらもう時間が戻ることはなくって、私は永遠に「母親」なのだ、と思うと、途方もない入り口に立っているような気がしてくるのだった。

異常に静かな部屋で、天井をじっと見つめながら、お腹を撫でた。ぼこん、と、お腹が波打つ。きみ、本当に出てくるの? おおきく張り出したお腹を、何度も何度も撫でる。

陣痛ってどんなもん? どのくらい痛い? 想像しても、ぜんぜんイメージができない。何度も、だれかの出産ブログを読んだのに、自分の身にそれが起こることとはどうにも乖離がある。どんな子どもが生まれてくるんだろう。どんな顔だろう。どんな声だろう。その瞬間、自分は何を思うんだろう。分娩中に何が起こるんだろう。すぐに産まれるのか。それとももしかして明日じゃなくて明後日になるのか。母親になったら、どうなってしまうのか。何も変わらないのか。何かが変わるのか。そのどれもわからなくて、次々に不安と疑問が浮かんでは消えて、闇に溶けて流れていく。弱い眠りを漂うと、すぐに人生が変わる気配で目を覚ましてしまう。うつらうつらと半分眠りながら、半分はずっとお腹に意識を集中させて、語りかける。夢の中でも、目を覚ましても、ずっとお腹に手を当てて、子よ、子よ、聞こえるか、子よ、子よ、出ておいで、と呼びかけつづける。

何度かお腹が痛くなって、何度かトイレへと行って、ドバッと出血したのにビビってナースコールを押したりして、そして朝を迎えたころ。不思議と腹が決まっていくのが、わかった。こわい、むり、どうしよう? ばかりだった頭の中が、徐々においで! おいで! 出ておいで! でいっぱいになっていく。

私の心の準備はできていないけれど、破水をしたということは、きみの準備はできたということ。待って、と言っても、きみは出てくる。妊娠をしたときだってそうだったじゃないか。私が「おいで」と言ってもきみは来なくって、きみはきみのタイミングでお腹にきた。産むときだって、同じだ。私が産むと決めるのではなくて、きみがここへ出てきたいと願う、その手助けをするだけなんだ。おいで。待ってる。ずっと待ってた。おいで。

5時半。部屋はぼんやり白んでいた。何人もの妊婦や出産直後の母たちが過ごした部屋が、ぼやりと照らされて、祝福の光が注ぐように白く白く光る。最後に自分でおなかの写真を撮って、おおきくおおきく息を吐いた。私の中にきみがいるのは、今日がさいご。出てきたら、ちょっとびっくりしちゃうかも。ここは光に満ちていて、肺を満たすすべらかな空気があって、人がたくさんいて、音もして、声もして、あたたかくもない。でも大丈夫だよ。今からやってくる“ここ”は、とても良いところ。時に恐ろしく、時に悲しく、けれどとびきり美しいここが、私は好き。だからきみを、ここに呼ぶよ。きみはうまれるんだね。きみは、はじまるんだね。その手伝いをできるなんて、うれしいや。

6時半。

陣痛室の前で、ソファに座って呼ばれるのを待っていた。庭の植木が光を含んで鮮やかに発色して、日差しが強くなっていく気配がする。洗濯を干す職員の姿。足元に伸びてきた日差し。渡された透明のバッグの中に、携帯やお水や陣痛の痛みを和らげてくれると噂のテニスボールなどを詰め込んで、ふしぎとシンと静まった心で座っている私の後ろで、窓の外がぐんぐん目を覚ます。

「こちらへどうぞ」

呼ばれた! 勇ましく立ち上がる。いざゆかん、陣痛室!

いでよ、きみ!

 

~《出産編:中》へつづく~

関連書籍

夏生さえり『揺れる心の真ん中で』

不安な夜も、孤独な朝も。 愛を信じられるようになりたい――。 【“あの日”の自分を思い出して涙が止まらない(28歳女性)】 【最後の言葉に救われました(19歳女性)】 SNSフォロワー22万人超! 恋愛ツイート等で若い女性たちの共感を集める 夏生さえりさん、2年ぶり待望のエッセイ集! WEBマガジン「幻冬舎plus」大人気連載書籍化。

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夏生さえり

山口県生まれ。フリーライター。大学卒業後、出版社に入社。その後はWeb編集者として勤務し、2016年4月に独立。Twitterの恋愛妄想ツイートが話題となり、フォロワー数は合計15万人を突破(月間閲覧数1500万回以上)。難しいことをやわらかくすること、人の心の動きを描きだすこと、何気ない日常にストーリーを生み出すことが得意。好きなものは、雨とやわらかい言葉とあたたかな紅茶。著書に『今日は、自分を甘やかす』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『口説き文句は決めている』(クラーケン)、共著に『今年の春は、とびきり素敵な春にするってさっき決めた』(PHP研究所)がある。Twitter @N908Sa

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