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特別企画

2014.05.16 更新 ツイート

主演:佐藤健×渡部篤郎でドラマ化!

雫井脩介 『ビター・ブラッド』豪華試し読み

 捜査一課の刑事たちは、厳しい表情をして死体のほうへ近づいてきた。先頭を歩くのは、五十絡みの、鷲鼻(わしばな)で眼光が鋭い男だった。その後ろは比較的若手の刑事だ。
「貸してくれ」
 前の男が夏輝の横で立ち止まり、夏輝から半ば強引に懐中電灯を奪った。そして、それを死体の顔に当て、じっと見つめてから、何やら低い唸り声を発した。
「貝塚(かいづか)……ですね」若い刑事が呆然として呟いた。
「ああ……」
「そうすると」若い刑事が戸惑い気味に訊く。「やはり城之内(じょうのうち)でしょうか?」
「いや、それは分からん」
 鷲鼻の刑事は声を絞り出すように言って、それきり黙ってしまった。
 どうやらこの男は貝塚という名前らしいが、夏輝にはやはり聞き憶えがない。むしろ、城之内という名前のほうに聞き憶えがあった。確か逮捕監禁、強盗傷害の容疑で逮捕状が出たものの、居所不明により数日前に指名手配された男だったはずだ。前科がいくつかあり、今回も飲み屋で知り合った中古車販売業オーナーとトラブルになった末に、監禁して暴行し、百二十万円を奪い取っている。余罪があるとの話もあり、S署に捜査本部が立っていた事件だった。どうやらここにいる連中が担当しているようだが……。
 夏輝の横に立った鷲鼻の刑事はかすかに嘆息すると、懐中電灯を上に向け、ビルの外階段を照らした。
「どうですか?」
 声とともに、また二人の刑事が現れた。夏輝はそちらに目をやって、とたんにげんなりとした気分になった。
 一人が島尾明村だったからだ。
 スーツ姿の明村は、首にスカーフを巻いて、今日も無駄におしゃれをしている。彼は夏輝を見ると、鼻から意味深な声を洩(も)らして、唇に薄い笑みを覗(のぞ)かせた。
「何だ……?」
 懐中電灯を持った鷲鼻の刑事が訝(いぶか)しげに訊く。
「いや、別に」
 明村は澄まし顔になって、足元の死体に目を落とした。そして、すぐに表情を曇らせた。
「貝塚じゃないか……」
 明村と一緒に来た中年の刑事も唸り声を上げた。太り気味の身体からは、酸っぱいような体臭が漂ってくる。
「城之内かと思えば、貝塚とはな……」太った中年刑事が含みのある言い方で呟いた。「ある意味、係長(はんちょう)の直感も外れてなかったってことか……」
「直感じゃない。貝塚がこのへんで張ってるという話が来てたからな」
 彼がその係長なのか、懐中電灯を持った刑事がさらりと言った。太った中年刑事がそれを横目で見る。
「ほう……それは、例のシャドーマンからの情報ですか?」
「まあな」
 夏輝にとっては、訳の分からない会話だった。
「何にしろ、問題は、どうしてここに貝塚のホトケがあるかということだ。これが城之内につながってる可能性はある」
 鷲鼻の刑事は、そう言いながら、死体の脇に屈(かが)んだ。
「君、どこかで見たな。所属はどこだ?」彼は隣の夏輝をちらりと見た。
 どこで会ったのか……夏輝は彼を知らない。
「E分署の新人刑事ですよ。係長はたぶん初めてです」
 夏輝より先に明村が答えたので、係長は明村のほうを見上げた。明村の口に笑みが覗いているのを見て、その意味を測りかねるように、もう一度夏輝に目を移す。
「E分署刑事課一係の佐原夏輝です」
 明村に「息子の夏輝です」などと紹介されるのはごめんだったので、夏輝は形式的な口調で所属と名前を告げた。
 係長は興味を持ったのか失ったのか分からないような顔をして小さく頷き、死体に目を戻した。
「鑑識には黙っとけよ」
 そう言いながら懐中電灯を地面に置き、手袋をつけて、死体の首を持ち上げるように動かした。
「そんなに時間は経ってないな。体温も少し残ってる」
 係長は首を傾けて、ひしゃげた側頭部を覗いた。
「けっこう上のほうから落ちたな」
 それから彼は手を移し、折れ曲がっている左腕をまさぐった。
「肩から粉々だ……」
「指はどうですか……?」
 明村の声に、係長は上着の内ポケットから老眼鏡を出した。
 夏輝の耳元で蚊が羽音を立てる。しつこいそれを狙って手を叩くと、何しているんだというように、彼らの視線を浴びた。手のひらには潰れた蚊と、腹に溜(た)めていたらしい血が付着していた。
「蚊がうるさくて……」
 夏輝は係長に小さく頭を下げ、手持ちのティッシュで手のひらを拭った。
 係長は馬鹿馬鹿しいものを相手にするように首を振った。
「夏もとっくに終わってんのに、近頃の蚊はしぶといよな」
 太った中年刑事が、フォローしたいのか、混ぜっ返したいのか、よく分からないような口調で言った。
「蚊なんて、弱い人間が刺されるもんだぞ」明村がそれに口を挿んだ。「俺は全然刺されないからな」
「そりゃ、ジェントルの血が相当、まずいんでしょ」太った中年刑事がからかうように言う。「蚊にも好き嫌いがあるだろうし」
「まずくてけっこう。刺されなきゃいい」
 ジェントルって何だよ……夏輝は心の中で呆(あき)れた。明村のニックネームらしいが、俺は蚊に刺されないとか、くだらないことを威張って言う男に相応しい呼び名とは思えなかった。
「どうでもいい」係長が彼らを見ないままに、常識的なことを言った。
「変なおじさんだろ」
 太った中年刑事が明村を指差して、同意を求めるように夏輝を見た。
「いや、だから、本当はこいつも俺に似て、刺されるタイプじゃないってことだ」
 明村が決めつけるように言った。
「何だ何だ……もしかして、ジェントルの甥(おい)っ子か?」
 太った中年刑事は夏輝と明村を見比べて訊いた。
 係長も顔を上げた。
「愚息だよ」明村が冗談でも言うように、肩をすくめて答えた。
 お前こそ愚父だろう……夏輝はそんな思いを喉の奥に押しとどめる。
「ほう」係長は感嘆の声を上げ、薄く笑った。「だからか……ジェントルの若い頃に似てるんだ」
 そう言われても困る。
「そりゃ、これからが楽しみだな」
 係長は言いながら、夏輝に懐中電灯を差し出した。
「ちょっと照らしてくれ」
 夏輝はティッシュを上着のポケットに突っ込んで、懐中電灯を受け取った。夏輝が照らす中、係長は死体の右手を取り、丹念に眺め始めた。死後硬直もまだそれほどではないらしい。
「誰かと争って落ちたなら、無理に手すりを掴(つか)もうとした指先の損傷なんかが見られる」
 明村が夏輝に解説してみせる。
「微笑(ほほえ)ましいっすね」太った中年刑事が皮肉混じりに言って笑っている。
「ざっくり削れてるぞ」係長が死体の指先をみんなに見せた。「手すりとかじゃない。どっかの角か、壁面をこすってる」
「やっぱり、殺しになりますか」
 若い刑事が誰に訊くともなく、口にした。
「貝塚は自殺するようなタマじゃないだろ」太った中年刑事が言い切った。
 係長は貝塚の手を離し、今度は腰回りのポケットをまさぐった。
「携帯がないな」
 釈然としない口調で言って、立ち上がった。
「あの……」夏輝は口を開いた。「この男、二日ほど前にE駅の近くで見たことがあります」
 係長は夏輝をちらりと見やり、「誰かと一緒だったか?」と問いかけを口にした。
「いえ……暇潰しに声をかけられたくらいで」
「こいつは暇を持て余してぶらぶらしてるような男じゃない」
「ええ……今思えば、誰かを待っていたか、そんなような……」
 そう言ってみたが、係長は何の手がかりにもならないというように首を振った。
「貝塚ならお前がジェントルの息子だってことも見抜いただろ」太った中年刑事が言う。
 その通りだったので、夏輝は「はあ……」としか返事ができなかった。ここにいる刑事たちは、少なくとも夏輝以上に、貝塚という男のことをよく知っているのだ。
「どうもお疲れ様です」
 捜査一課の四人に会釈しながら、鷹野が戻ってきた。気が済むまで吐いたのか、眼つきはもう落ち着いていた。
「もうすぐうちの鑑識が来ると思います」
「殺しの線で行くからな」係長が鷹野に告げる。「あるいは過失致死か……いずれにしろ、誰かが関わってる」
「というと?」
「調べれば分かる。身体はざっと見て、署に持ってけ。あとは朝になってからでいい」
「はい……」鷹野は気圧(けお)されたように、ただ返事をしただけだった。
「ちょっと上を見てくる」
 係長は夏輝から懐中電灯を受け取り、ビルの外階段を上り始めた。その後ろを明村らが続いていく。
「何で、こんなに早く本庁が来るんだ?」鷹野が小さな声で夏輝に訊く。
「自分らが追ってる事件の犯人じゃないかと踏んだみたいですよ」
「へえ」鷹野はそんな一言で応じてから、苦笑いを浮かべた。「しかし、濃い顔が並んでたな。あれ、誰だか知ってるか? 俺に指示出してたのは警部だよ。鍵山謙介(かぎやまけんすけ)っていう五係のベテラン係長だ。一説によれば、睡眠時間は三時間で、一日に二十時間近くは仕事をしてるらしいぞ」
「本当ですか?」夏輝は半分眉唾(まゆつば)に聞いた。
「その代わり、心臓がボロボロだって話だけどな。たぶん、この階段もはあはあ言いながら上ってるよ。人呼んでアイスマン鍵山ってな、その手は死人のように冷たいらしい」
 そこまで言われると、真実味がある気もする。
「で、その後ろのが、ジェントル島尾って言って、これまた相当曲者(くせもの)のデカ長だよ」
 鷹野は馬鹿にしているのか恐れているのか分からないような口調で言う。
「男やもめのくせに、やたら服装決めてさ、低音ボイスで『刑事の命はスーツだ』とか、真顔で言ってるからな。得意技がジャケットプレイなんて、郷ひろみかあの人くらいなもんだよ。あれはまず、お前が見たことのないタイプの刑事だと思うぞ」
 そんな解説がつく刑事は確かに見たことがない。もちろん、そのデカ長が自分の父親であるとは、言う気にもなれなかった。
「その後ろがスカンク富樫(とがし)って言って、文字通り、鼻つまみものの刑事だ。口臭と体臭が普通じゃないから、彼が取り調べの担当になった相手は、その臭(にお)いに負けて落ちるって話だぜ。一番後ろの稲木(いなき)って刑事はぺーぺーだから、アイスマン鍵山の運転手役とかをやってる。まだキャラ的には目立たないし、実際地味な男らしいが、尾行がうまくて、ついた呼び名が、チェイサー稲木だ」
「はあ……いろんなのがいますね」
 そうとしか応えようがない。まるで、刑事のテーマパークにでも案内されているかのようだ。
 やがてE分署のほかの刑事たちや鑑識係のチームも到着し、現場はにわかに慌しくなった。
「おっと、また来たぞ」鷹野はスターでも発見したかのように、ささやき声を上ずらせた。「バチェラー古雅(こが)。五係の独身貴族だ」
 鷹野の視線の先には、すらりとしたスタイルの中年刑事がいた。中年と言っても、年齢が四十代に見えるというだけで、くたびれた雰囲気はない。むしろ、スポーツマン的な若々しさを感じる。

 

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