
いにしえから脈々と語り継がれる出産の痛み。その表し方のなかでも最も有名なのが「鼻からスイカ」ではないだろうか。出産ってさ、鼻からスイカが出るような痛みなんだって! ……まあ、なんとなく恐ろしい気もするが、これ、どうにもピンとこない。
だって鼻からスイカを出したことがないし、いや、そもそも大小にかかわらず鼻から物体を出したことがないうえに、鼻からスイカを出して大変な目にあった人のこともしらない。おそらく、ちいさな穴から出るはずもないサイズのものがひねり出てくることのたとえなのだろうけど、あまりにピンとこないから、言い伝えか伝説のような、いわば「あの山には、人を喰う恐ろしい竜が住んでおるのじゃ……」を聞くときと同じ気分にしかなれない。
が、実際にお腹が大きくなってくると、この伝説がひしひしと現実味を持って自分に迫ってくるのである。
ちょっとまって、まじで鼻からスイカ出すの? え? わたしが? 村に脈々と伝わる伝説の竜を倒しにいくことがきまった勇者もこういう気分だったのではないだろうか。旅路の準備をするうちにしんしんと恐ろしさが迫ってきて、やっぱやめようかな怖いモン……と思うも、もう村中が「ありがたや。勇者様、頑張ってください!」てなテンションだから中止にするわけにはいかず、もうやるしかない、進むしかない、ええいどうにでもなっちまえ! と半ばヤケになって前に進んでいく……と、まあ妊婦もそれと同じような(?)気分で、もう戻ることはできない、膨れてしまった腹の中のものは出すことでしか解決しないと、来たる日に備えて、じりじりと進みゆく体を感じながらただただ震えて過ごすしかすべがなかった。
ボール腹を撫でて愛おしい気持ちが湧くその直後に「これを! 出す!?」と叫び出したいような気持ちになって、陣痛や分娩台にあがる自分を想像してみるも、やわな想像力では限界があり、「わー! わー! わー!」と叫んでうやむやにするような時間を過ごしていたものである。
妊娠後期の私の日記にこう書いてある。「出産直後の赤ちゃんの写真を見た。でかい。これが出てくる? こわい。考えんのやめよ」。考えんのやめよ。これが妊婦の頭の中の大半を占めていると言ってもいい(と思う……)。出産が間近になると恐怖のせいで、鬱っぽくなる妊婦も多いらしい。どのくらいの痛みなのか想像はつかないが、少なくともこの腹のなかのものが自分の股から出ていくなんて計算上どう考えても無理だろうと思うと、不可能の3文字だけが頭の中をぐるぐると回って、やがて憂鬱にまみれてオカシクなってしまうのも頷ける。
鼻からスイカ、を(すこしは)逃れられる方法として、無痛分娩がある。
今では多くの人が知っている無痛分娩。東京住まいの友人たちは多く経験しているけれど、まだまだ日本では選択する妊婦はかなり少ない。そもそも無痛に対応している病院が少ない。私の地元にはまだ無痛分娩ができる産院は無く、多くの妊婦が否応なしに自然分娩を選んでいるようである。日本でまだ主流になっていないのには文化的な考え以外にも医療体制の違いもあるらしいが、フランスやアメリカでは7~8割の人が無痛分娩で出産しているというのだから、その違いには驚いてしまう。
ま、なんにせよ日本では、まだまだ普及していないよね~と言う感じだけれど、じつは無痛分娩の歴史は意外と長い。
1853年にイギリスでヴィクトリア女王が受けたのが世界で初めて、そして日本で初めて受けたのは歌人の与謝野晶子氏で1910年代の話であるらしい(いまからじつに100年以上も前の話!)。与謝野晶子氏は『無痛安産を経験して』と題した文章で、
「私は人間の力で人間の苦痛を除き得る確信を得たことが近代人の誇るべき自覚の一つだと思つて居る。従って私は平生から、避け得らるべき肉体の苦痛を避けずに居るのは無益な辛抱だと考へて居る」
と綴っている。2022年のツイッターのタイムラインに出てきても違和感のない、超先進的な考え方。100年経った今でも、まだ与謝野晶子氏に時代が追いついていないわけだから、時代というのは実にノロいというべきか、与謝野晶子氏が俊足すぎるというべきか。
ちなみに金額的には無痛分娩を選択すると出産費用に加えて約10万円程度の出費で、もちろん安くはないもののエルメスのスカーフが9万円、クリスチャン・ディオールのピアスが9万円だと思うと、一生に数回しかない命がけの行為に掛ける費用としてはめちゃくちゃ安いと私は思う。お首やお耳をちょっと美しくするよりは、よっぽど有意義な使い方ではないだろうか。
よし、私もぜったいぜったいぜったいぜったいに無痛分娩にしよう。痛みなんか経験しないほうがいい。与謝野晶子氏も言っているではないか……と、思っていた。なのに、産院を探し始めた私の口はすらすらと、こうのたまう。
「自然分娩もしてみたいような気もして……」
言ったあとで冷静になると、毎回「ああ、ばかばか、なんで!?」と思うくせに、いざ「自然? 無痛?」と聞かれると毎回同じ回答をしてしまう、バグ妊婦の私……。
たぶん、妊娠という奇跡を体感するうちにだんだんと「ここまで異常事態が積み重なるなら、ついでにみんなが言っている鼻からスイカも、いけちゃうのでは?」と、正気ではない気持ちがむくむくと湧き上がってきたのだろう。そもそも無痛といっても完全に痛みがないわけではないらしいし、脊髄に麻酔を打つという行為自体もおそろしい(脊髄ですよ? おそろしいでしょう)、さらに今しか体験できないしな~と、期間限定に弱い気持ちが最悪の形として現れてしまって、そ、それに、物書きだし、ちょっと体験してみたら、なんか書けるネタになるかも! と、今思えばケチな根性丸出しであった。
そうは言ってもやっぱり恐ろしくもあって。自然か? 無痛か? 自然か? 無痛か? を気の狂った振り子時計のように悩んだ挙句に、用意だけは周到な私が選んだのは、出産直前でも無痛分娩に切り替えられる病院だった。無痛分娩で希望を提出しておけば、麻酔科の先生にはスタンバイしてもらえる。自然分娩でスタートさせておき「無痛にして!」と言えば、いつだって無痛に切り替えていい、という超柔軟な体制(だいたいは、事前に決めるところが多いみたい)。
私にとってはこの選択は大正解で、おかげで妊娠後期の「これ、出さなきゃいけないのか……」と心の底から湧き水のようにコンコンと溢れ出てくる憂鬱にも「まあ、無理だったら無痛分娩にすればいいし!」とサイン済みの麻酔同意書をお守りとして振りかざし、なんとかかんとか出産当日まで鬱にならずに済んだ。
もし自然分娩しか道がなかったら、ただでさえ憂鬱だった妊娠後期がどうなっていたのだろうかと思うと今でも恐ろしい。出産が近づくたびにため息の数が増え、やがて貧乏ゆすりのように小刻みにため息を吐き続け、ため息の化身妻を支える夫もだんだんと気がおかしくなり、一家総倒れになっていたんじゃないだろうか。
結局、私の出産は、陣痛の痛みで恐怖に支配されてほぼ過呼吸になってきたところで、「む、無痛にしてください……」と白目で麻酔同意書を振りかざし、無痛分娩へ移行することになった。そしてその後は緊急帝王切開へと進むことになるのだけれど……、まあ、その瞬間まで、無痛がいいと願いながらも、自然か? 無痛か? をすっぱり決められなかったくらい、重要で深刻な、産み方問題なんである。
一生に数回あるかないかのお産方法。おおいに悩めばよろし! と思うが、それにしても他人のお産の方法について、あれこれ意見を言う人の多さよ。
夫は非常に理解があり「好きな方法を選んだらいいと思うけど、直前になって憂鬱になる女性が多いなら、さえちゃんの場合は直前まで迷えるような病院にしたほうがいいんじゃないかな。命の話だから、節約とか、お金がどうとか、そういう話では無いと思うよ」と言ってくれて、本当に助かった。それでも一度だけ、妊娠後期にたまたま点けたテレビ番組にて出産のドキュメンタリーを目にしていたときに「ん?」と思うことがあった。
妊婦が痛みで顔を歪めて、動物に近いうめき声と「いたーーい! いたーーーーい!!!」と叫び続ける映像を見た瞬間に私は顔面蒼白になり、少し震えながら「怖すぎる。無理だ」と言うと、夫が「じゃ、無痛にしたら?」と答えたのだった。「じゃ、無痛にしたら?」???? ちょいとお兄さん。無痛だったら痛みもゼロ、な~んにも怖くないとか思っちゃってない? 無痛って言っても、何の痛みもないわけじゃないのよ? 脊髄に麻酔打つってめちゃくちゃ怖くない? 痛みがないと言っても、あなたもご存知のこの穴から(下品で失礼)赤子の頭が出てくるイメージ、できますか? できないですよね? めりめりと広げながら赤子が出たその後でノーダメージだと思いますか? と脳内で論破太郎が顔を出して(誰だそれは)ああだこうだと次々言葉を吐き出していくが、実際にはグッとこらえて口には出さず(いや2割くらいは出したかも)、何とも言えない気持ちになった。あーあ、無痛なら楽だと思ってるんやわ、と悔しい気持ちにもなった。
無痛のほうがいいよね、の認識が広がるたびに、「無痛なら楽」と間違った認識が広がらなければいいな、と願ってしまう。たしかに、出産時の痛みは格段に楽になるだろうが、怖いものは、怖い。無痛分娩であっても、ありえないサイズをひねり出すことには変わりなく、その際に膣のあたりをチョキンとはさみで切られてあとで縫われたり(会陰切開という)、後陣痛と言って赤子が出た後で自然分娩よりも強い痛みが出たりすると聞く。体力の温存はできても、ダメージはあって当然。怖い! 怖い! 怖い!!!!! ……その気持ちを吐き出したくとも、同じ番組を見ていた実母からも「出産って奇跡的だね!」とウルウルと涙ぐむような絵文字が送られてきており、ああ、いくら理解のある実母と夫がいても、この恐怖までは共有できるはずがないのだ、出産は自分だけのもので誰にも理解してはもらえないのだ、所詮、人間はひとりで生きていくものなのだ……とデカすぎる主語とデカすぎる孤独に包まれて、大きなため息をついたのだった。
無痛分娩にもこのように恐れて非常にセンシティブになっているというのに、ましてや他人が「自然分娩の方が絶対にいい」だとか「痛みを経験してこそ、愛情が芽生える」だとか言ってくると思うと、言ったそばからゲンコツで頭を殴り続けて地面にめり込ませたい気持ちしか湧いてこない。
痛みを経験してこそ、愛情を持てる? も、もしかして親知らずを抜いたあと、歯を大事に抱っこして一緒にお風呂とか入ってるタイプ? 交通事故に遭ったあと、相手の車に恋とかしちゃうタイプ? 痛みを経験しないパパたちは愛情が芽生えないことになっちゃうけど、どうする? なんかテキトーに痛みでも与えとく? と、これまた論破太郎が、顔を出しそうになる。
そもそも、どうしてそんな論が生まれたんだろうと考えてみると、たぶん、痛みを味わわなければいけなかった人たちが、自分が体験した痛みへの納得感を持ちたいが故に愛情と結びつけたのだろう、と私は思う。「残念! この痛み、無意味ですよ~ん!」と言われたくなんかない。「これだけ痛い思いをした。だからこそ、この子に会えたんやわぁ」とそりゃ思いたい。痛さに耐えたことは、そりゃもうめちゃくちゃに尊敬されるべきことで、偉い、素晴らしい、ものすんごい偉業である。で、あるが、だからと言って他人がその言葉だけを切り取って発言するのは受け売りにもほどがあるし、体験した本人が「だからあんたもそうするべき」と言ってきたら、「うちはうち! よそはよそ!」と母ちゃんに叱ってもらうべき案件である。
かと言って「自然分娩をするなんて馬鹿げている」と押し付けてくるのも考えもの。妊娠中に行ったオイルマッサージで、施術してくれた女性が「絶対に無痛! 自然分娩なんて頭おかしい。だって痛みが消えるなら、当たり前にそうするでしょ? 経験してみたいとか甘っちょろいこと思ってるんですか? 絶対やめたほうがいいですよ。交通事故に遭うようなもんなんですよ?」と言ってきたときも、まあ嫌な気持ちになった。ははは、と笑いながらも、私が交通事故に遭ったところで、この人になんの影響があるのだろうか、と思ったものである。
自然にせよ、無痛にせよ、全くのノーダメージなんてありえない。そもそも妊娠から出産する間に何度も何度もぶちあたったのは、痛みそのものの大きさ云々ではなくて、「未知への恐怖」であった。
見渡せば、多くの人が赤ちゃんを産んでいて、なんだか普通のように思える「出産」。でも、人類の歴史上ではありふれたことでも、自分の体に起こるのは、はじめてなのだ。どんな風に痛いか、何が自分に起こるのか、よくわからないのに、その日は必ずやってくることだけはわかっているその恐怖。陣痛は未知だし、出産の瞬間なんてさらに未知。その先の、出産後の痛みなんて、もう未知オブ未知すぎて何一つ想像はできない。降りることのできないベルトコンベアに乗せられ、少し先をゆく先人たちのうめき声が聞こえ、ヒソヒソと言い伝えで恐ろしい例えだけが広がっているような中を、お腹に宿した灯火のあたたかさだけを頼りにしながら、ギシギシガタガタと前に前に進む、いや、進んでしまう。赤ちゃんを宿した日から自分の体が変わって、お腹の中に別の生き物がいるという奇怪な体験を続け、息をするだけでフゥフゥゼェゼェ喘ぎ、早く赤ちゃんに会いたいわというウキウキルンルンな気持ちよりも、苦しいキツイ早く腹から出したい、いや腹から出すのは怖いと震えている。
最終的になにを選ぼうと、お産の瞬間は自分でコントロールできず、(個人差はあれど)大げさではなく「ああ死ぬかも」と思うような痛みの中で、なまあたたかい暗闇から、この彩り豊かな世界にひとつの命がポンッと生まれ出て、はじめて光を全身で浴び、はじめて空気を吸い、地球の重力を感じ、空間を裂くような声で「おぎゃー」と泣き叫ぶものすごく逞しい赤子、その声を聞いてもなお、ああ嘘みたい嘘みたい自分自身から新しい命が生まれ出たなんて信じられないと思う、その奇跡みたいな営みを歩んでいる勇気ある妊婦たち。
ママも赤子も、尋常ではないこの事態を抜けて生まれ出るその圧倒的な奇跡よ。そんなときに、「自然分娩が……」「無痛分娩が……」「帝王切開は……」なんて、どれだけ無粋なことか、ちょっとは想像してほしいものだ。
長々と息巻いてしまった。
少なくとも「自然分娩じゃないと、子供を愛せない」みたいな話は滅びるべきである。いや、キリストの「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と同じように言うならばこうである。
「鼻から死ぬ思いでひねり出したスイカじゃないと愛せない者だけが、その論を投げなさい」
想像してたのと違うんですけど~母未満日記~

- バックナンバー
-
- 「許せないこと」との付き合い方を教わった...
- 3歳の息子に、ついにスカートを買った話
- 家庭内不平等と天秤の秤
- 男の子も可愛いものが好き
- 「泣いてもいいよ」が息子を強くしている
- 肩透かしと想定外のオンパレード育児
- 涙の卒乳日記。バイバイ「パッパイ」。
- 保育園2年目、子育てと仕事の今のあれこれ...
- 保育園の洗礼を受け、ゴリラになりたいと願...
- やっと正気に戻ったので産後の夫婦関係につ...
- 「子どもを持つメリットってありますか?」...
- 保育園問題…慣らし保育は誰のため?
- 帝王切開は、術後が本番!《出産編・下》
- 陣痛いろいろ…産み方いろいろ…《出産編・...
- 出産日は突然に…《出産編:上》
- 分娩方法に他人がとやかくいう時代は終わり...
- “名付け問題”親の願いか親の呪いか
- 産後のあれこれバグモード
- 人は、理由なんかなく、愛されていい
- 四角いおっぱいの涙
- もっと見る