1. Home
  2. 生き方
  3. 山野海の渡世日記
  4. 女三代暮らしの始まり

山野海の渡世日記

2022.01.09 更新 ツイート

第3回

女三代暮らしの始まり 山野海

明けましておめでとうございます。
山野海です。
いやあ、めでたいですねえ。
みなさん、年末年始はいかがお過ごしでしたか?

さてさて、12月の私は何をしていたかと言えば、原稿書いたり新しいドラマの撮影に入ったりしていました。
一つはこれ。

 

「たびくらげ探偵日記」。
荒牧慶彦さん、水江健太さん主演のドラマに、一話ゲストの市原タエ役で出演しております。
(OAは2022年1月6日からMBSドラマ特区枠にて放送開始。毎週木曜日24:59~25:29)

ワタクシ謎にカカシと戦っております。
これぞ脇役道の本懐遂げたり!
その他のドラマは情報解禁になったらこちらで告知させて下さいませ。

後はtagayas の再録しに再び和歌山行ったり、来年私が作/演出をやる舞台のポスター撮りをしたり、飲んだり、飲んだり、仕事したり、飲んだり。
ああ、自分のばか……。
今年も相変わらずな私ですが、どうか一つお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

 

ということで、前回の続きを始めます。
祖母の高尾光子が戦後、主演女優としての仕事がなくなり、女優を辞めたというお話までは書きました。
実はその時、光子のお腹には新しい命が宿っていました。
夫新太郎との子供、それが私の母教子(キョウコ)です。
夫の新太郎も戦時中に筆を折り、2人は蒲田の駅前でレストランを始めそれがうまくいき、そこから新橋に小料理屋、有楽町に鉄板焼き屋など店を広げていき、はたから見るとそこそこ幸せな家庭を築いていました。
でもここに、一つだけ問題がありました。
教子には5歳上の腹違いの姉富美子がいたのです。
前回ここに書きましたが、先日四国に納骨してきた私の叔母です。
新太郎は光子と結婚する前にもう一つ家庭があったのです。
この話は別の機会にゆっくりと。
 

話を戻します。
娘の教子も大きくなり、やがて女優になりたいと言い出すと両親の新太郎も光子も大反対。
自分たちが苦労した芸能の世界に娘を進ませたくなかったから。
それでも教子の意思は固く、家出する勢いだったので親子の折衷案として、本格的に事務所に所属するのではなく、中村メイコさんのお母様中村チエコさんが個人でやってらした演技塾に教子を入れることにしました。

当時の教子。
なんでしょうね。実の母なのにやっぱり似てないんですよ。
どうしても私は爺さん似。

教子が親を説き伏せてやっと入れた演技塾。
我を忘れて役者の修行をするかと思えば演技の勉強そっちのけで、その塾で知り合った男性と、今で言う出来ちゃった結婚をします。
はい、やっと出てきました。それが私です。
翌年、昭和40年9月に私が生まれました。
父と教子はこの時まだ20歳。
祖父母は子供が出来た娘夫婦に何か職をと、中野でお土産専門の小さな天ぷら屋を作ってやり、それで生計を立てさせようとしました。

私が一才くらいの時。
もう、なんですかね。
赤ん坊の頃からお祭り騒ぎのトンチキ野郎だったんですね。

この写真の頃、私の父だった人と母教子は離婚します。
だから私は父の顔を覚えてません。名前も知りません。
正確に言うと、戸籍には父の名前が載ってますからパスポート取る時など何度も見てるんです。
だけどなんだか知らないけど忘れちゃうんですよ。
戸籍をもう一度調べればいいだけの話なんだけど、確か、森なんとかさんって名前だったと……。

 

私が50近くなった時、親しい友に聞かれた事があります。
「あんた、お父さんに会いたいって思ったことないの?」と。
残念なことに、ないんです。
私も立派なおばさんですし別に恨んでもいません。
それに、記憶に残っていれば会いたいと思うこともあるでしょうけれど、私にとっては顔も名前も知らない赤の他人ですからね。
昨年亡くなった母なんて最期まで、私の実の父は死んだと言い張ってましたからね。
ホント呑気な母さんです。

 

そして私の父と母が離婚した同時期くらいに、祖父新太郎と祖母光子もまた別居します。
理由は新太郎に新しい女の人が出来たから。
その人は二人が経営している有楽町の鉄板焼きのお店で働いていた人で名前をキヨさんと言いました。
ずっと祖父のことが好きだったんだそうです。
初老に近かった新太郎を! 奇特な女性です。
この話は後年叔母の富美子に聞きました。

元女優の光子は、このことで痛くプライドを傷つけられたのでしょう。
祖父新太郎の悪口を、光子は小さい私に嫌というほど何度も聞かせました。
とにかく、私の父という人が出て行き、祖父も出て行き、ここから祖母、母、私、女三代の生活が始まります。
そして、その頃から祖母光子が65歳で亡くなるまでが、今の私の、女優として作家としての大いなる原動力になっています。
と、同時に、56年の生涯で一番苦しい時期でもありました。

たくさんの屈託を抱えた祖母。
まだ大人になり切れていない恋多き若き母。
この世に生まれ落ちてまだ数年という幼い私。
そりゃあ当たり前に家庭内ヒエラルキーが出来てしまいますよね。
庇うわけではありませんが、今なら少しだけ理解できます。
あの時分、光子も教子もきっとそれぞれが大変だったのだと。

まあ、今となっちゃあ懐かしい話でもあります。
続きはまた次回。

{ この記事をシェアする }

山野海の渡世日記

4歳(1969年)から子役としてデビュー後、バイプレーヤーとして生き延びてきた山野海。70年代からの熱き舞台カルチャーを幼心にも全身で受けてきた軌跡と、現在とを綴る。月2回更新。

バックナンバー

山野海 女優、劇作家、脚本家

1965年生まれ。東京新橋で生まれ育ち、映画女優の祖母の勧めで児童劇団に入り、4歳から子役として活動。19歳で小劇場の世界へ。1999年、劇団ふくふくやを立ち上げ、全公演に出演。作家「竹田新」としてふくふくや全作品の脚本を手がける。好評の書き下ろし脚本『最高のおもてなし!』『向こうの果て』は小説としても書籍化(ともに幻冬舎)。

この記事を読んだ人へのおすすめ

幻冬舎plusでできること

  • 日々更新する多彩な連載が読める!

    日々更新する
    多彩な連載が読める!

  • 専用アプリなしで電子書籍が読める!

    専用アプリなしで
    電子書籍が読める!

  • おトクなポイントが貯まる・使える!

    おトクなポイントが
    貯まる・使える!

  • 会員限定イベントに参加できる!

    会員限定イベントに
    参加できる!

  • プレゼント抽選に応募できる!

    プレゼント抽選に
    応募できる!

無料!
会員登録はこちらから
無料会員特典について詳しくはこちら
PAGETOP