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パパ活女子

2021.11.29 公開 ツイート

パパ活と援助交際の違いはどこにあるのか? 中村淳彦

女性がデートの見返りにお金を援助してくれる男性を探す「パパ活」。今、コロナ禍で困窮した女性たちが一気になだれ込んできているといいます。パパ活は、セーフティネットからこぼれ落ちた女性たちの必死の自助の場だという『パパ活女子』(中村淳彦著)より、第一章「女子たちが没頭する『パパ活』とはなにか?」の冒頭を抜粋してお届けします。

(写真:iStock.com/Tony Studio)

日常の延長としてのパパ活

「いまの若者は常識や倫理観がない」
「我々の世代には、そんな女性はいなかった」
「パパ活なんて自分を傷つけるような、そんな悲しいことをしないでほしい」

パパ活という言葉が世代を超えて広がったことで、このような意見をよく耳にする。筆者は頻繁にSNSにパパ活女子のことを投稿するが、批判的にコメントをしてくる方々の意見がどうも少しズレているのだ。

パパ活女子とは、おもにミレニアル世代とZ世代の若者たちだ。彼女たちは自分を傷つけているわけでも、倫理観が薄いわけでもなく、もっと生活に近いところでパパ活をしている。

たんなる日常の一部の行動を、上から目線で説教してきたり、そんな悲しいことをしないでほしいと嘆いたりするのは、おもに男性、中高年、高齢者の人たちだ。彼らは昭和時代からずっと続く男女格差、平成以降の新自由主義政策によって生まれた世代格差、経済格差で恩恵を受けている人たちである。

彼らのコメントからは、自分たちの時代にはそんなふしだらなことはなかった、そんな恥ずかしいことはしなかった、というニュアンスを感じる。総じてパパ活女子に対して否定的な意見であり、「援助交際=売春=パパ活」と解釈しているのがその理由であろう。

もはや若い女性のなかでパパ活は普通のことである。国家が衰退し、格差が蔓延する現在に生きるパパ活女子と、右肩上がりの高度成長を経験した上の世代とでは、意識も感覚もなにもかもが違っている。年功序列を信じる昔の人間が、上から目線で悲観しながらアドバイスしても、いまを生きる若者たちに役立つことなどほとんどないだろう。

あまりに増えている20代を中心としたパパ活女子に対して、間違った解釈をもとにして意見をする状況ではない。パパ活とは無縁の中流以下の中年男性も、恵まれた時代に生きた中高年や高齢者も、いまの若者たちが日常の延長として勤しむ「パパ活とはいったいなんなのか?」を知る必要がある。

①パパ活と援助交際の違い。パパ活は売春なのか?
②パパ活の定義
③売れないパパ活女子が、相手にされない理由
④どうして普通の女性がパパ活をするのか?
⑤どうやってパパを見つけるのか?

本章ではパパ活をまず総体として理解してもらうために、この5つの観点から考える。いまのパパ活の急拡大を見ると、娘や妹、隣人がパパ活女子であっても、なにもおかしくない。たとえば、娘や妹にパパ活の疑いがあった場合、心配して涙を流しながら「自分を傷つけるような、そんな悲しいことをしないでほしい」と訴えても、自分を傷つけているわけでも、悲しいことをしているつもりもないので、まったく響かない。会話にならないディスコミュニケーションとなって、家族の溝はもっと広がることになる。

そのような事態にならないよう、ここではパパ活のことをなにも知らない人たちに「パパ活とはどのような現象なのか」を伝えることにする。

パパ活は売春ではないが、援助交際は売春

ミレニアル世代やZ世代の若い女性たちより、恵まれて生きた層(男性、中高年、高齢者)が嘆くように、パパ活は売春であり、自分を傷つける悲しい行為なのだろうか。日本で売春は違法だ。売春防止法で売春は「対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交すること」とされている。現状では混同されているパパ活と援助交際は、似て非なる行為であり、結論からいうと「援助交際=売春≠パパ活」となる。パパ活は売春ではないのだ。

パパ活は売春ではなく、援助交際は売春であるという違いを検証するために、まず、援助交際とはいったいなんなのかを振り返ることにしよう。

援助交際という言葉が生まれたのは1994年である。

バブルが崩壊して、就職氷河期がはじまっている。社会保障が行き渡らないことが理由で、公園や駅にはたくさんのホームレスがいた。目に見える貧困はたくさんあったが、いまのような一般市民を巻き込んだ圧倒的な格差や貧困は起きていなかった。若者にはコスパという概念はなかった。若者向けのファッション誌にはハイブランドの商品が掲載され、女性たちはかなり高額なバッグや財布を買いまくっていた。

1993年、女子高生たちからギャル文化が生まれた。その中心となった渋谷には独特のファッションをするギャルやコギャルが溢れていた。そこで、若い女性がおじさん相手に下着やルーズソックス、性的行為を売る援助交際という現象が起こっている。

援助交際第一世代(1993年~1995年)と呼ばれる彼女たちは、都内の私立進学校の女子高生たちが中心だった。わかりやすくするために年齢も挙げておくと、1994年に高校2年生だったのは、昭和52年生まれ(2021年現在は44歳)の女性たちである。

東京の私立高校のクラスヒエラルキー上位の女の子たちは、おおよそ恵まれた育ちで、遊びやファッションの延長として援助交際に手を染めている。

ここに1994年の援助交際と、2017年のパパ活の共通点がある。

援助交際はクラスヒエラルキー上位の少女たちが、パパ活は華やかな港区女子たちが最先端の行為として手を染め、中年男性に大きなお金を支払わせて同性に羨望されている。そして、その直後に一般的な女子たちに爆発的に広がっている

いつも偉そうにしている中年男性を性的魅力によってひざまずかせ、大きく稼ぐ姿がカッコよく見えたのか、初期の援交少女や港区女子は同性の憧れの対象となった。

パパ活と援助交際に共通するのは「自己決定」

結局、援助交際という言葉は流行語大賞にノミネートされるほど浸透し、それから第二世代(1996年~1999年)、第三世代(2000年~現在)と、二十数年の時間をかけて規制強化や摘発が繰り返されて援助交際は変化した。いまは児童売買春を含む売春行為を指す言葉として使われている。

援助交際前史として80年代のテレクラブーム、そしてブルセラブーム(1992年~1998年)があった。1992年に都内の繁華街に女子高生の制服や体操着、水着、ルーズソックスなどの中古衣料を販売するブルセラショップが誕生している。

日本人男性には、女性は若いほどいいという伝統的な性癖がある。筆者は、マーケティングしながら男性に販売するアダルトメディアをつぶさに見てきたのでわかるが、少女趣味の変態は著しく多く、彼らの欲望は底なしである。ブルセラショップは大当たりとなり、男性客が殺到した。当時の男性客は新人類と呼ばれた世代の男性たちだった。

そして、少女趣味の男性客のニーズに応じるうち、商品ラインナップはどんどん過激化した。女子高生たちから使用済の下着を買い取るようになり、汚れがあるほど高額で売れる。やがて女子高生の体液や排泄物も商品となっていく。

なんでも売れるので、女子高生たちは自分の価値に気づいていった。デフレ前夜の当時の若者たちにはコスパという概念はなく、未成年の消費は活発だった。女子高生たちはテレクラやダイヤルQ2、iモードを使って下着や体液を買いたがる男性客を探し、個人売買をするようになった。男性客と直接交渉するので、必然的に売春行為に走る女子も現れる。その現象が援助交際である。

当時も女子児童との性的関係は厳しく規制されていたものの、滅多に警察沙汰にはならなかった。法律知識のない女子高生や若い女性は、親や学校にバレたくないので警察には行かないだろうという希望的観測があり、表沙汰になるのはほとんどが補導がきっかけだった。パンツの売買はセーフだろう、本番をしなければ大丈夫だろうという手探りの売買のなかで、売る女子高生も買う男性も楽観的な意識のもと、やりたい放題だった。

援助交際には段階がある。行為が深くなるほど価格は上昇する。まず、男性客の目の前でパンツを脱いで直接販売する〝生脱ぎ〟、駐車場や公衆トイレなどで男性の陰部を刺激する〝手コキ〟、そして口淫する〝フェラ抜き〟、最後はセックスする〝本番〟となる。

1993~1995年の第一世代の時期は、援助交際の価格は高水準で推移していた。一度に10万円以上を支払う男性もたくさん存在した。筆者は当時援助交際を経験した女性に何人も話を聞いたことがある。ほぼ全員、男性客のことは軽蔑しながら取引し、もらったお金はカラオケやブランド物の購入で「すぐに使ってしまった」と答えている。

当時の援助交際は、パパ活のように「特定の相手との自由恋愛」ではなかった。たまたま繫がった男性を相手に下着を売ったり、割り切って性的行為を売ったりしていた。少なくとも、疑似恋愛のような継続した人間関係には発展しなかった。

援助交際とパパ活に共通するのは、女性の側が自己決定していることである。援助交際が成熟するとブローカーのような役割を果たす者も現れたが、基本的には誰かに管理されるわけでなく、男性と直接繫がって対価を請求していた。テレクラやダイヤルQ2というツールを使って、自分で下着や性行為を売ることをアピールし、おじさんが群がるという構造である。

援助交際は、主役が未成年だったことがまずかった。未成年が性的行為を売る援助交際は、法的に問題があった。当然、法規制が入る。女性が保護や罰則の対象となる売春とは区別され、買う側が罰せられる児童買春の問題となった。

1999年に児童ポルノ法が施行され、ブルセラショップや買春男性が摘発される。ブルセラショップも本物のブルセラビデオも、数年間をかけて消滅する流れになった。ちなみに最終的には未成年が撮影された映像やデータの単純所持も禁止され、いまは児童ポルノは麻薬と同じ扱いとなっている。

違法行為というレッテルをはられた援助交際は、反社会的組織がかかわりながら地下に潜り、未成年、成人を問わずに援助交際希望者は組織化された。出会い系サイトやSNSなどで男性客を探して管理売春をさせる〝援デリ(援助交際デリバリー)〟がアフター・ブルセラの主流で、いまパパ活サイトで女性のフリをして集客する業者は地下で活動する彼らである。

このような流れから「援助交際=売春、買春」となった。援助交際とパパ活は混同されているが、成人女性が特定の男性との恋愛や疑似恋愛を目指すパパ活は、援助交際とは異なるものだといえる。

関連書籍

中村淳彦『パパ活女子』

「パパ活」とは、女性がデートの見返りにお金を援助してくれる男性を探すこと。主な出会いの場は、会員男性へ女性を紹介する交際クラブか、男女双方が直接連絡をとりあうオンラインアプリ。いずれもマッチングした男女は、まず金額、会う頻度などの条件を決め、関係を築いていく。利用者は、お金が目的の若い女性と、疑似恋愛を求める社会的地位の高い中年男性だ。ここにコロナ禍で困窮した女性たちが一気になだれ込んできた。パパ活は、セーフティネットからこぼれ落ちた女性たちの必死の自助の場なのだ。拡大する格差に劣化する性愛、日本のいびつな現実を異能のルポライターが活写する。

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パパ活女子

11月25日発売の幻冬舎新書『パパ活女子」について

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中村淳彦

1972年生まれ。ノンフィクションライター。AV女優や風俗、介護などの現場をフィールドワークとして取材・執筆を続ける。貧困化する日本の現実を可視化するために、さまざまな過酷な現場の話にひたすら耳を傾け続けている。『東京貧困女子。』(東洋経済新報社)はニュース本屋大賞ノンフィクション本大賞ノミネートされた。著書に『新型コロナと貧困女子』(宝島新書)、『日本の貧困女子』(SB新書)、『職業としてのAV女優』『ルポ中年童貞』(幻冬舎新書)など多数がある。また『名前のない女たち』シリーズは劇場映画化もされている。

 

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