
ちょうど妊娠5ヶ月ごろ。あたたかなジェルを塗ったお腹の上を機械がにゅるんと走って、私が寝そべる視線の先に、エコー映像が映し出された。ぐにぃと赤い物体。これが、私の赤ちゃん。毎回思うのだけど、この映像をどんな気持ちで見ればいいのか、わからない。「かわいい」とはまだ思えないし、「会えた!」と思うほど鮮明でもなく、とにかく「あ、生きてる」と胸を撫で下ろすような感じ。
お医者さんがカチカチとマウスをクリックすると、画面の中の赤ちゃんが角度を変える。頭の大きさ測ります、腹囲も測ります……。独り言のようにも聞こえるボソボソ声でお医者さんは、赤ちゃんのサイズを画面上で測っていく。
この頃になると、赤ちゃんはちいさくても内臓や手足が完成しているのだけど(すごいよね)、でもまだまだ素人目には判別がむずかしく、あれが手? と思っていると「へその緒が……」と説明されるし、これは何? と顔をしかめていると「これ、目」とか言われたりする。でも、そろそろ、わかるはず。
「あのぉ。性別。そろそろ、わかりますか?」
ごくっと唾を飲んだ音が自分で聞こえた。性別がわかる。私にとっては、それは、ものすごい一大イベントであった。だって、子の姿を妄想するための第一歩だもの。どんな顔? どんな声? どんな人生を歩む? その想像の糸口で(糸口でしかないけど)、かつ、まだ胎動もない時期において「本当に、人間がいるんだ!」と実感する出来事でもあるから、ずっとずっと楽しみにしてきたのだ……!
お医者さんは「あ、聞く?」と言って、さらにカチカチカチカチと音を立てる。カチカチ、カチ。カチ。
そうして言った。
ものすごくサラリと。
「あ、これ、おちんちんですね」って。
見れば、ちいさな突起。赤ちゃんの顔はまだよく見えないのに、それは私にもわかった。看護師さんも「あら、ほんと」と言った。満場一致のおちんちんだった。
男だった。
子は、男だった!!!!
「あ~、そうですか。ふんふん、なるほど」。
できるだけ悟られないように、性別なんてどっちでもいいんですけど一応聞いてみたかっただけなんですよ、という雰囲気で答えたが、マスクの下ではとんでもないニタニタ笑いが止まらない。上唇を口の中に巻き込んで、鼻の下を伸ばして必死に耐えるも、頬が右に左にムズムズと動いて、何かを食べているみたい。
元気に育っていますようにと祈る夜を越えてきたのだから、男でも女でも、もちろん構わない。でも、じつは、ずっと「女の子を生む」と思っていた。というか、ちょっと恐ろしいほどに、そう思い込んで生きてきた。子が欲しいと思った中学生の頃から「女を産む」と信じ、女の子のかわいい名前をメモし、女の子の最新おもちゃをチェックし、街中でちいさな女の子を見つめて妄想し、将来一緒に旅行にいく想像までしてきたのだ。こちとら準備は万全。だから、男だったら嫌だというわけじゃないけど、なんというか、「テストで勉強したとこ、出ますように!」と同じような気分で「女でありますように!」と願っていた。が。
おとこ? おとこ! おとこ!!!!!!
電流が足の下から脳天まで走り上げて世界中に雷鳴を轟かせるんじゃないかと思うほどの衝撃。このとき、私の脳内は、ちょっとした祭り状態であった。“勝訴”と書かれた紙を持つような仕草で、架空の男性が「男です! 男です!」と騒ぎ立てて走り去っていく。そして脳内の端から(端ってどこだ)、マツケンサンバばりに陽気なキャラクターがわんさか出てきて、腰のあたりにジャラジャラビーズを巻きつけて踊り出す。お・と・こ! お・と・こ!! お・と・こだよ~~~!!!!!
性別なんかどっちでもいいやんけ……と思う人もいるかもしれないが、ちょっと想像してほしいのだ。自分が体の中に内包しているのが「異性」であるという、途方もない違和感を。これって、もう、ちょっとしたイリュージョンだと思う(いや、お腹の中に、生きているもう一人の人間がいるというだけで十分イリュージョンなんだけども……)。仲のいい男友達もいるけど、どこまでいっても性別の違い(というよりも、それを認識しながら生きてきたことによる経験の差)は埋められず、果てしなく別物であった「男」を、私が腹の中で育て、寝る時も食事をする時もお風呂もトイレも仕事をする時もつわりで泣くときも夫に泣きつく時も“ひとつ”となって生きている? それって、すごくない? 神秘オブ神秘じゃない?
ともかく、性別告知の瞬間の私は、なんというかまあパニックだった。実際に、この日の日記には「人生で最もエキサイティングな出来事だった」と書かれている。駐車場で待つ夫の車に乗り込んでからも、家に帰ってからも、ずっとニタニタ笑って「おとこ……」と呟きつづいけた。初めて彼氏ができた日みたいな、くすぐったくて、はずかしくて(なんでだ?)、不思議で、同時にちょっと気持ち悪いような、なんていうの、この気分は。
でも一生分ニタニタして、ようやく口元も落ち着きを取り戻した夜になって、猛烈な不安に襲われたのだった。
ちょっと待てよ、と。私、男の子のことを、何も知らない。だって、想像してきてないもん。準備してないよ。男の子って、どんな生き物よ?
とにかく勉強熱心(かつ妄想熱心)な私は、この日を境に、公園でちいさな男の子ウォッチに励むようになった。言うまでもなく、男の子と言ってもいろんな子がいる(当たり前だね……)。お母さんにぴったりとくっついて、ふにゃふにゃと喋り、アイスを食べさせてもらってはぽやっと微笑む子。かと思えば、同じくらいの年齢に見えるのに地球すべてを抱きしめるように手を広げて走りまくり、お母さんがげっそりと後ろを追いかけていくような子。犬連れのお母さんの横で、ストライダーに乗って自分の犬の足を意図せず轢いてもケロリとしている元気な子(と、それに慣れきったタフなトイプードル)……。ねえ、わたしの子は、どんな男の子なの?
「男の子 性格」「男の子 育て方」、いや、その前に……「妊娠 性別 男」「妊娠 性別 男 焦る」「赤ちゃん 性別 女じゃなかった」。心の声ダダ漏れで検索をしまくると、同じような気持ちで性別告知を味わったお母さんたちがわんさかいることがわかった。中には「女の子じゃないと嫌なんです」と赤裸々に記して「親になるってどういうことかわかってますか?」とたしなめられている掲示板の投稿もあったし、「男の子、不安です。どうですか?」と書く相談者に対して「男の子ってこんなにいいものですよ!」と男の子の魅力をあふれんばかりに記している回答もあった。みんなやっぱ、不安なんだよね……。自分と違う性別が、自分から出てくることが。そのイリュージョンに慄くんだよね。私もその波に飲まれて、今となれば「どうしようも何もないって。男も女も同じ人間だぞ」と言って肩でも叩いて終わりにしたいくらいだけれど、でもこの時期の心の動きはもうちょっとのタッチでグワングワンに揺れ動いて止まらなくなる振り子状態だったので、相当に悩んだ。
でも、その悩みは、これまた一瞬で取り払われることになる。1年前に女の子の母になった私の姉によって。
「ねえ、男の子だった。楽しみだけど、わかんなさすぎて、やばいよ」と私。
「いいじゃん! 男の子! 最高! それに、そのほうが、かえっていいと思うけどな」と、姉。
姉が言いたいのは、つまりこういうことであった。あなたはイメトレをしすぎて「女の子だったらきっとこうだ」と無意識に想像してしまっていたはずである。でも実際には、想像のような女の子であるとは限らず、自分と同じ性別だからと言って同じような性格であるはずもない。花が好きとは限らない。可愛いものが好きとは限らない。一緒に旅行に行ってくれるとも限らない。電車オタクかもしれない。虫が好きかもしれない。想像と無意識に比べてしまう可能性があるなら、もう“未知”なほうがいいよ。なーんにもわからない、そのほうがずっとずっと楽しくて、面白くていいじゃない、と。
そして最後にこう締めくくった。
「よかったじゃん。あたらしいお母さんになれるよ。さえりとお母さんの関係性を元に思い描いてきた“お母さん像”ではなくて、さえりだけの、さえりならではの、あたらしいお母さんに」。
ああ、そうか。
この子のことは、なにもわからなくて、当然なのか。
だって別の人間だもの。
私の中で育った子は、腹から出てこの世に飛び出た瞬間から、私のすぐ側で私とは異なる目で異なるものをみて、違うことを考えて、私の知らない人を好きになり、私が見たことも歩んだこともない場所に行ってしまう、別の人間なんだ。(本当は女であっても男であっても同じなのだけど)その当たり前の事実にようやくポッと光がついて、灯る。何を準備すればいい? と焦っていた私の手は、なんにも持っていないままで正解だったのである。その発見は、私が「母」になる第一歩だったように思う。
きみがはじめて世界を見るその横で、私もはじめて母になるんだもんね。私が知っていることなんて、世界に溢れる物事のなかのほんの豆粒のような点に過ぎなくて、想像したいろんなことは全部全部どうでもよいものに変わって、私にできることはただ、手を広げてお腹の中にいるきみを待ち受けるだけ。
おなかをさすると、これまでに感じたことのない赤ちゃんとの繋がりを味わうことができた。ねえ、きみよ、聞こえますか。秋のあたたかな色に染まった公園を、犬の“月ちゃん”と歩きながら、囁く。あの赤い、ぼやぼやと動くエコーの姿をなんとなく思い描きながら。
聞こえますか。まだ見えなくても、感じますか。
出てきたら、一緒に世界を見て、一緒に味わって、一緒に広げていこう。未知を探索して、拓こう。それまで、ほんのわずかなこの時間は、まるでひとつのように、私の中におさまっていて。
――この公園の散歩を、私は忘れない。長く苦しい妊娠生活のなかで、数えるだけしかなかった美しくて祝福された瞬間だった。
性別がわかってから、私は、母に近づいた。思っていたような母ではなくて、あたらしい母に。
想像してたのと違うんですけど~母未満日記~

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