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奄美の研修医

2021.03.31 公開 ツイート

島の皆さん、2年間お世話になりました! 熊原悠生実

最後のお昼ごはん。院内の食堂の味。何度お腹を満たされたか数えきれない、オムそば!

とうとう奄美での勤務も最終日になってしまいました。初期研修が終わると、研修医はそれぞれの専門科の後期研修のため、いったん島外に出る人がほとんどで、先週までは先に出ていく2年目を呑気に見送っていました。「じゃあね元気でね」「なんかあったらお互いの分野について教えてね」「海で遊んだの楽しかったね」などと言っていたらあっという間に研修医室が少し広くなり、ここ数日は自分が引っ越しの準備を進めるのに、てんやわんやしていました。

 

Lサイズの段ボール箱10個あまりを家からヤマトの集荷所まで運ぶのを手伝ってくれた、お隣さんの研修医の後輩に大感謝です。大学の部活の後輩が、次の奄美の研修医として、私の後に住むことになりました。洗濯機や冷蔵庫、レンジは備え付けで、さらに後輩が他の家具家電はもらってくれるそうで、モノが多い私にとっては大助かりです。

病院の方でも、最後まで内科研修で充実した日々が続いています。指導医と一緒に、引き継ぎを意識しながら、なるべく患者さんと後に来られる先生に負担がかからないようにしています。最後まで指導医の先生のお世話になっていますが、引っ越しの時に出てきた、1年目の初々しいメモを見ると、さすがにちょっとは成長したかなぁと思えました。

内科で自分のいるチームは、指導医2人も含め、全員が異動です。特に、いちばん上の指導医は、前回の赴任時も合わせて、長い時間奄美にいた先生でした。患者さんが皆口を揃えて、指導医の異動を悲しんでいるのを見て、連日、指導医の人望の厚さを感じました。上手にできているか分かりませんが、教わったことはもちろん、指導医の話し方や雰囲気も忘れないで、これからも良いところを真似したいと思います。

3月末になると、患者さんや看護師さんなど、たくさんの方にお声がけいただきました。実は、この2年間、奄美の地元紙でもコラムの連載を担当させていただいていました(そのおかげで、中山裕次郎先生の鹿児島での研修医向けの講演会後に、この幻冬舎plusさんでのお話もいただくことになりました)。奄美の地元紙は奄美群島全体で読まれており、3月半ばに最終回が掲載されると、「先生! あれが最終回だったのね。毎回楽しく読んでいましたよ」と言っていただきました。また、担当した患者さんの奥様がこの病院のスタッフで、「コラムを見た主人から、先生にひとこと伝えてくれないかと頼まれました」と、話しかけてくださいました。

研修2年間で、ウェイトを占めていたのは、救急外来や病棟での業務がもちろん一番です。しかし、公にものを書いたのは初めてで、とても良い経験をさせていただきました。「読んだよ!」と声をかけていただくのは、とても嬉しいことでした。

また、応援してくれた、臨床研修担当の指導医の言葉は、奄美で研修医生活を送るうえで私の支えになっていました。地元紙連載の2年目に入った回は、新しい1年目の研修医が来たという内容でしたが、そこで、「医師としての人生を奄美でスタートしたことが今後の医師としての土台となり、島から離れても疲れた時に気軽に奄美の山や海を思い出して癒される、できれば気軽に島を再訪してもらう、そんな第二の故郷のような場所になるような時間を過ごしてもらえれば」とコメントされました。自分もこんなに温かい気持ちで見守られているんだ、と思える言葉で、後半の1年間は、さらに奄美の研修医であってよかったな、と誇りに思って過ごすことができました。

奄美で研修を始める時、地元の方は、どこからともなくやってきた若造を、快く受け入れてくれるのだろうか、という点はかなり気がかりでした。通りすがりのような自分が、地元の方に嫌な思いをさせてはいないかな、とは、いつも思うことでした。でも奄美では、昔から医師や教員、県職員など多くの人が、転勤を繰り返しているからでしょうか。新参の研修医を拒否するどころか、むしろとても暖かく迎え、折にふれ励ましていただきました。

奄美オーケストラのヴィオラの皆さんと。本当の娘のように大切にしていただき、ありがとうございました! いきものがかりのYELLなど演奏しました。「サヨナラは悲しい言葉じゃない それぞれの夢へと 僕らをつなぐエール」という歌詞がピッタリです。

例年であれば、この時期はフェリー乗り場に、見送りの人と出ていく人を繋ぐ「テープ投げ」があります。送る人が、「よければ船の上から投げてください」と出ていく人に長い紙テープを渡す、というカラフルで感動的な行事で、島の別れの季節の風物詩です。例年であれば大人数が港に集まりますが、去年も今年もそのような大規模な見送りはできず、静かにスマホのライトを照らしてお別れしていると聞きました。

例年であればこんな感じで、テープ投げがあります。これは2つ上の先輩からもらった写真。

最終日まで仕事でも引っ越しでもドタバタし、送別会も思うままにはできないこともあって、別れの挨拶は少しずつ進めてきたのに、正直まだ奄美での研修医生活が終わる実感が全く持てません。整形外科での後期研修への期待と恐怖感はありつつも、2年間幸せに暮らした島での生活が終わる実感がなくて、まだ悲しみが湧ききっていないのでしょう。

病院でも、行きつけのお店でも、参加していた奄美オーケストラでも、皆さん「また来てね」と言ってくださいます。人も気候も暖かい奄美が大好きです。

お世話になった方々には感謝してもしきれません。いつか、今よりももっと大きくなって、お世話になった分を返したいと思います。2年間、本当にありがとうございました。まだまだ味わいきれていない奄美がたくさんあります。いつかまたまた、来させてくださいね。

奄美での思い出を詰め込んだコラージュ。新天地での自己紹介に使ったら、キレイな写真だとお褒めの言葉をいただきました。

*   *   *

奄美での初期研修を終えた熊原悠生実さん。連載「奄美の研修医」も今回が最終回です。1年間のご愛読ありがとうございました。整形外科医としてのキャリアを積んで、また現場レポートをしていただける日があればと思っております。
 

関連書籍

中山祐次郎『泣くな研修医』

なんでこんなに 無力なんだ、俺。 雨野隆治は25歳、大学を卒業したばかりの研修医だ。 新人医師の毎日は、何もできず何もわからず、 上司や先輩に怒られることばかり。 だが、患者さんは待ったなしで押し寄せる。 初めての救急当直、初めての手術、初めてのお看取り。 自分の無力さに打ちのめされながら、 がむしゃらに命と向き合い、成長していく姿を 現役外科医が圧倒的なリアリティで描いた、感動の医療ドラマ。

中山祐次郎『逃げるな新人外科医 泣くな研修医2』

俺、こんなに下手クソなのに メスを握っている。命を託されている。 研修医・雨野の物語、待望の続編。 文庫書き下ろし! 雨野隆治は27歳、研修医生活を終えたばかりの新人外科医。 二人のがん患者の主治医となり、奔放な後輩に振り回され、 食事をする間もない。 責任ある仕事を任されるようになった分だけ、 自分の「できなさ」も身に染みる。 そんなある日、鹿児島の実家から父が緊急入院したという電話が……。 現役外科医が、生と死が交錯する医療現場をリアルに描く、 人気シリーズ第二弾。

中山祐次郎『走れ外科医 泣くな研修医3』

「治したい。でも治せない。どうすりゃいいんだ、俺」 累計23万部突破のベストセラーシリーズ、感動の第3弾 若手外科医・雨野隆治のもとに急患で運ばれてきた二十一歳の向日葵(むかい あおい)。 彼女はステージIVの癌患者だった。 自分の病状を知りながらも明るく人懐っこい葵は、雨野に「人生でやっておきたいこと第一位」を打ち明ける。 医者として止めるべきか 友達として叶えてあげるべきか 現役外科医が生と死の現場を圧倒的リアリティで描く、シリーズ第三弾。

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奄美の研修医

研修医ってどんなふうに働いているの? 離島の医療事情はどうなっているの? 25歳のドクターからが生き生きと綴る奄美大島だより。  

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熊原悠生実

千葉県市原市出身。25歳。両親は鹿児島県出身。高校までは千葉、大学は鹿児島大学へ進学。在学中はウミガメ研究会に所属し、吹上浜・屋久島を中心に産卵・孵化調査に参加。卒業後は鹿児島県奄美市の病院に採用され来島。在住2年目。今のところ外科系志望。

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