
撮影:平野愛
世のなかはこんなにも服であふれ返っているというのに、どうして自分にしっくりとくる服はどこにもないのだろう。わたしは以前より、そう思っていた。それは「悩み」と呼ぶにはまだ形がはっきりしておらず、したがってその思いは深く考えられないままいまにいたっているのだが、最近『服のはなし 着たり、縫ったり、考えたり』(行司千絵著、岩波書店)という本を読み、自分が知らない間に、いかにこのことに関して心削られていたのか、思い知らされた。
仕事に行き詰まり、落ち込んでいた当時の行司さんは、服を自分でつくろうと思い立った。手芸店に限らず様々な場所で目についた、「かわいいな」と思う生地を買いもとめ、自分がほしいと思う服に近づけていく……。
本には、行司さんが自分やお母さんのためにつくった服の写真も数多く掲載されているが、いずれも自由な風が吹いている、着ると身が軽くなりそうな服で、見ているだけで顔がほころんでしまった。
会社に勤めていたころはスーツを着ていたが、結局スーツとは仲良くなれぬまま終わった気がする。何を着ても「これじゃない」という感じがどこかに残り、それに抗うように上着を脱いでずっと紫や薄いグレーのカーディガンを着ていたので、部下からは「カーディガン店長」と呼ばれていた。
当時は服を買うのも苦手だった。店頭でさんざんまよった挙句、あとから考えればそんなに好みでもなかった服を買って帰ったときの、あの情けなく後悔する気持ちといったらない。
ここ数年はもうバーゲンにいくこともなくなり、神戸の実家近くにBshopの本店があるので、服はほとんど帰省した際、ここでまとめて買うようにしている(この店では他の支店で見かけないような面白い服が多く、それが自然と目に飛び込んでくる)。昨年はほとんど服を買う気も起きなかったが、晩秋、ようやく実家に帰ることができたので、この店に立ち寄りタガが外れたように大量の服を買って、東京の家まで送ってもらった。ずっと家と店にしかいない生活で、何か自分の中で抑えていたものがあったのかもしれない。
服も料理も、身近な人の手でつくられたものには、何か魔法がかかっているのだろう。昔は祖母が編んでくれたセーターよりも、買ってきた既製服のほうが洗練されて見えたが、最近店頭でいいなと思う人の服は、大抵どこかにその人オリジナルの工夫がほどこされている。そしてそうした服を着た人は、その人自身に見えて、まったく無理を感じさせない。
店頭ではたまに、「わたしに本を選んでください」という求めもあるが、そうした問い合わせも、自分に似合う本がわからないという似た気持ちの現れなのだろう。そうした時のお客さんは大抵不安そうで、途方に暮れた表情をしている。わたしも服を選んでいる時、こんな顔をしていたのかもしれない。
店を開き、スーツを着ることもなくなって、いまでは服に関して思いわずらうことがほとんどなくなった。手を動かし店に並べた本は、大体が自分の延長でもあるから、そこにいるだけで気がおさまってくるということもあるのだろう。
今回のおすすめ本
吉田さんは充実した教員生活を送っていたが、ある日奥さんの一言から、思ってもいなかった写真家への道が開かれていった。
このようにして、人生はつづく。流れに逆らわず、しかしただ流されるだけでもない、しなやかな生き方に共感する一冊。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年4月25日(金)~ 2025年5月13日(火)Title2階ギャラリー
「定有堂書店」という物語
奈良敏行『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』刊行記念
これはかつて実在した書店の姿を、Titleの2階によみがえらせる企画です。
「定有堂書店」は、奈良敏行さんが鳥取ではじめた、43年続いた町の本屋です。店の棚には奈良さんが一冊ずつ選書した本が、短く添えられたことばとともに並び、そこはさながら本の森。わざと「遅れた」雑誌や本が平積みされ、天井からは絵や短冊がぶら下がる独特な景観でした。何十年も前から「ミニコミ」をつくり、のちには「読む会」と呼ばれた読書会も頻繁に行うなど、いま「独立書店」と呼ばれる新たなスタイルの書店の源流ともいえる店でした。
本展では、「定有堂書店」のベストセラーからTitleがセレクトした本を、奈良敏行さんのことばとともに並べます。在りし日の店の姿を伝える写真や絵、実際に定有堂に架けられていた額など、かつての書店の息吹を伝えるものも展示。定有堂書店でつくられていたミニコミ『音信不通』も、お手に取ってご覧いただけます。
◯2025年4月29日(火) 19時スタート Title1階特設スペース
本を売る、本を読む
〈「定有堂書店」という物語〉開催記念トークイベント
展示〈「定有堂書店」という物語〉開催中の4月29日夜、『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』(奈良敏行著、作品社刊)を編集した三砂慶明さんをお招きしたトークイベントを行います。
三砂さんは奈良さんに伴走し、定有堂書店43年の歴史を二冊の本に編みましたが、そこに記された奈良さんの言葉は、いま本屋を営む人たちが読んでも含蓄に富む、汲み尽くせないものです。
イベント当日は奈良さんの言葉を手掛かりに、いま本屋を営むこと、本を読むことについて、三砂さんとTitle店主の辻山が語り合います。ぜひご参加下さいませ。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】
『生きるための読書』津野海太郎(新潮社)ーーー現役編集者としての嗅覚[評]辻山良雄
(新潮社Web)
◯【お知らせ】
メメント・モリ(死を想え) /〈わたし〉になるための読書(4)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第4回。老いや死生観が根底のテーマにある書籍を3冊紹介しています。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。