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夜のオネエサン@文化系

2021.02.19 更新 ツイート

生き延びられるならなんでもいい~クイーンズ・ギャンビット 鈴木涼美

パンデミックがなければ昨秋は結構時間をとって、一昨年テキサス州に引っ越した友人を訪ねるつもりだった。米南部とはそもそもあまり縁がなく、保守的な白人を息子ブッシュのような知事がまとめ上げているような印象しかなかったけれど、友人が送ってくれる写真はのどかで、多分実際に行っていたら、イメージが実際の空気を作っているわけではないことを再び実感しつつ、日本で買えない過酸化水素入りの歯磨き粉なんかをまとめ買いしていたんだろうと思う。昔、歯医者のホワイトニングで死ぬほど痛い思いをしたので、歯の白さはできる限り歯磨きだけで保ちたい。と、昔同居していた友人に話したら、ホワイトニングは確かに痛いけど、刺青の痛みの方がよっぽど必要度が低い、と指摘されたのだけど、それとこれとは話が別だ。

 

で、行けなくなったのでその友人とはFacebookのメッセージで時々思いついたように長いメッセージのやりとりをしている。中国生まれで日中翻訳も手がける頭の良い彼女は、私に極めて冷静に香港問題などを解説してくれる人で、しかも簡潔な文章で物事を分析するのが上手いので、以前から何かと相談に乗ってもらうことが多い。私は年をとることに前向きなタイプではないが、年齢が熟してきて得だな、と思うのは、気兼ねなく話せる同い年の聡明な友人たちが、数多の経験をして、見識も身につけ、より聡明になってくれることだと思う。彼女たちとカンバセイションを持つことで、私自身が賢くならなくても、世の中の多くのことが割とクリアにわかることは、30を過ぎ35を過ぎ、圧倒的に増えた。

そんな友人と先日、日本時間で言えば未明から早朝にかけてたわいもないやりとりをしていたのだけど、たまたまファッションの話になり、彼女が最近Netflix「クイーンズ・ギャンビット」のファッションがすごく良かった、と教えてくれた。冷戦期の米国を舞台にしたチェスのドラマで、50年代から60年代のちょっと野暮ったい服と、特徴的なアイラインのメイクやヘッドドレスが確かに可愛い。このドラマのヒットでチェスセットが異様に売れたという欧米に比べて日本で話題に上がるのが遅れたのは、多分チェスに造詣が深い人がそれほど多くないからかもしれないが、原作小説であまりに詳細に描かれたらしいゲームの盤面は、「駒の名前もその数も何も知らない」人が楽しめるように、ドラマシリーズではほぼ省略されている。(ちなみにカギ括弧内は長山洋子「たてがみ」で、超名曲だと思うけどこちらは将棋の棋士に恋した女のハナシ)。

さて、ファッションを楽しみながらチェスの天才少女の快進撃を見られる本作ではあるものの、作品を通して薬物・アルコール依存との戦いもまた大きなテーマの一つになっている。主人公は事故で親を亡くし、養護施設で育つが、そこではビタミンと称して精神安定剤のようなものが子供に当たり前に配られていて、彼女はそれを溜めておいて夜に飲むと頭がバッキバキに冴えて集中できることを覚えてしまう。そこから長くその薬に依存していたベスは、途中からはチェスの試合のプレッシャーや日常生活に降りかかる困難からアルコールに逃避するようにもなり、物語終盤まで依存傾向から抜け出さずにいる。

そういったモチーフ自体は、映画だけでなく、実際に天才と呼ばれる人々の周辺では珍しいものではないし、むしろあらゆる芸術の世界には必ずつきまとうものではある。ドラッグで死んだり廃人になったりした人がフューチャーされることも多いが、なんというかイギー・ポップみたいに、いかにも破滅しそうなのに結構しぶとく健康に生き延びている人も多いし、一応「クイーンズ・ギャンビット」も依存を断ち切る物語なので、絡め取られそうになってもちゃんと生きる人もいる。依存症になろうが火遊びしようが、生き残ることが一番大事だとは思う。

ゼロ年前後の夜の世界界隈をうろちょろしていた者として、薬物やアルコールの沼にハマらなかったことは私にとってものすごく幸運なことだったと今から振り返ると思う。アルコールはもちろんだが、今で言う危険ドラッグなんて、合法ドラッグと言われてそこかしこで手に入る時代だった。今の若者の事情に詳しいわけではないが、イリーガルな薬物も、今よりずいぶん身近にあった。依存症にならなかったことで、その後に少なくとも夜の世界以外のところへ抜け出していく際に、ものごとが幾らかシンプルだった。ただでさえ逃げ込みやすく、人を引き込む力が強い夜の世界に、肉体的にも依存するものができてしまえばなおさら、あらゆるものが全力でそこに引き止めようとしてくる。恋愛感情もまた人を強く一つの世界に閉じ込めるが、アルコールや薬物への依存は恋愛感情のように、ある日なんの前触れもなく突然去って行ってくれはしない。

ただ、そんな時代の街に生きていたから、そういった沼に絡め取られる友人がいなかったわけではない。医者でもセラピストでもない私は無力に、そういう人が絡め取られていく様を見るしかなかった。それでも、毒抜きができて生き抜いている人もいるし、ストレートに訃報を聞いたことはほとんどない。

1人だけ、薬物依存のまま死んでしまった女の子がいた。死にたいとよく言っている子だったけれど、死にたいと口にする女があまりに多い街に住んでいたので、本当に死ぬまで、多くの知人がそんな叫びを街のノイズとして処理していた。天才歌手でも伝説のギタリストでもなかったので、依存が何かの言葉で正当化されることもなく、死が大きく報じられることもほとんどなく、20代を生き延びられなかった女の1人となった。

アルコールも薬も多分最後までたくさん飲んでいたのだけど、ではアルコールや薬がなければ生き延びられたか、と聞かれればそれはわからない。彼女の死にたい理由はいつも別にあったし、実際、彼女の生きている状況は困難に溢れていた。男に依存し、酒に依存し、薬にも、スカウトマンにも、店のマネジャーにも依存していた。運が良ければ依存しながら生き延びていたかもしれないし、それら全てがなくても別の方法で命を落としていたかもしれない。

生き延びるために依存していたのだろうから、依存した対象のチョイスや体質の運が悪かったのかもしれない。実際、彼女と似たようなものを似たような量だけ摂取していて、その後、結婚して子供がいる子だっている。ただ、綺麗な子だったのに、その死は本当に悲惨だった。エイミー・ワインハウスが死んだ時、私はずいぶんニュースやドキュメンタリーを見漁ったのだけど、それは、彼女の死ぬ少し前の姿が、そのかつての知人とよく似ていたからだ。私は運が良かったし、その子の運はあらゆるところで悪かった。

生きにくい世界なのだから、落っこちそうになった時に、何かをとっさに掴んでしまうのは止めようがないし、結局、それを掴まないから死ぬ時もあれば、掴んだからこそ死ぬ時もあるのだ。そう考えると、私たちはずいぶんスリッピーな道を歩いていて、親や先生の言うことをちゃんと聞けば、多少滑りにくい道を教えてはもらえるけど、若い時にそういった声なんてなかなか聞く気にはならないし、そもそも滑りにくい道が全く滑らないわけではない。体調や体質のちょっとしたことや、タイミングや、その他あらゆる変数が命取りにもなるし、危なっかしい橋でもちょっとしたズレで何事もなく渡り切ることもある。

運悪く死んでしまった時はそれは取り返しがつかないのだけど、重要なのは運良く死なずに済んだ時、生き延びたことが幸運だと後々自分で思えることだし、せっかく運良く生き延びたはずが、歓迎されていないなんて思わないで済むことだ。私は平和で簡単なことが好きだから、規律やルールが全て無くなればいいなんてアナーキーなことは思わないのだけど、世界が、生きるのが下手な人でもなるべく生き延びられるようであってほしいとは思う。依存したりルールを破ったりしても、死にさえしなければ、本来は生き延びられる。

関連書籍

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夜のオネエサン@文化系

夜のオネエサンが帰ってきた! 今度のオネエサンは文化系。映画やドラマ、本など、旬のエンタメを糸口に、半径1メートル圏内の恋愛・仕事話から人生の深淵まで、めくるめく文体で語り尽くします。

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鈴木涼美

1983年東京都生まれ。蟹座。2009年、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。著書『AV女優の社会学』(青土社/13年6月刊)は、小熊英二さん&北田暁大さん強力推薦、「紀伊國屋じんぶん大賞2013 読者とえらぶ人文書ベスト30」にもランクインし話題に。夜のおねえさんから転じて昼のおねえさんになるも、いまいちうまくいってはいない。

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