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#塚森裕太がログアウトしたら

2020.10.27 公開 ツイート

そのアカウントからログアウトしたら、いったい何が現れるのだろう。ーープロローグ 浅原ナオト

作り上げてきた「自分」というアカウントからログアウトしたら、「本当の自分」になれると思っていた――

ゲイも、少年少女も、おじさんも、自分を生きるために明日への一歩を踏み出していく。痛みと希望を詰め込んだ一冊『#塚森裕太がログアウトしたら』。その冒頭を試し読みとして公開いたします!

*   *   *

自分が同性愛者だと気づいたのは、中学一年生の春だった。

いや、「気づいた」は違う。「認めた」だ。はっきり、いつからとは言えないけれど、下の毛が生えてくる前から違和感はあった。俺は女の子に興味を持てないのに、俺のことを好きになる女の子はやたら多くて、友達から女の子二人を比べて「どっちを選ぶんだよ」とからかわれたりして、そういう時はいつも曖昧に笑っていた。

自覚を持つ前から、自慰はしていた。妄想の相手は男の子。なら疑う余地もなく同性愛者だろと言われそうだし、俺だって他人事だったらそう言ったと思う。刺殺死体の傍にナイフを持った血まみれの男が立っているのに、警察が「彼が犯人かどうかは分からない」なんて言っていたら滑稽だ。それでも俺の中で疑惑だったのだ。名探偵が現れて「あなたが犯人です」と自信たっぷりに言い切るまで、どれだけ状況証拠が揃っていても事件は未解決のままだった。

そして現れた名探偵は、夢だった。叶える方じゃなくて見る方。中一の春、バスケ部の同級生たちと体育館でくんずほぐれつの大乱交をする夢を見て、俺は俺が同性愛者であることを確信した。

もっと綺麗な謎解きがあっただろうと、意地の悪い探偵に愚痴りたくなる。だけどそうならなかったのだからしょうがない。十二歳の俺が下半身で物事を考える猿だったのが悪いのだ。同級生の男子たちと「同じ」ように。

さて、そうやって自覚を得た俺がどうなったかというと、どうにもならなかった。そりゃそうだろう。自覚があろうがなかろうが、俺が同性愛者であるという現実は変わらない。どうにかなっていったのは俺ではなく、世界の方。

中一の夏、いいなと思っていた男友達の告白を応援した。告白は成功し、そいつには彼女ができた。そいつは俺に応援してくれた礼を言い、俺は笑いながら「俺の時はお前が応援してくれよ」と返した。

中二の秋、仲の良かった女の子に告白されて付き合うことにした。何度かデートをしたけれど、しっくり来なくて二か月で別れた。別れ際に「ずっと友達でいよう」と約束し、だけど卒業まで、その子とは数えるほどしか言葉を交わさなかった。

中三の春、クラスメイトの男子が彼女と初体験を済ませた。俺は大勢の仲間たちに混ざってそいつを羨ましがった。やがて話は脱線して好きなおっぱいのサイズを言い合う流れになり、俺は大きくも小さくもない、Cカップぐらいが好きだと主張した。

俺は変わらなかった。変わりたくても、変わりようがなかった。だけど世界はすごいスピードで変わっていって、あっという間に俺は、剥き出しでは生きられなくなった。

俺は仮面をかぶることにした。そうなるまで俺は「仮面をかぶる」という言葉が指す「仮面」を、祭りの屋台で売られているお面のようなものだと思っていた。でも違った。俺がかぶっていた「仮面」はそれがないと死んでしまう、空気洗浄フィルターを何枚も挟んだ防毒マスクだった。『風の谷のナウシカ』に出てくるやつ。不格好で、窮屈で、息苦しかった。

そして高校生になって、また世界が変わった。

端的に言うと、みんな大人になった。例えば、中学の頃はホモネタで笑いを取ろうとするやつが周りにあふれかえっていたのに、高校に上がったらめっきりいなくなった。そうなった理由は身も蓋もないことを言ってしまうと、受験が上手くいって雰囲気のいい学校に入れたからだろう。選別が入れば人間は階層化される。単純な話だ。

毒を放つ森を抜けた後に現れた、青き清浄なる世界は眩しかった。何もかもが宝石のように輝いていた。ほんの些細な毒を生んだやつが「そういうのよくないよ」と諫められるのを目にした時は、今まで俺が住んでいた世界はなんだったんだと中学受験に挑まなかったことを後悔したぐらいだ。この世界は全てを受け入れる。あらゆる人々があらゆる人々に対して、そういうメッセージを発していた。

だけど、それで俺が生きやすくなったかというと、それはまた別の話だった。

 ◆  ◆  ◆

想像してみて欲しい。

あなたは宇宙服を着たまま宇宙船から放り出され、宇宙空間を彷徨っている。そのうち無人の宇宙ステーションにたどり着き、これ幸いと中に入った。おそらく大気はある。窮屈な宇宙服を脱いでも生きられる。だけど宇宙服を着たまま、大気の存在やその成分を確認する術はない。そんな中、あなたは宇宙服を脱ぐことができるだろうか?

俺の答えは、ノーだ。ボンベの酸素が尽き、生命維持装置が無効化されるまで、宇宙服を脱ぐことはできない。着る意味がなくなって初めて宇宙服を脱ぎ、ようやく安全な大気の存在に気づく。そういうものだろう。脱いでも大丈夫だろうという希望的観測は、脱いだら死ぬかもしれないという恐怖に勝てない。

高校生になった俺は、そういう状態だった。

俺が同性愛者であることを明かしても、きっとこの世界は受け入れてくれる。だけど俺は異性愛者としてこの世界に来てしまった。友達に嘘をつきながら生きるのは後ろめたい。でも後ろめたいだけだ。死ぬことはない。

だから俺は異性愛者のフリをし続けた。ただ一年の秋にクラスメイトの女子から告白された時は、前と違って「今はバスケのことしか考えられない」と断った。そうやって断った手前、何となくバスケに力を入れるようになって、プレイは上達していった。

とはいえ、中学の頃と全く同じというわけではない。宇宙服の話と違い、俺はその世界で元気に生きている人間を見ることができた。だから大気の成分分析はできないけれど、いかつい防毒マスクが要らないのは何となく分かった。

俺の「仮面」はもっとカジュアルなものに変わった。ただ「カジュアルなもの」というイメージがあるだけで、世界はむしろ遠くなったような気さえした。防毒マスクをしている時、俺の首から下は生身だった。触れられれば温かかったし、傷つけられれば痛かった。高校生になってからはそれもない。だけど全身を防護服に覆われているような重たさもない。俺は今どうなっているのか。ずっと不思議で、不可解だった。

その謎が解けたのは、高校二年生の時。

高二の夏、俺はバスケットボールプレイヤーとして覚醒した。インターハイに出場し、準決勝まで進み、ベスト4という結果を持ち帰った。学校からは表彰され、友達からも褒められた。女の子から告白されたりもして、やっぱり「今はバスケが大事」と断った。

そんな中、バスケットボール雑誌の取材を受けた。インターハイの注目選手を集めて紹介する企画で、注目度ナンバー1として扱われると言われた。嬉しかった。家に送られてきた雑誌を開く瞬間は、今までの人生で読んできたどんな本を開く時よりも興奮していた。だけど開いて、読んで、思った。

これ、誰?

掲載されている写真は俺。書かれている文章は俺が語った言葉。だけど特集されているのが俺だという実感が、どうしても湧かなかった。家族や友達からコメントを貰っても同じ。芸能人が話題になっているのを聞いているようで、俺自身の話だとは思えなかった。

その少し後、使っていたスマホを機種変更することになった。するとSNSアプリを再設定する必要が出て来る。俺はメジャーなSNS、ツイッターとフェイスブックとインスタグラムとLINEのアカウントを全て持っていたから、全部ログインし直した。ツイッターとフェイスブックはもう使っていないから放置しようかとも思ったけれど、中学の友達との繋がりが残っていたので、使える状態にはしておくことにした。

フェイスブックにログインした時、アイコンに中学生の俺が出て来た。今よりずっと素朴で垢ぬけていない顔立ちを前に、つい吹き出してしまった。誰だよ。自分自身にそう思い、同じ気持ちをどこかで抱いたことを思い出し、そして、気づいた。

これだ。

自分なのに自分じゃない。これこそが俺があの雑誌の特集に覚えた違和感で、日常的に抱いている違和感の正体でもあると確信した。つまり俺は、俺の名前のアカウントを使い、世界にログインしているのだ。雑誌でインタビューされたのはそっちの方で、俺から切り離された俺じゃない俺だったから、俺は俺自身のことだと思えなかった。

大仰な防毒マスクは外れた。代わりに生まれたのは、俺と同じ姿をしたアバターを持つ、俺と同じ名前のアカウント。家でも、学校でも、俺はそのアカウントにログインして生活している。

じゃあそのアカウントからログアウトしたら、いったい何が現れるのだろう。

そんなことを考え始めた頃、俺は、十七歳の高校三年生になっていた。

*   *   *

次回に続きます。

関連書籍

浅原ナオト『#塚森裕太がログアウトしたら』

高三のバスケ部エース・塚森裕太が突然「ゲイ」だとSNSでカミングアウトした。騒然とするも反応は好意的。しかし同じ学校の隠れゲイの少年、娘をレズビアンだと疑う男性教師、塚森ファンの女子高生、塚森を崇拝する後輩は、彼の告白に苦しみ、葛藤する。それは「本当の自分」になるはずだった塚森も同じだった――。痛みと希望の青春群像劇。

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#塚森裕太がログアウトしたら

高3のバスケ部エース・塚森裕太は自分がゲイだとInstagramでカミングアウト。それがバズって有名に。

このカミングアウトが、同じ学校の隠れゲイの少年、娘がレズビアンではないかと疑う男性教師、塚森を追いかけるファンのJK、塚森を崇拝しているバスケ部の後輩へと変化をもたらしていく。そして塚森自身にも変化が表れ…。

作り上げてきた「自分」からログアウトしたら、「本当の自分」になれると思っていた――痛みと希望が胸を刺す青春群像劇。

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浅原ナオト

小説投稿サイト「カクヨム」に、2016年10月より『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』を投稿開始。18年に書籍化された同作は、話題作として注目を浴び、大ヒット、テレビドラマ化(『腐女子、うっかりゲイに告る。』)もされた。他の著作に『御徒町カグヤナイツ』がある。

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