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他人を非難してばかりいる人たち

2020.08.27 公開 ツイート

不倫、失言への異常なバッシングは、日本人の「空虚さ」「不寛容さ」のせい 岩波明

連日テレビを賑わせている、芸能人の不倫騒動や失言問題。過激化するバッシングの一方で、「さすがにやりすぎでは?」と感じている人も少なくないのではないでしょうか。精神医学の権威、岩波明先生の『他人を非難してばかりいる人たち』(2015年9月刊行)は、そんな現代の風潮に一石を投じる一冊。炎上、バッシング、ネット私刑が「大好物」なマスコミや、ネット住民の心理とは一体? その正体を明らかにしていきましょう。

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現代の日本に流れる「空虚さ」

自虐的に述べてみると、「バカでヒマ」なわれわれは、自らの現実に不満足になりやすい傾向を持ち、不寛容な心持ちで他人のアラ探しにセイを出しては、いっときのウサを晴らしている。

(写真:iStock.com/bee32)

それは、内面の空虚さの裏返しであるが、さらに言えば、リアルタイムの日本という空間は、歴史的に見ても、もっとも虚ろで無目的な時間が流れているようにも思える。

けれども、こういった点は否定的に述べているわけではない。「空虚さ」は、必ずしもマイナスや悪を意味していない。

日本の「空虚さ」は、苦労してまで手に入れたいものがなくなった──という現実を示すものであり、社会の豊かさの別の側面である。極端な話になるが、たとえば、「最低限」の生活であるはずの生活保護においても、都心のバストイレ付きのアパートで暮らす権利が保障されているのである。

かつての高度経済成長やバブル景気の時代は、遠い昔となった。バブル経済崩壊後の日本は、長く低迷の時代が続いているという。

マスコミでは、国民一人あたりのGDPのランクが下がったと報道されているが、海外の人々の生活ぶりと比較してみると、日本人のリアルな生活レベルは低下していない。世界中のどこを見渡しても、われわれがうらやむような「夢の社会」など存在しておらず、日本ほど物質的に豊かな上に、便利で安全な場所は他にはない

生活用品についても、工業技術についても、あるいは医療や文化のクオリティに関しても、「日本製」は他の先進国のものと遜色はないし、むしろ多くの分野でまさっている。われわれには、もう目指すものがない。

現在の日本人に欠けているものがあるとすれば、それは「智慧」であり、「教養」である。日本人は「不寛容」であるが、一方で、だまされやすく乗せられやすい。“智慧のあるように見える人”には取り込まれやすく、その結果、ネット上でも、現実世界でも、「根拠のない流行」が蔓延することとなる

「アウトロー」に厳しい日本社会

以上のような点に加えて、日本社会を息苦しくしている原因として、他国にはみられない“多様性のなさ”があげられる。歴史的に見て、長期にわたり近隣の他国からの「侵略」のない状態が続いていた日本は、独自に一元的な価値観を形成するようになった(終戦後は占領状態にはあったが、他民族の大量の入植、流入のような事態は生じなかったため、文化的な破壊や変化はみられなかった)。

(写真:iStock.com/taa22)

このため、近年、国際化が進んでいるとはいっても、日本人の価値観は基本的に均質性が大きく、理想とするライフコースは多くの人に共通したものである。さらに、日本の社会は、そこに住む個人に対して、道をはずれることなく、標準的なライフコースをたどるよう暗黙のうちに求めている。

このため、「日本式」の「道」からずれた「非常識」な個人は排斥され、非難されやすい。イラクの人質事件の3人はそのよい例である。世間の「常識」からはずれたことをする個人に対して、日本のマスコミも、一般の人も手厳しい。時には、敵意をむき出しにする。これは、はぐれ者に不審な目を向けるという側面だけでなく、特別なことを仕出かす能力を持つ人物に対する嫉妬心も加味されている。

本音を言えば、多くの日本人は、日本社会が定めた「安全」な人生経路を心地よいものとは思っていないし、できればそこから逃れたいと感じている。ところが、ほとんどの人はそうする勇気もないし、能力もない。やはり、「安定」した人生を求めることになる。

傑出した個人が、一時的にもてはやされることもある。ライブドア事件の堀江貴文氏がよい例であろう。しかし日本の社会は、アウトローの長期にわたる天下を好まない。いずれ、「許せない、勝手すぎる」といった批判を浴びせられる。堀江氏も、ほとんど冤罪といってもよい、罪ともいえない罪をきせられ、会社を失って、受刑者となった。

日本の社会は、再チャレンジが難しいシステムである。官庁においても、企業においても、能力よりも、むしろ長期に勤め上げたことが評価される。米国などと異なり、中央官庁の重要なポストに、外部の人間が抜擢されることはほとんどない。地道に出世の街道を歩んできた人物がトップを勝ち取り、決められた天下りのコースを獲得する。

いったん「王道」から脱落した個人がカムバックすることは容易ではない。「セカンドチャンス」は、ほとんど存在していないのである。仮に異色の人材が抜擢されたとしても、それは一時的な措置であり、しばらくするとまた元のシステムが機能することとなるのである。

このような社会の中では、個人は未来に希望を見出すことは難しいし、そのためのルサンチマンが、他人に対する攻撃性や不寛容として出現しやすいのである。

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他人を非難してばかりいる人たち

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岩波明 精神科医

1959年神奈川県生まれ。東京大学医学部医学科卒。 精神科医、医学博士。 発達障害の臨床、精神疾患の認知機能の研究などに従事。都立松沢病院、東大病院精神科などを経て、2012年より昭和大学医学部精神医学講座主任教授、2015年より昭和大学附属烏山病院長を兼務。著書に『狂気という隣人』『精神科医が狂気をつくる』『大人のADHD』『発達障害』『発達障害という才能』ほか多数。

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