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めぐみへの遺言

2020.06.21 公開 ツイート

拉致被害者家族の訴えに、鳩山由紀夫は「あっそう、ふーん」と答えた 横田滋、横田早紀江、聞き手/石高健次

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父、横田滋さんが、先日87歳で亡くなりました。生死もわからない娘の生存を信じ、行方を探し続けた滋さんと、妻・早紀江さん。2012年4月刊行の『めぐみへの遺言』は、その長きにわたる夫婦の闘いの日々をジャーナリストの石高健次さんが追った、涙なしでは読めない一冊です。追悼の意を込めて、本書の一部をご紹介いたします。

*   *   *

―――今は言葉が軽すぎる?

早紀江 そう、特に政治家の言葉が。痛みを感じたりする感性があまりないのでしょう。

 

―――総理大臣を経験された鳩山由紀夫氏ですが、私がテレビ朝日系の『サンデープロジェクト』を担当していた頃の一時期、石川県の寺越友枝さんが家族会と一緒に活動されたことがあったんです。息子さんが漁の手伝いで能登沖に出たまま北朝鮮へ連れていかれた。息子が北朝鮮で暮らしている手前、漁船が遭難して助けてもらったと言われるけれど実際は拉致だと皆思うから、ある日、スタジオ出演して語ってもらいました。たまたま総選挙の前の週の日曜日だったかで、野党の幹事長だった鳩山由紀夫氏も田原さんのコーナーで出ていた。

 放送のあと、向かいのホテルで寺越さんと昼ご飯を食べていたら鳩山氏が入ってきたので、寺越さんを促して彼のところに連れていったんです。この人はまだ政府が動いてくれないのですが拉致された人のお母さんです、と説明して力になってほしいと考え、一言二言話し始めたら、上の空というか虚ろな目をしてまるで無視というか、「あっそう、ふーん」の一言を残してスーッとその場を去っていった。寺越さんの顔を見たら無念の表情で、「何、あのひと!」って感じでした。

早紀江 そうでしたか……。

 

―――その人が政権交代で総理大臣になった時、「友愛」「命を大切にする政治を」と謳うたい上げるんですから。

早紀江 だから結局それは、自分の利のためにやっているということでしょう。国会で議員さんたち、びっちり扇形に座ってらっしゃるけど、誰が何を知っているのかと不安に思います。この前、講演で思わずそう思いませんか? と言ってしまったけど。それはすごく日本全体の損失だと思います。日本の国民が選ぶ目もどこかへ行ってしまったのかな。私たちの方も悪いし、選挙制度も何か変だと思う。

 じゃあ、どうしたらいいのかって、それが分からないけれど。アメリカの大統領制みたいに選挙で自分の信念をはっきりと国民に訴えて、市民の方も今はこの人が大統領には良いだろうと考えて選ぶ。それから長くて8年という長い期間を、熱意を込めてやるわけですから。

 日本では、あの人には総理大臣にはなってほしくないと思っていてもなってしまいますよね、勝手に。いつもそうだけれど。

 口から出てくるのは、フワフワした綿菓子みたいな言葉ばかり。

 

―――滋さんそのあたりを、どう思いますか?

 ……。

早紀江 主人は本当にのんきで、あまりそういうことには怒らないの。私一人怒っています。

 ……。

 

―――滋さんはあまり腹立ったりしませんか?

 ……。

早紀江 あんまりしない。やっぱり日銀マンなんです。穏やかでおおらかで。まあ、珍しくここまで、国を相手にやってきましたけど。

 

―――日銀を辞めて、もうずいぶん長い時間が経ってますけど。

早紀江 そうそう。

 一人ひとりに言ってもやっぱりそれは効果がないから、総理がリーダーシップをとってやるしかないんです。

 

―――最初は希望を持っていたじゃないですか、特に安倍さんに対しては。それが、途中で辞めてしまって、その後今まで全然ダメでしょ。

早紀江 政府の人は、仕事だし、絶対一所懸命やって下さっていると思い込んでいた。給料もたくさんもらっているし、いい暮らしもしている。こんな大変なことが起きたら、一緒になって何かやって下さっていると思い込んでいたんです。それが、今になってみると、何の情報も入ってこないし何もしていないという感じでしょ。だから、本当に力が抜けてしまうんです、これまで一体何だったんだろうと。

 福田総理の時、官邸に呼ばれて「私の代で必ず解決します。だからみなさん、あまり私を毛嫌いしないで下さいね」と微笑みながら言われたのを家族会の人たちは忘れていない。なのに、1年後にスーッと消えた。なんで辞めちゃったの? という感じです。

 辞めた真相がわからない。記者会見で「(私は)あなたと違うんです」と言っていた。どう違うのか、それもわからないまま。

早紀江 政府って、政治家って私たちには何も分からない世界だと思いましたし、今もその思いはずっとあります。

 

―――繰り返しになりますが、安倍晋三さんが総理になられた時、家族会はすごい期待をしたのに1年で辞任されて、がっくり。

早紀江 私もそう。辞められたあと、私たちの知らないところで何かされていただろうからいずれ成果が表に出てくるだろうと思っていたのに、何も出てこなかった。だから、何だったのだろうと。

 めぐみの拉致が出てから、総理大臣はコロコロ替わるし、外務大臣だって何回替わっているか分からない。私たちはもう、人間不信になっています。

※肩書きは当時のものです

関連書籍

横田滋/横田早紀江/聞き手 石高健次『めぐみへの遺言』

とにかく自由にしてやりたい。あんな国に閉じ込められたままで消えてもらいたくない。 生きている間にせめて1時間でもいい、日本に帰って来てほしい……。 生死もわからない娘の生存を信じ、行方を探し続けた夫妻が出会った世の中の不条理とは?

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めぐみへの遺言

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父、横田滋さんが、先日87歳で亡くなりました。生死もわからない娘の生存を信じ、行方を探し続けた滋さんと、妻・早紀江さん。『めぐみへの遺言』は、その長きにわたる夫婦の闘いの日々を追った、涙なしでは読めない一冊です。追悼の意を込めて、本書の一部をご紹介いたします。

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横田滋、横田早紀江、聞き手/石高健次

横田滋(よこたしげる)

1932年11月徳島県生まれ。11歳で札幌へ転居。高校卒業後、日本銀行に入行し、札幌支店を転出する61年までを札幌で過ごす。62年、名古屋支店時代に知人の紹介で早紀江さんと結婚。64年10月めぐみさんが生まれる。本店、広島支店勤務ののち、76年新潟へ。翌年、めぐみさんが中学1年生の時、下校途中に行方不明となる。20年後の97年1月、拉致の情報が飛び込む。2月に大きく報道され、3月、拉致被害者家族連絡会が結成されると代表となり、政府への要請、マスコミの対応など救出に向け精力的に活動。2007年11月代表を退任後も、街頭署名や年に100回前後の講演活動を続ける。2020年6月5日逝去。

 

横田早紀江(よこたさきえ)

1936年2月京都府生まれ。高校卒業後、繊維関係の商社に約4年半勤務。その後、友禅染めの工房で型染めの染色をする。結婚後、めぐみさんと、双子の息子を出産。めぐみさんがいなくなったあと苦悩の日々を過ごすが、クリスチャンの友人の勧めで聖書を読み、癒されていくのを実感。7年後、めぐみさんが20歳になる年に洗礼を受け、その後は教会に通ったり家庭集会に出たりして、礼拝、聖書の学びに参加している。夫滋さんとともに拉致問題を世に訴えるため精力的に活動、全国の都道府県すべてを回った。2006年には息子拓也さんとホワイトハウスでブッシュ大統領に面会、大統領が北朝鮮を非難する声明を出している。

 

石高健次(いしだかけんじ)

1951年2月大阪府生まれ。74年朝日放送入社。2011年退社するまで数多くのドキュメンタリー番組を手がける。81年、在日コリアンへの差別を告発した『ある手紙の問いかけ』でJCJ奨励賞。97年、横田めぐみさん拉致を突き止め、その経緯と家族たちの苦悩を描いた『空白の家族たち』で新聞協会賞。2005年、アスベスト健康被害でクボタの被害実態を世に出し社会的問題化のきっかけを作った。著書に『金正日の拉致指令』(朝日文庫)、『これでもシラを切るのか北朝鮮』(幻冬舎文庫)など。現在フリーランスで活動中。

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