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めぐみへの遺言

2020.06.25 更新 ツイート

拉致被害者5人の生還…あのとき横田夫妻は何を思っていたのか?横田滋、横田早紀江、聞き手/石高健次

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父、横田滋さんが、先日87歳で亡くなりました。生死もわからない娘の生存を信じ、行方を探し続けた滋さんと、妻・早紀江さん。2012年4月刊行の『めぐみへの遺言』は、その長きにわたる夫婦の闘いの日々をジャーナリストの石高健次さんが追った、涙なしでは読めない一冊です。追悼の意を込めて、本書の一部をご紹介いたします。

*   *   *

―――小泉訪朝の翌月、5人の拉致被害者が生還しました。その時、羽田空港のタラップ下で迎えられました。

早紀江 めぐみは死んだと言われていたけど、一緒に飛行機から出てきてくれたらいいのに! とずっと思っていました。隣にいた有本さんのお母さんに「娘さん、飛行機から出てきたらいいのにね」と言うとしみじみと「ほんまやね……」と言われました。有本さんの娘さんも死んだと言われていましたから、気の毒で。

 5人がタラップを降りてくる時に、飛行機のドアの方を見上げて泣いておられた。私も、有本さんの肩を抱いて泣いた。

 

 あの飛行機から降りる順番は、誰かが決めたのか? とよく聞かれましたけど、あれは、5人を迎えに行かれた中山内閣官房参与(当時)が、自然にあの順番になったと言われた。

 一番最初は地村保志夫妻で、奥さんの富貴恵さんがニコニコしながら降りてきた。あとで聞いたら、飛行機の窓からお兄さんら家族の顔が見えたので嬉しくなって真っ先に降りてきたと言ってました。次が蓮池夫妻で、最後が曽我ひとみさんだった。

 

早紀江 あの時一人で降りてきた曽我さんの、寂しそうな顔が忘れられない。彼女だけがたった一人だった。

 

 蓮池薫さんは、地上に降りてまず妹さんのところへ行った。それを見ていたお母さんのハツイさんが「どうしてうちの薫だけあんなに歳を取ってしまったんだろう!」と言ったんです。でも、考えてみたら、頭の中にはいなくなった20歳そこそこの大学生の薫さんしかないからしょうがない。奥さんの奥土祐木子さんは、いつも見ていたわけじゃないからそうは感じなかったのでしょう。他の人は会ったこともない。

 あくる日に、5人と宿泊先のホテルで話をしました。曽我さんは、「きのう平壌空港に行った時、夫のジェンキンスと娘2人が見送りで一緒だったんだけど、空港にはヘギョンさんが来ていて、本当に久しぶりに会いました」と言った。すぐにめぐみの子供だと分かったので、ヘギョンさんに「お母さんはどうしたの?」と聞いたら、「小さい時に亡くなりました」と答えたのでがっくりきたと。

 向こうは、日本側が拉致被害者と認識のなかった曽我さんを出すことで、被害者はこれで全部だとして終わりにできると思ったのでしょう。そこまで調査し捜し出したということで日本側も納得するだろうと。というのも、脱北者の証言で以前から誰とは分からないが、日本政府が知らない拉致被害者がいるはずだという噂があったから。

早紀江 曽我さんは、新潟から自分のお母さんと一緒に拉致されたわけだけれど、北朝鮮では、「お母さんは日本に居る」と言われていて、会うのを心待ちにしていた。しかし、日本へ向かう飛行機の中で、中山参与から「日本にはおられません」と聞かされてびっくりしたと言っていました。

 生きて帰ってくる人とめぐみのように帰れない人と、明と暗に分かれたんだけど、曽我さんの場合は、お母さんがどこでどうしているのかすら分からないから複雑だった。

 

 中山参与も言っておられたけど、5人は日本へは出張で行くと家族に言い残してきたらしい、だから、着替え程度しか持ってこなかったのです。

 曽我さんは、昔、引っ越しの時に、もう会えなくなるかもしれないからと、めぐみからバドミントンのラケットを入れる赤いスポーツバッグをもらったと言っていました。

―――あの、めぐみさんの尋ね人のポスター写真に写っているバッグですね?

 そうですが、あれは実際には持ったままいなくなったので、早紀江が友だちのものを借りてきて、それとよく似たのを買ってきて写真合成したものなのです。曽我さんは、その鞄を買い物に使っていたと。

 

早紀江 あんな派手な赤いバッグなど、買い物に持って行けるのかなと疑問に思った。

 北朝鮮は、ラケットやケースの写真を出してきた。「横田」という漢字が消してあるのだけど、裏から見たらはっきり読みとれる写真もあって、あれはショックでした。いなくなった時に、誰かがこれは要らないだろうとラケットケースは捨てたのではと思って、新潟で大型ごみの置き場所を調べてあちこち捜し回った。それが突然出てきたのだから。

 

 あるテレビ局が、ラケットケースの写真をヨネックスに持っていっていつの製造か調べたら、その頃のものに間違いないと確認できたと教えてくれました。

 

早紀江 本当に、鮮やかにあそこに居るんだということが判ったんです、あの時に。

※肩書きは当時のものです

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関連書籍

横田滋/横田早紀江/聞き手 石高健次『めぐみへの遺言』

とにかく自由にしてやりたい。あんな国に閉じ込められたままで消えてもらいたくない。 生きている間にせめて1時間でもいい、日本に帰って来てほしい……。 生死もわからない娘の生存を信じ、行方を探し続けた夫妻が出会った世の中の不条理とは?

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めぐみへの遺言

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父、横田滋さんが、先日87歳で亡くなりました。生死もわからない娘の生存を信じ、行方を探し続けた滋さんと、妻・早紀江さん。『めぐみへの遺言』は、その長きにわたる夫婦の闘いの日々を追った、涙なしでは読めない一冊です。追悼の意を込めて、本書の一部をご紹介いたします。

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横田滋、横田早紀江、聞き手/石高健次

横田滋(よこたしげる)

1932年11月徳島県生まれ。11歳で札幌へ転居。高校卒業後、日本銀行に入行し、札幌支店を転出する61年までを札幌で過ごす。62年、名古屋支店時代に知人の紹介で早紀江さんと結婚。64年10月めぐみさんが生まれる。本店、広島支店勤務ののち、76年新潟へ。翌年、めぐみさんが中学1年生の時、下校途中に行方不明となる。20年後の97年1月、拉致の情報が飛び込む。2月に大きく報道され、3月、拉致被害者家族連絡会が結成されると代表となり、政府への要請、マスコミの対応など救出に向け精力的に活動。2007年11月代表を退任後も、街頭署名や年に100回前後の講演活動を続ける。2020年6月5日逝去。

 

横田早紀江(よこたさきえ)

1936年2月京都府生まれ。高校卒業後、繊維関係の商社に約4年半勤務。その後、友禅染めの工房で型染めの染色をする。結婚後、めぐみさんと、双子の息子を出産。めぐみさんがいなくなったあと苦悩の日々を過ごすが、クリスチャンの友人の勧めで聖書を読み、癒されていくのを実感。7年後、めぐみさんが20歳になる年に洗礼を受け、その後は教会に通ったり家庭集会に出たりして、礼拝、聖書の学びに参加している。夫滋さんとともに拉致問題を世に訴えるため精力的に活動、全国の都道府県すべてを回った。2006年には息子拓也さんとホワイトハウスでブッシュ大統領に面会、大統領が北朝鮮を非難する声明を出している。

 

石高健次(いしだかけんじ)

1951年2月大阪府生まれ。74年朝日放送入社。2011年退社するまで数多くのドキュメンタリー番組を手がける。81年、在日コリアンへの差別を告発した『ある手紙の問いかけ』でJCJ奨励賞。97年、横田めぐみさん拉致を突き止め、その経緯と家族たちの苦悩を描いた『空白の家族たち』で新聞協会賞。2005年、アスベスト健康被害でクボタの被害実態を世に出し社会的問題化のきっかけを作った。著書に『金正日の拉致指令』(朝日文庫)、『これでもシラを切るのか北朝鮮』(幻冬舎文庫)など。現在フリーランスで活動中。

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